五、早奈美ちゃんのお願い・2

文字数 2,359文字

「今のは失礼でしたね。すみません」
 都築君は慌てて頭を下げる。
「でも、高いメニューって量の多いフードメニューになっちゃいますよ? 早奈美さんには厳しい気が……なんで、そんな注文を?」

「そ、そうなんですか」
 改めて問われると、早奈美ちゃんは恥ずかしそうにうつむいた。
「実は……都築さんと杜羽子さんに、お願いしたいことがあるんです。それで申し訳ないから、ちょっと高いものを注文したほうがいいかなって」
「え、つまり俺達を買収しようと?」

 意外な発想に、思わず吹き出しそうになる。
 それを誤魔化そうとして、わたしは手をぶんぶんと大げさに振りながら話しかけた。

「そんな、それでわたし達の時給が上がるわけじゃないし。早奈美ちゃんが頼みたいものを頼んでよ」
「そうそう。時間も時間なんで、正直用意も片付けもパッとできるもののほうがありがたいっす。それで、頼みたいことも頼んでくれていいですから」
 都築君が、うまいこと言ったでしょうと言わんばかりにこちらを見てくるが、知らぬふりをする。

「すみません……じゃあ、オレンジジュースで」
「はあい」
 結局いつも通りな早奈美ちゃんの注文を受け、都築君はカウンターの方へ歩いていく。

「……あの、杜羽子さん。昨日と今日、ジュン君はお店に来ましたか?」
「ううん、来てないと思うよ」
「そうですか。じゃあ」
 早奈美ちゃんは少し言いづらそうに、声をひそめた。
「彼女さんは? ジュン君の」
「え、みきさん?」
 自分で口に出した名前にどきりとして、わたしは返答に困ってしまう。

 なんで、みきさん? わたし達が昨夜彼女と会ったこと、まさか察したの?
 いやいやそんなの、分かるわけがない。

 何にせよ、彼女がこのお店に来ていないことは確かだ。だから正直に答えた。
「来てないよ。そもそもみきさんの方は、うちの常連さんじゃないし」
「……そうですか」
 早奈美ちゃんの声は心なしか残念そうに聞こえる。ここへ来ていてほしかったのか、みきさんに。
 なら、わたし達へのお願いというのはひょっとして――

「オレンジジュースでーす」
 唐突に、グラスを持った都築君の腕がわたしと早奈美ちゃんの間に割り込んできた。

 早奈美ちゃんは一瞬びくりとしたが、すぐに「ありがとうございます」と、都築君に向かって笑顔を形作る。

「お待たせしました。んで、お願いって?」
 即座に本題に入ろうとする都築君。
 早奈美ちゃんは笑顔から一転、真剣なまなざしになると、ゆっくり口を開いた。

「ジュン君を、彼女さん……みきさんに会わせてあげたいんです。お二人とも、私と一緒に探してくれませんか」
「みきさんを探す?」

 驚きの声を発したのは、都築君だ。わたしはさっきの話から薄々分かっていたから。
 早奈美ちゃんは続ける。

「やっぱり、二人が別れたことと私とジュン君が会っていたことは、何か関係があるんじゃないかと思うんですよね」
「いや、それは」
 と、わたしは否定しようとするが、どうにもしきれない。

 ……関係があるかないかでいえば、間違いなくある。
 ただし原因は完全にみきさんのほうにあるわけで、早奈美ちゃんに責任は全然ない。それは確かなのだ。

「絶対に関係ないとは言い切れないけど……早奈美ちゃんが責任を感じる必要はないよ。それは、絶対」

 わたしは彼女を安心させてあげようと、瞬きもせずにその黒い瞳を見つめて言った。都築君が横から、そうですよと同意する。
「ありがとうございます」
 早奈美ちゃんもこちらを見て、困ったように笑った。

「でも、たとえ自分が関係なくたって、みきさんを探したいっていう気持ちは変わらないんです。ジュン君にもう一度、彼女と会って……ちゃんと話をさせてあげたい。どうやって探せばいいかなんて全然分からないんですけど」
 ゆっくりと、力強く言った早奈美ちゃんの声色には、憔悴していたり不安に駆られたりしている様子は全然、なかった。
 彼女なりにきちんと、冷静に考えて決めたことなのだろう。

「好きな人にきちんと自分の気持ちを伝えられないまま会えなくなっちゃうなんて、つらいじゃないですか。私、ジュン君に助けてもらってばかりだから、恩返しというか……何かしてあげたいんです」
 早奈美ちゃんは照れくさそうな、けれど少しだけ寂しそうな表情を浮かべてから、「お願いします」と頭を下げた。

 わたしと都築君は顔を見合わせて、しばらくの間、視線を交わす。わたしが大きく頷くと、都築君は小さく頷いて、早奈美ちゃんの方を見た。

「早奈美さん。みきさんがジュンさんと別れた本当の理由、聞きたいですか?」
「え?」
 早奈美ちゃんはきょとんとしている。話が飛んだと感じたのかもしれない。

「本当の理由? 都築さん、そんなのご存知なんですか」
「実は、みきさん本人から聞きました。今じゃ連絡が取れない状況にいるのは、俺達も同じですが」
「それ、ジュン君も知ってるんですか?」
「いいえ。彼は知りません」
「だったら、私が先に聞いちゃうのは良くないですよ。それで……」

 早奈美ちゃんはそこで話を終えようとしたが、都築君は気にせずに続けた。
「本気でみきさんを探すつもりなら、知っておかないとどうにもならない話なんですよ。ただ、聞いたらショックを受けるかもしれないし、ジュンさんも知らないことを胸に秘めておくというのは、あなたにとって重いことなのかもしれませんけど」

 早奈美ちゃんは黙って都築君を見つめている。わたしも口を挟めなくて、しばらくの間、店に調理場の声しか響かなくなった。

「なら、聞きます。教えてください」
 早奈美ちゃんのきっぱりとした答えを聞いて、都築君が一瞬、目を閉じる。

「分かりました」
 次にその目が開かれたときには、彼の口はもう、昨夜の出来事を語り始めていた。
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