二、店員とお客様・2

文字数 2,755文字

 都築君はわたしの目を見ながら訝しげな表情を形作り、それを崩さないまま隣まで歩いてきた。
 その顔が少し面白くて笑いを堪えていると、わざとらしく眉をひそめてしまったが、怒ってはいなさそうだ。

 そんなわたし達のことなど意にも介さず、早奈美ちゃんとジュン君は二人の世界を作りつつあった。
「本当に怖かったの。電車に乗っても建物に入って時間を潰しても、外に出たらまたあのオバケがいて、そのうちだんだん、家が近づいてきて……」
 ジュン君は黙って早奈美ちゃんの話を聞いている。都築君がちらちらとこちらに視線を送ってきていて、言いたいことはなんとなく分かったものの、気にしないことにした。
「結局、本当に危ない奴だったかは分からないけどね。片江さんの様子を見て、自分が見えているのかどうか気になっただけかも。あれからは現れていないの?」
「うん、一度も。ジュン君が追い払ってくれたおかげ」

 早奈美ちゃんは笑っていたけれど、何故か今にも泣き出してしまいそうな声に聞こえた。
 そのときの状況を鮮明に想像することはわたしにはできないけれど、きっと本当に怖かったのだろう。

 ところで都築君の目はもはや完全にわたしを凝視していて、流石に反応せざるを得なくなってきた。少し躊躇いつつ横目で視線を返すと、彼は「起きてる!」と、相当声をひそめて、ほとんど息だけで叫ぶ。
「起きてるじゃないですか、杜羽子さん。俺の知らない間に何か、オバケ退治的なイベントが」
「そうみたいだねえ」
 二人に聞こえてしまっているんじゃないかなあと思いつつ、一応わたしも小声で返事をする。

「良かった。まだしばらくは気をつけたほうがいいと思うけど……何も起きなくても、不安を感じたらいつでも連絡して。ちょうど今、大学は春休みだから。近所なら走ってでも行くよ」
 ジュン君が冗談めかして言って、早奈美ちゃんはほっとしたように笑った。

 都築君がそれに被せるように、しかし一応小声は小声で「たぶん俺のほうが近所ですよ。今度から俺にも連絡してくれるように言おうかな」と、不満げに呟く。
「都築君に連絡してどうするの。それに、都築君にはまだ学校も、アルバイトもあるでしょ」
「そんなの、放り出して行きますよ」
「放り出さないでよ」

 わたし達をよそに、ジュン君は言葉を続ける。爽やかな、嫌味のない笑顔で。
「実は、頼ってもらえてちょっと嬉しかったんだ。思えば僕、喫茶店で突然話しかけてきた、隣の席の怪しい男なわけだしさ」
「確かに、あのときはびっくりしたけど……でも、怖くて何も考えられなくなったとき、ジュン君のことが一番に浮かんだの。ジュン君ならきっと、助けてくれる気がして」
 ジュン君は早奈美ちゃんの言葉に元々丸い目をさらに丸くして、ありがと、と小さく言った。

「さなみん、いつの間にかタメ口になってるし。本当、何があったんだ」
 都築君が悔しそうに声を絞り出す。
「どうして俺の知らないところで事件が起きるかなあ。ここで出会ったってのにちょっと薄情じゃないですかね」
「何言ってるの。お客様の一生のうち、この店で過ごす時間の割合なんて小数点以下何桁パーセントだと思う? そりゃ、事件のほとんどは店外で起きるよ」
「そりゃそうですけど……」
「何があったかはよく分からないけど、解決したみたいで良かったじゃん」

 何でも、早奈美ちゃんからの連絡を受け取ったジュン君は、ずっと電話を繋いで話を聞きながら駆けつけてくれたらしい。電車に乗っている間も関係なく。
 まあその行為の是非には言及しないこととして、電話の向こうでアナウンスされる駅の名前が少しずつ現在地に近づいてくるのを聞いて、早奈美ちゃんは凄く安心できたのだとか。
 ……何はともあれ、彼女の身に何事もなくて本当に良かった。

 ジュン君の方は早奈美ちゃんへの気遣いからか、その話を長く続けるつもりはなかったらしい。関係ない世間話を始めて、早奈美ちゃんも嬉しそうにそれに応じる。
 その表情は明らかに恋する乙女のそれだ。たぶんだけど。

「わたし達は、ただ温かく見守ろうよ。ね?」
 わたしは都築君の肩にぽんと手を乗せた。
「このカンヴァスでの出会いがお客様に幸せを運ぶことがあったら、店員冥利に尽きるじゃん。それがわたし達のあずかり知らぬところの出来事でもさ」
 自分の口元が思わず緩むのを感じたが、都築君は何故か唇を尖らせている。
「うーん……勘違いだと思うけどなあ。杜羽子さんのその邪推、いや見立て。俺、本当にそういうつもりはありませんでしたし」

 正直、早奈美ちゃんの表情を見ればもう間違いないと思うのだけれど……そう思って再び二人の席に視線を送ろうとすると、唇を尖らせたままの都築君が語り始めた。
「だって、恋愛感情があったらわざわざうちになんて来ませんよ。俺達が見てる前で話そうと思います? さっさと店外デートに誘うでしょ、普通」
「そうかなあ。奥手なのかも、二人とも」
 わたしの反論を聞いて、都築君は首を小さく左右に振る。
「俺、ジュンさんは彼女いると思いますね。もてそうだし。だから、誤解されないようにあえてオープンに会ってるんじゃないですかね」

 そんなことないでしょう、流石に思わせぶりだよ、それは……などと言いたくもなったが、ジュン君と早奈美ちゃんに聞こえてしまっては一大事だ。都築君ひとりを悪者にするようで卑怯な気もしたが、わたしはただ、そうかなあ、とだけ言って誤魔化した。

 そしてようやく、二人に視線を戻す。
 早奈美ちゃんはずっと笑顔でいるけれど、その笑いは少し控えめで、口元が大きく開きそうになるとすっと手で隠す。こんな仕草、友達と二人で来店したときにはしていなかった気がする。
 ジュン君はどうだろう。少なくとも、どう見たって楽しそうではあった。

 わたしはぼーっと、話すジュン君の姿を眺める。
 背は決して高くない、一七〇センチあるかないかくらいだと思うけれど、姿勢が良くて顔が小さいからすらっとして見える。ぱっと目を引く美形ではないけれど、愛嬌のある顔立ち。カジュアルながら服装もきちんとしていて、髪型はさっぱりと整えられている。
 失礼な言い方をすれば、手が届きそうなくらいのかっこいい男の子だ。確かに、もてるタイプかもしれない。

 結局その日、それ以上の進展は特になく、ただいつもより少し遅い時間に、いつも通りわたし達にお礼を言って二人は帰っていった。そして店を左に出て一五メートルほど歩いたところの分かれ道で、いつも通りに別れる。

 次の日もジュン君はいつも通りにカンヴァスを訪れたけれど、その時間は珍しく、いつもよりかなり早かった。
 さらに珍しいことに、彼はひとりじゃなかった。肩にかかるくらいのダークブラウンの髪を外巻きにした、綺麗な女の人を連れていた。
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