二、店員とお客様・4

文字数 3,152文字

 わたしは咄嗟に、ジュン君達の姿が早奈美ちゃんの視界に入らないよう、自分の体で壁を作りながら二人の女の子の前に立った。
 とはいえわたしの身長は女性の平均より少し高い程度で、自分で言うのもなんだが横幅だってそんなにない。うまく隠せているか気が気じゃなかった。
 取り急ぎ、ジュン君達とは離れた、入り口近くの席に二人を案内する。

 そこまで計算したわけではなかったが、観葉植物が重なって上手い具合にジュン君は見えなくなった。それに彼は背中を向けていたから、多少ずれたとしても恐らく気づかれはしない。都築君が彼等を妙に奥まった位置まで案内してくれていたことが幸いした。
 みきさんの方はばっちり見えてしまっているけれど、彼女単体なら目撃されたところで問題はあるまい。
 わたしがおかしな素振りを見せることで早奈美ちゃんに怪しまれてしまってもいけないので、なんとか平静を保とうと努める。

 普段通り普段通りに、と心の中で呟きながら取った注文は、アイスティーとオレンジジュース、それからチーズケーキがひとつ。友達と半分こでもするのだろうか?
 それはいいとして、早奈美ちゃんの方の注文がアイスティー、それもレモン付きだ。きっと他意はないのだろうが、あの日の光景が頭をよぎってしまう。

 ようやく緊張の場面を脱したわたしは、ジュン君達の席に飲み物を運んだばかりの都築君に注文を伝えた。それに対する返事があまりにお気楽な調子だったので、「都築君。気づいてる?」と、視線で早奈美ちゃんの席を示しながら囁いてやった。
 ……わたしだけが困っている状況はなんだか悔しい、一緒に困れ。
「え? 何に……」
 都築君は早奈美ちゃんの姿を見るなり細い目を丸く、いやせいぜいアーモンド型くらいに広げて、さなみん、と呟いた。それと同時に、氷が少し高い位置からグラスに落ちる音が響く。

「この時間に来るなんて、珍しいっすね。何でまた」
 彼はそこで一度黙り、アイスティーとオレンジジュースを注いでから再び口を開いた。
「ああそうか、短縮授業だ。俺もそうだし。お友達とお昼を食べた後、喫茶店へハシゴってとこかな。なるほど」
 そして手際よく冷蔵庫から取り出した自家製チーズケーキを皿に盛ると、注文の品一式をトレイに載せる。
「杜羽子さん、お願いします」
 彼なら自分が行きたがるかと思ったが、任されてしまった。わたしは大人しく、へいと投げやりな返事をして、早奈美ちゃんの様子をうかがう。

「早奈美、お手洗いの場所ってわかる?」
「あれ? ()()ちゃん、前にも私と一緒にここへ来たよね」
「そうだけど、そんなところまで覚えてないよ」
「まあ、そっか。確か……」

 この店のお手洗いは、彼女たちの席からはよく見えない位置、かなり奥の方にあるから、お友達がすぐに見つけられなかったのも無理はない。
 とにかく早奈美ちゃんはそれで、親切にも席を立って、自分の目でお手洗いの位置を確かめてから、お友達に伝えようとした。
 そのために店の奥、ジュン君達のいる方をのぞき込んで。

 瞬間、早奈美ちゃんの表情が凍り付いた。明らかにジュン君とみきさんの存在に気づいて、さらに推測するなら、二人の関係をも察した顔だった。

 頬と頭の奥が、さっと冷たくなる感じがした。同時に、わたしも察する。
 早奈美ちゃんの胸にはやっぱり、ジュン君への淡い恋心があったのだろうということを。

「あ、あっち? ありがと」
 そんな早奈美ちゃんの様子に気づいていないのか、お友達の女の子はよく通る声でお礼を言って、元気よく立ち上がった。
 わたしは無意識に早奈美ちゃんの目線を追う。その先にはジュン君の後ろ姿。
 改めて見て、知り合いであれば、まして恋する女の子の目ならば、間違いなく本人だと認識できるだろうと感じた。勿論ジュン君が早奈美ちゃんに気づいている様子は、全くない。

 だけどみきさんの方は、そうでもなかった。
 わたし達の、特に早奈美ちゃんの様子にただならぬものを感じたのか、ジュン君に向けていた微笑みはにわかに失われ、何かを悟ったような表情に上書きされた。薄いベージュのアイシャドウとマスカラに彩られた涼やかなまなざしが、不意にこちらへ向けられる。

「今もろにあっち見ちゃいましたよね、さなみん」
 そんな一瞬の攻防を察しきれはしなかった様子の都築君が、両手で目を覆った。
「あれは気づいちゃったね……」
 わたしの返事に、都築君は唇を噛む。
「しまったなあ……泥沼とか、そういう場面見たくないんですよ俺。さなみんが何も知らないままでジュンさんに会い続けるってのも、結局良くはなかったのかもしれないですけど」
「わたしだって見たくないよ」

 いたたまれない気持ちを抱えながら、わたしはトレイを携えて早奈美ちゃんの元へ向かおうとする。
 何か声を掛けるべきなのだろうか? でも、慰めるというのも違う気がするし。

 結局、わたしは普通に注文を持っていった。申し訳程度に「このチーズケーキ、美味しいんだよ。わたしもよく食べるの。余ったら持って帰らせてもらったりしてさ……甘いものって元気が出るから」との言葉を付け加えて。気休めにもならないけれど。

 その後しばらくして、ジュン君とみきさんが席を立った。わたしは慌ててレジに向かう。二人の動線はばっちりと早奈美ちゃんの席の前を通っていて、なんだ結局どうしようもなかったんじゃないか、と嘆息した。

「どうしたの、奢ってくれるの? いつもは別々なのに」
 率先して財布を取り出そうとしたジュン君を見て、みきさんは悪戯っぽく笑う。からかわれたジュン君は少し恥ずかしそうに、財布の表面を撫でながら答えた。
「今日はいいよ。八〇円だし、あれの代金を払わせるのはなんか申し訳ないし」
 そのあんまりな言い草に、こちらが申し訳なくなりつつ、「お支払い、別々でも大丈夫ですよ」と口を挟んでみる。

 それを聞いて、みきさんは何故か嬉しそうな顔をした。
「じゃあ、別々でお願いします。こっちの彼がアメリカンコーヒー」
 わたしは彼女の言葉に従い、ジュン君の分のお会計を先に行う。ジュン君はそれ以上食い下がらず、自分の分だけを支払うと、先に店の外へ出た。

 レジの前、正確にはレジの前後に、わたしとみきさんが残される。
「レシートをお願いします」
「あ、すみません」
 勝手にいらないだろうと判断してしまっていたレシートを要求され、わたしは少し慌てる。
 一方のみきさんはゆったりとした動作でそれを受け取ると、小さなショルダーバッグの内ポケットからボールペンを取り出し、裏に何かを書き込んだ。

 そのときわたしの頭に浮かんだのは、ジュン君と早奈美ちゃんが出会ったときのこと。
 ジュン君が自分の連絡先をカンヴァスの紙ナプキンに書き、それを早奈美ちゃんに手渡して――

 するとみきさんはそのレシートを、わたしに向かって差し出したのだった。
「杜羽子さん、今日のバイト終わりはいつ? 終わったらそこに連絡してほしいの」
「え?」

 何が何やらわからず、ひとまずレシートの裏を見てみる。そこには()()(づか)みきという名前と、フリーメールのアドレスが記されていた。
 まさか、ジュン君と同じことをやるとは思わなかった。流石にカップルだけあって似た者同士なのかもしれない。

「よかったら、晩御飯を一緒に食べない? あなたと話がしたくて」
 突然の誘いに、わたしは困惑する。
 どうして? 早奈美ちゃんのことを探るため、とか?

 何だか怖くなってしまって、はじめは断ろうかと思った。
 けれど彼女の意図が気になって、そしてカンヴァスでの出来事がジュン君と彼女の関係性にひびを入れてしまうかもしれない、という懸念が心に引っかかってもいて、気づいたら「分かりました、ぜひ」との返事をしてしまっていた。
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