二、店員とお客様・3

文字数 2,770文字

 はじめは、二組のおひとりさまがたまたま同時に来店したのかと思った。

 けれどどう見ても、ジュン君が前で女性が後ろって感じじゃなくって、せいぜい斜め、いや大人しく隣とみなすべきくらいの位置関係だった。そもそも距離がかなり近い。
 間違いなくこれは、おひとりさま二組ではなくおふたりさま一組のご来店だ。

 あっけにとられて出遅れていると、ジュン君が先んじて挨拶をしてくれた。
 わたしは動揺を隠すように、いつも以上に明るく、いらっしゃいませ! と声を張り上げた。そしてなんとなく、いつもとは違う席へ案内する。
 その短い道中、ジュン君が小さな声で杜羽子さん、と言った気がして、わたしは反射的に振り向いた。
 すると隣の女性がぺこりと頭を下げ、光沢のある生地のブラウスが柔らかく波打つ。優雅な仕草だ。
 遅れて、自分は今呼ばれたのではなく紹介されたのだと気づく。
 つまりジュン君と彼女は、行きつけの喫茶店の店員の名前が話題に挙がるような、何気なくも細やかな日常会話を交わす仲だということで。

 二人を席に案内し、ご注文はのちほどお伺いします、というジュン君相手には普段言わない決まり文句を残して、わたしはそそくさとそこを離れる。すると近くの席の食器を片付けていた都築君が目ざとく状況を察したらしく、こちらへ近づいてきた。
「綺麗な人ですね。ジュンさんの彼女ですか?」

 そんなの分からないよ。あるいは、お友達じゃない?
 そのどちらかの返答でお茶を濁そうかと思ったが、わたし自身もう確信してしまっていた。とはいえ、昨日の会話もあって正直に答えるのは憚られる。
「さあ。聞いてない」
 辛うじて出せたのはそんな答え。都築君はわたしから視線を外し、さりげなくジュン君達の席に向けた。
「メニュー、閉じましたね。行ってきます」

 案内した張本人のわたしを放置して、実になめらかな動きで二人の席へ向かった都築君は、まずは普通に注文を尋ねる姿勢を取る。その後何やら話し出したと思うと、珍しく動揺した様子で、大袈裟に首を横に振るなどしていた。
 何の話をしているのか、知りたいとも知りたくないともつかない気持ちで、わたしはその光景を横目で眺める。黒目を目尻の方までぐいぐい寄せながら。

 ややもせず、都築君が戻ってきた。そして深刻な調子で告げる。
「杜羽子さん、どうしましょう。あのお嬢様、店長の特製コーヒー(だいたいうすあじ)を御所望ですって。俺はちゃんと止めたんですけどね」

 こいつはそんなことに動揺していたのかと思いつつ、わたしは女性を改めてまじまじと見た。
 確かに、育ちが良さそうなお嬢様という印象を受ける。(だいたいうすあじ)なんて出してしまって本当に大丈夫なのだろうか。
 しっかりした目鼻立ちに、きりりと整った眉をした、綺麗な上に芯の強そうな人だ。それに女性にしては背が高く、少し近寄りがたい雰囲気があった。高嶺の花という言葉がよく似合う。
 ジュン君は決して高身長ではないから、ヒールを履けば見下ろせてしまうんじゃないだろうか。実際のところ彼女は黒いぺたんこのパンプスを履いているけれど、それはそのことを気にしているからかもしれない。

 だけど、不思議とお似合いの二人だった。自然にそう思ってしまっている自分に、はっとする。

「あ、そうだ。やっぱりジュンさんの彼女ですって、あの人」
 都築君は思い出したようにあっさりと言う。そこに驚きはなさそうだ。わたしにとってもさほど意外ではなかったものの、動揺はしていた。

 ……そうか。ジュン君、本当に彼女がいたんだ。それも、よりによってここへ連れてくるなんて。どうして急に? やっぱり彼は、早奈美ちゃんのことを何とも思っていなかったのだろうか。
 何気なく、早奈美ちゃんとのことを彼女さんに話したりしていたのかも。それで彼女さんが妬いてしまって、この店を偵察しに来たとか。
 もしそうだったらあの人は、この店にあまり健全でない感情を抱いているのかもしれない。

「ちなみに、みきさんっていうお名前だそうですよ」
 黙り込んでしまったわたしを見かねてか、都築君が追加情報をくれる。名前を聞いたところで何もわかりはしないのだが。
 返事をしないわたしを見て都築君はため息をつき、「どうしましょうね。あ、(だいたいうすあじ)のことじゃなくて」と、柄にもなく苦しげに言った。
「俺、ジュンさんにその気がないのはなんとなく分かってましたけど……杜羽子さんが言うみたいに、さなみんの方はそうじゃないっていうのも、合ってる気がします。何となく、ですけど」

「わたし達の勘違いならいいんだけど。もし本当にそうだったら」
「傷つきますよね、さなみん。今ならまだ傷も浅いか? ……いや、そういう問題じゃありませんよね。何にせよ、元を辿れば俺のせいだよなあ」
 都築君は目線をあちらこちらに動かし、またため息をつく。そのまま眉を寄せて、うんうん考え込み始めてしまった。
 他のお客様もいるし止めるべきかな、とわたしが迷っていたところで、彼ははっと気づいたように顔を上げ、「そうだ、注文を伝えてこないと」と呟いて、ふらふらと調理場へ吸い込まれていったのだった。

 わたしもふと我に返り、あまり待たせてはみきさんが気を悪くするかもしれない、ひとまず水でも注ぎ足しに行こうかと思って様子をうかがう。
 しかしそんな素振りはまるでなく、みきさんもジュン君も、二人で過ごすこの時間が楽しくてならないという風に笑い合っていた。まさしく仲睦まじいカップルのデートシーン、という感じだ。

 早奈美ちゃんがこの様子を見たらどう思うだろうか。あっさりと、ああそうなんだ、と流せるだろうか?
 これがもし、今よりもっとジュン君との仲を深めた後だったら。取り返しのつかないところまで走っていってしまった後だったら。だけど都築君の言う通り、走り出したばかりならセーフというわけでもない。
 ……わたし達の考え過ぎで、実際のところ早奈美ちゃんの方も、ジュン君のことは年上のオバケ友達くらいにしか考えていないという可能性もあるけれど。

 すると店の扉が開く音が聞こえて、仕事中に余計なことばかりを考えていた後ろめたさが一気に湧き上がる。
 駄目駄目、他のお客様にもしっかりとサービスを提供しなくては。慌てて制服の襟を文字通りに正し、気持ちを入れ替えて、わたしを正気に戻してくれたお客様を見やる。

 見知った顔、件の早奈美ちゃんの姿がそこにあった。
 正確には、お友達に連れられてやってきた早奈美ちゃん。お友達というのは、確か彼女が初めてカンヴァスを訪れた、あるいはジュン君と出会った日に一緒だった子だ。

 嘘、どうしてよりによってこんなときに。

 わたしは思わず、店の天井を見上げる。点在する照明に目を刺されて、頭がくらりとするのを感じた。
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