四、みきさんの事情・4
文字数 2,143文字
「馴れ初め……?」
みきさんは都築君の言葉を繰り返す。
心なしか、口の端がひきつっているような気がした。
「あなた、相手がオバケでも全然物怖じしないのね」
「いや、みきさんが透けちゃったときは流石にびびりましたよ。でも慣れました」
平然と言う都築君を見て、みきさんは小さく吹き出すように笑う。
「この世にいるのが都築さんみたいな人ばかりなら、オバケだって楽しく生きていけるかもね。いや、とっくに死んでるんだけど」
全く笑えない冗談だったが、それよりもわたしは、いつかのジュン君が似たようなことを言っていたのが気になった。
「そうね。馴れ初め……ちょっと長くなるけど、聞きたいなら話すわ」
「聞きたいです」
即答した都築君に便乗して、わたしも、と小声で同意してみる。
「オバケになって、五年くらいした頃だったかな。少し遠くへ引っ越すことになった家族が心配で、私もこっそりついていくことに決めたの。その頃は私も普通のオバケだったから、誰にも見えないのをいいことに、ただで電車に乗せてもらってね」
普通のオバケというおかしな言い回しに口を挟んでみたくなったが、こらえる。話はまだ始まったばかりだし。
「あれ。みきさんって、元々この辺の人じゃなかったんすか?」
「ええ。今にしてみれば、淳と出会えたのが知り合いのいない土地で助かったわ。死んだはずの人間が平然と道を歩いていたら、大騒ぎになるでしょうから」
かと思えば都築君があっさりと口を挟んで、みきさんもそれにあっさりと答えたのだった。
「ここへ来る前は、だらだらと家族の生活を見守ってみたり、本屋で人が立ち読みしている本を後ろから眺めたりして過ごしていたの。初めは寂しかったけれど、もともとひとりが好きだったし、友達も少なければ長く付き合った恋人もいない寂しい人間だったから、すぐに慣れた」
みきさんの語りが何故か自虐じみてきて、反応に困る。都築君が黙っているので、わたしもそれにならうことにした。
「そうしているとたまに、私に気づく人がいるのよね。恐る恐る見つめられたり、目が合った瞬間にびくりと反応されたりしたら、何だか嬉しくて、悪戯したくなっちゃうの。周りの視線を気にして、気を張りながら生きていた頃からは考えられないことなんだけれど」
「悪戯って?」
「大したことはしないわ。笑うだけ」
都築君の質問に、みきさんは笑って答えた。笑うことで答えたと言うべきか。
ちょっとした悪事を成功させた子供のような、無邪気な笑み。大人っぽくて育ちのいいお嬢様という印象を抱いていたみきさんには、あまりそぐわないような。
だけど、こう言ってしまうと失礼だけれど、とても可愛かった……なんて考えて、すぐに恥ずかしくなる。
元の表情を大人びて落ち着いた表情に戻ったみきさんは、そんなわたしをよそに話を続けた。
「淳に出会ったのは、私がこっちへ来て一年くらい経ってからのこと。いつものように本屋の通路をふらふら歩いていたら、こっちに視線を向けているちょっとかっこいい男の子がいることに気付いたの。そのとき私、しばらくは自分のことが見える人に会っていなかったから、嬉しくなっちゃって。にっこり笑いかけてやったのよ」
みきさんはそう言ってまた笑った。
さっきの悪戯っ子のような笑みとは少し違って、純粋に嬉しそうに、恋人との惚気話をする少女のように。
「そうしたらその男の子は驚いた顔をした。私はたぶん、にやにやしながら立ち去ったと思うわ。で、何日か後にもそのお店に行ったら、またその子がいたの。こちらも驚いたけれど、また大げさな反応をしてくれたから、楽しくて」
聞きながら、わたしはジュン君の言葉を思い出す。
確か、彼はみきさんに一目惚れしたと言っていた。つまりそのときのジュン君の驚きは、オバケを見たことに対するものではなかったのだろう。
「そして、三回目に会ったとき。流石にもう驚いてはくれないだろうと思って、近付くだけにしておいたら、彼の方から話しかけてきたの。今度はこっちが驚く番だった。仕返ししようかと考えているうちに、連絡先を尋ねられたわ」
「ジュンさん、結構積極的っすね」
都築君が顎に手を当てながら相槌を打つ。これまた、女友達の惚気話を聞いているようにしか見えない姿だった。
「本当にね。私がメールアドレスも電話番号も持っていないと答えたら、淳はアドレスを取ったら連絡してくださいと言って、紙に書いた連絡先を渡してきたわ。それで、彼は私の正体に気付いていないんだって分かった。だから私、わざと紙に手を伸ばしてやったの。さっき杜羽子さんにしたみたいにね」
「でもそのときは、透けなかったと」
「ええ。つかめたのよ、その紙」
そう言ってみきさんが掲げた指先には、本当に白い紙が挟まっているかのように思えた。
「手に持った紙を呆然と眺めているうち、よろしくお願いします、と言って男の子はどこかへ行ってしまった。取り残された私は、その紙が周りからどう見えているのかと不思議に思ったわ。ぷかぷか浮いて見えるのかなって。だけど、周りの人が不審がっている様子はなかった。……もしかして私、見えているの? そう思って、家族のいる部屋に向かってみた」
彼女は過去を懐かしむように、夜空を軽く見上げる。
みきさんは都築君の言葉を繰り返す。
心なしか、口の端がひきつっているような気がした。
「あなた、相手がオバケでも全然物怖じしないのね」
「いや、みきさんが透けちゃったときは流石にびびりましたよ。でも慣れました」
平然と言う都築君を見て、みきさんは小さく吹き出すように笑う。
「この世にいるのが都築さんみたいな人ばかりなら、オバケだって楽しく生きていけるかもね。いや、とっくに死んでるんだけど」
全く笑えない冗談だったが、それよりもわたしは、いつかのジュン君が似たようなことを言っていたのが気になった。
「そうね。馴れ初め……ちょっと長くなるけど、聞きたいなら話すわ」
「聞きたいです」
即答した都築君に便乗して、わたしも、と小声で同意してみる。
「オバケになって、五年くらいした頃だったかな。少し遠くへ引っ越すことになった家族が心配で、私もこっそりついていくことに決めたの。その頃は私も普通のオバケだったから、誰にも見えないのをいいことに、ただで電車に乗せてもらってね」
普通のオバケというおかしな言い回しに口を挟んでみたくなったが、こらえる。話はまだ始まったばかりだし。
「あれ。みきさんって、元々この辺の人じゃなかったんすか?」
「ええ。今にしてみれば、淳と出会えたのが知り合いのいない土地で助かったわ。死んだはずの人間が平然と道を歩いていたら、大騒ぎになるでしょうから」
かと思えば都築君があっさりと口を挟んで、みきさんもそれにあっさりと答えたのだった。
「ここへ来る前は、だらだらと家族の生活を見守ってみたり、本屋で人が立ち読みしている本を後ろから眺めたりして過ごしていたの。初めは寂しかったけれど、もともとひとりが好きだったし、友達も少なければ長く付き合った恋人もいない寂しい人間だったから、すぐに慣れた」
みきさんの語りが何故か自虐じみてきて、反応に困る。都築君が黙っているので、わたしもそれにならうことにした。
「そうしているとたまに、私に気づく人がいるのよね。恐る恐る見つめられたり、目が合った瞬間にびくりと反応されたりしたら、何だか嬉しくて、悪戯したくなっちゃうの。周りの視線を気にして、気を張りながら生きていた頃からは考えられないことなんだけれど」
「悪戯って?」
「大したことはしないわ。笑うだけ」
都築君の質問に、みきさんは笑って答えた。笑うことで答えたと言うべきか。
ちょっとした悪事を成功させた子供のような、無邪気な笑み。大人っぽくて育ちのいいお嬢様という印象を抱いていたみきさんには、あまりそぐわないような。
だけど、こう言ってしまうと失礼だけれど、とても可愛かった……なんて考えて、すぐに恥ずかしくなる。
元の表情を大人びて落ち着いた表情に戻ったみきさんは、そんなわたしをよそに話を続けた。
「淳に出会ったのは、私がこっちへ来て一年くらい経ってからのこと。いつものように本屋の通路をふらふら歩いていたら、こっちに視線を向けているちょっとかっこいい男の子がいることに気付いたの。そのとき私、しばらくは自分のことが見える人に会っていなかったから、嬉しくなっちゃって。にっこり笑いかけてやったのよ」
みきさんはそう言ってまた笑った。
さっきの悪戯っ子のような笑みとは少し違って、純粋に嬉しそうに、恋人との惚気話をする少女のように。
「そうしたらその男の子は驚いた顔をした。私はたぶん、にやにやしながら立ち去ったと思うわ。で、何日か後にもそのお店に行ったら、またその子がいたの。こちらも驚いたけれど、また大げさな反応をしてくれたから、楽しくて」
聞きながら、わたしはジュン君の言葉を思い出す。
確か、彼はみきさんに一目惚れしたと言っていた。つまりそのときのジュン君の驚きは、オバケを見たことに対するものではなかったのだろう。
「そして、三回目に会ったとき。流石にもう驚いてはくれないだろうと思って、近付くだけにしておいたら、彼の方から話しかけてきたの。今度はこっちが驚く番だった。仕返ししようかと考えているうちに、連絡先を尋ねられたわ」
「ジュンさん、結構積極的っすね」
都築君が顎に手を当てながら相槌を打つ。これまた、女友達の惚気話を聞いているようにしか見えない姿だった。
「本当にね。私がメールアドレスも電話番号も持っていないと答えたら、淳はアドレスを取ったら連絡してくださいと言って、紙に書いた連絡先を渡してきたわ。それで、彼は私の正体に気付いていないんだって分かった。だから私、わざと紙に手を伸ばしてやったの。さっき杜羽子さんにしたみたいにね」
「でもそのときは、透けなかったと」
「ええ。つかめたのよ、その紙」
そう言ってみきさんが掲げた指先には、本当に白い紙が挟まっているかのように思えた。
「手に持った紙を呆然と眺めているうち、よろしくお願いします、と言って男の子はどこかへ行ってしまった。取り残された私は、その紙が周りからどう見えているのかと不思議に思ったわ。ぷかぷか浮いて見えるのかなって。だけど、周りの人が不審がっている様子はなかった。……もしかして私、見えているの? そう思って、家族のいる部屋に向かってみた」
彼女は過去を懐かしむように、夜空を軽く見上げる。