四、みきさんの事情・1

文字数 2,476文字

 翌日、業務を終えたわたしと都築君は、みきさんとの待ち合わせへと急いだ。
 場所は喫茶カンヴァスの近くの公園。
 わたしからは前回彼女と食事をしたレストランや、閉店後のカンヴァスでの待ち合わせを提案していたのだけれど、やんわりと断られてしまい、結局みきさんの希望に合わせたのだった。
 あまり長話をするつもりはないという意思表示なのだろうか。つい悪い意味にとらえてしまい、足取りが重くなるのを感じる。
 ……都築君が一緒で良かったと、密かに思った。

「どうしました、杜羽子さん?」
「ううん、何でもない」
 そんなことを考えながら都築君の横顔を見上げていたら、本人に気取られてしまったらしい。
 わたしは少し動揺したが、都築君は自分から尋ねたわりに興味がない様子で、こちらを見もしない。
「そういや、公園で待ち合わせというのは聞きましたけど、どのあたりにするか決めるのを忘れましたね。結構広いですよ、この公園。もうすっかり暗いですし」
 彼はそう言って首をひねったけれど、特に問題はなさそうだった。
 照れくさくなって移動させたわたしの視線の先に、たまたま、当のみきさんがいたから。

「ああ、杜羽子さん」
 石でできたベンチに腰掛けていた彼女は、すぐさま立ち上がって手を振った。穏やかに微笑みながら。その親しげな雰囲気に、わたしはかえって警戒しつつ近づく。
「と……あなたは、確か」
 みきさんはそんなわたしの隣を見て、言葉と手を止めた。
「カンヴァスの店員の、都築です。勝手について来ちゃってすみません」
「構わないわ。杜羽子さんひとりで来るように、なんて言わなかったものね」

 都築君は手早く挨拶を済ませる。それでみきさんの機嫌が損なわれるようなことはなく、心の中で安堵のため息をついた瞬間だった。
 都築君が「どうしてジュンさんに別れ話をしたんですか?」と、驚くほど単刀直入に話を切り出したのは。

 みきさんの口から、え、とシンプルな驚きの声が漏れる。
「……都築さん、とりあえず座らない? 杜羽子さんも」
「じゃあ遠慮なく。ほら、杜羽子さんも」
 みきさんの提案にあっさり従った都築君は、当然のようにみきさんの左隣に陣取ると、自分の左隣のまだ空いているスペースをぽんぽんと叩いた。
 二人に促されたわたしは、虫がいないかを確かめる暇もなく、言われるがままに腰を下ろす。ズボン越しにひやりと、夜の冷え込みに晒された石の冷たさが感じられた。

「で、その、どうして」
「分かったから。ちょっと待って」
 返事を催促する都築君に対し、みきさんは呆れたような表情を浮かべている。
 まだ怒ってはいなさそうだが、流石に見ていてはらはらした。
「聞かれるとは思っていたけれど、ここまで直球で来るとは思わなかったから、心の準備が追いつかないわ……そうね。淳はどんな風に話していたの?」
「一方的に別れを告げられて、混乱してるし納得いってないって感じでしたね。あと、滅茶苦茶凹んでましたよ」
 都築君の発言に目を瞬かせるみきさんを見て、わたしは慌てて二人の会話に割り込む。
「ちょ、ちょっと都築君。価値観の相違って言ってましたよ、ジュン君は」
「あ、ああ……そうね。それで合ってるわ」
 みきさんは少しほっとした様子で、わたしの言葉に頷いた。

「具体的に、何か嫌なことがあったわけじゃないけれど……以前から、淳と私は合わないと思っていたのよ。彼は凄くいい人なんだけど、共感しあえないことが多くて。要は、彼はいい人だけど私はそうでもないし、彼は根が明るいけど私はそうでもないから……」
 迷いながら話している様子のみきさんを、わたしと都築君はじっと見つめる。
「だから……そうね。早めに別れて、他の子と付き合ったほうが彼にとって幸せだと思うの。このまま付き合い続けていたら、きっとぼろが出るから」
「何ですかそれ、抽象的すぎますよ」
 話がひと段落した瞬間、都築君がぴしゃりと突っ込みを入れた。

「もうちょっと納得できる理由が欲しいっすよ。全然関係ない俺でさえそう思うんだから、ジュンさんなんてもっとそうでしょうよ」
「理由と言われてもね。彼に悪いところは別にないんだもの。むしろ悪いのは私……」
「合わないこと自体は仕方ないですけどね。でも、どうして今なんですか? しかも何の前振りもなしに、メール一通でお別れなんて」
 都築君の声は決して乱暴ではなく、むしろ淡々としている。けれど本当のことを聞き出そうというきっぱりとした意志が感じられて、ちょっとやそっとの言い訳では引き下がりそうにない。
 みきさんは完全に押されてしまっていて、次に紡ぐべき言葉がなかなか見つけられない様子だ。

「やっぱり、さなみん……片江早奈美さんのことが、きっかけですか。彼女とジュンさんがカンヴァスで会っていることも、ジュンさんが彼女を助けたことも、全部聞いているんですよね?」
「……聞いたわ。淳は私に隠し事はしないから。特に、女友達が関わることは」
「じゃあつまりあれですか。他の子って、早奈美さんのことですか」
 都築君はみきさんの目を見据え、返事も待たずに続ける。
「もしかして、ジュンさんは自分よりも彼女と付き合うべきだとでも思ったんですか? あなたがジュンさんに別れを切り出したのって、あなたと早奈美さんがカンヴァスで居合わせた日のことですもんね」
「それは……」
 みきさんはまた、黙ってしまった。
 今度は都築君も、沈黙を切り開いてはくれなかった。わたしもすっかり口を挟めずにいたから、にわかに気まずい静寂が訪れる。
 これを終わらせることができるのは自分だけだと気づいたのか、しばらくして、意を決した様子のみきさんが口を開いた。

「ええ……そうね。あの子、淳のことが好きなんでしょう? 一目でわかったわ」

 それを聞いて、わたしは二人の破局の理由について漠然と抱いていた想像が、意外にも当たっていたことを知る。

「そうかもしれませんね。俺達にだって、本当のところは分かりませんけど」
 言いながら都築君は目を伏せたが、彼がどんな感情を抱いてそうしたのかは、今ひとつ分からなかった。
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