序、喫茶カンヴァス

文字数 3,789文字

 「喫茶カンヴァス」は、大抵の人が喫茶店と聞いて思い浮かべるであろうイメージど真ん中の喫茶店である。

 暖色系の薄暗い照明に照らされた店内は全体的に茶色くて、自由な色彩を誇っているのは壁という壁に飾られた抽象画らしき絵画だけ。
 大手口コミサイトの片隅にひっそりと掲載されてはいるものの、一〇件かそこらの数の書き込みしかなくて、そのほとんどには「今どき珍しい、昔ながらの喫茶店。常連さん多し」なんてどこかで見たような文言が含まれる。つまりは珍しくもなんともない。

 それに並んで多いのは、「気になったのは、隣の席との間隔が近いこと。隣の女子高生の会話が気になって集中できませんでした」というちょっとした苦言だ。「女子高生」の部分は適宜、お昼休みの会社員や若いカップルといった登場人物に差し替わったりもする。

 わたしはそんなカンヴァスのアルバイト店員をかれこれ半年くらい続けていて、それなりに楽しく日々を過ごしていた。
 はじめは注文を取るたび、あるいは何かを運ぶたび、深呼吸をしたり逆に息を止めたりして心臓に無駄な負担を強いていたものだけれど、今では飲み物がなみなみと注がれたグラスだって、水面も心も乱さないまま運べてしまう。

 右手のトレイには、レモンを添えたアイスティーがひとつ。数日前からちらほらと聞くようになった注文だ。意外なところに冬の終わりを感じつつ、わたしは粛々と歩を進める。

 すると目的地たるテーブルのすぐ隣の席で、高校生らしき女の子二人がお喋りをしているのが見えた。
 ひとりはショートヘアの前髪をピンで留めた、少し猫背ぎみの真面目そうな子。もうひとりは背が高くてやたらと姿勢がいい、なんというか運動部でキャプテンを務めていそうな雰囲気の子。

「実はここ一週間ぐらい、同じオバケを何度も見るの。もしかしたら私、付きまとわれているのかも。なんだか怖くなってきちゃって……」
「よくいる顔ってだけなんじゃないの? あたしは()()()と違ってひとり暮らしなんだから、怖がらせないでよ。眠れなくなっちゃうじゃん」

 と、 ショートヘアの女の子が不安げに語り、背の高い女の子が明るく冗談めかして返す。
 わたしは何も聞こえなかったふりをして通り過ぎ、隣の席のお客様にアイスティーを届けた。あくまで粛々と。

 そのお客様、水色のチェックシャツにマウンテンベストを羽織った青年は、わたしに気づくなりノートパソコンのキーボードを叩く手を止めて、ありがとうございます、と爽やかに言いながら笑いかけてくれる。

 彼はここ数週間毎日のように見かける、結構な常連客だ。名前を直接尋ねたことはないが、ジュンと呼ばれているのを聞いたことがある。
 そのジュン君が、隣の席から聞こえたであろう会話を気に留めている様子は特になかった。
 わたしはほっとした気持ちで、早足ぎみにカウンター付近へと戻る。

 カンヴァスでは、少々変わった事情を抱えたお客様によく出会う。
 この場所自体が何やらいわくつきで、そういう人が立ち寄りやすかったり、訳あり話を打ち明けたくなってしまう雰囲気があったりするのだとか。先ほどのオバケが見えるという女子高生も、そのひとりなのかもしれない。

 ともかく、あっさり信じるわけではないが、嘘と決めつけることもできない程度にわたしはこうした状況に慣れていた。それに、お客様が店で何の話をしようとお客様の自由なのだから、その内容がどれだけ不可思議でもいち店員が気にすべきことじゃない。

 それよりもっとわたしが気にすべきなのは、恐らく我が同僚のことだった。
 ただでさえ訳ありのお客様が集まりやすいこの店には、その訳をよりややこしいものにしたがる奴がいるのだ。

()()()さん、交代します? こっちは今暇なんで、休憩がてら」

 あっさりした顔立ちをした茶髪の少年が、カウンターの奥から小声でわたしを呼ぶ。まさか、わたしも心の中で彼の名を呼ぼうとしていたなどとは思いもしないだろう。

「いいよ、ホールもしばらくは忙しくなさそうだし。お皿でも洗わせてもらえば?」
「もう全部洗っちゃいましたよ」
 面白くなさそうにそう言う少年――わたしより二歳年下ながら、カンヴァスでの勤務歴でいえば先輩にあたる、高校生アルバイトの都築(つづき)誠介(せいすけ)君。
 彼には少々、悪趣味な趣味がある。

「じゃあ、都築君こそ休憩していて。わたしはまだまだ頑張れるから」
 わたしは彼を先ほどの女子高生達に近づけてはなるまいと思い、調理場へ押し込めようとする。そしてふと気づいた。
 ……彼女達を席に案内したのは、わたしではない。ということは、都築君? だとしたら、もう手遅れかもしれない。

「あの。さっき、オバケがどうのって話していたよね」

 ちょうど意識していた席の方から若い男性の声が聞こえて、わたしはそちらに目を向ける。
 ジュン君だ。ジュン君が、いつの間にかひとりになっていた隣の席の女の子に話し掛けていた。

「していましたけど……うるさかったですか? すみません」
 オバケが見えると言っていたショートヘアの女の子は、困惑した様子で返事をする。
 もうひとりの子はどうしたのだろう。お手洗いにでも立っているのだろうか?

「いや、そんなことはないよ。勝手に話を聞いてしまってごめん。実は」
 ジュン君は手に持った紙、よく見ればカンヴァスの席に備え付けられている紙ナプキンを、女の子に手渡して言った。

「僕、オバケに触れるんだ。勿論、見えもする。もし危ない目に遭いそうだったら、すぐに連絡して。力になれるかもしれない」
「ええ?」
 女の子は驚きの、あるいは少し引き気味の声を上げつつ、ちらりと紙ナプキンを見て「御厨(みくりや)(じゅん)」と呟いた。それがジュン君のフルネームなのだろう。

「そう、僕の名前。君は?」
 ジュン君は続けて、女の子に名前を尋ねた。その笑顔は一見して何も企んではいなさそうに見える。ナンパならさりげなく間に入ろうかとも思ったが、ひとまずもう少し様子を見ることにした。
 女の子はしばらくの間迷う様子を見せてから、「(かた)()です」と、苗字だけを名乗る。
「よろしくね、片江さん。危ない目云々は置いておいても、もしオバケについて悩んでいることがあるならいくらでも聞くよ。僕でよければ」

 女の子改め片江さんの困惑を察したのか、ジュン君の声のトーンが少し下がった。
「とはいえ、いきなり連絡するのは気がひけるかな。気が向いたら、この店にまた来てよ。僕はだいたい、この時間にここにいるから」
「あ、ありがとうございます」

 片江さんはジュン君の意図をはかりかねているのか、上目遣いで彼の表情を観察しつつ頭を下げる。
 そこに連れの女の子が戻ってきて、「あんた、今隣のお兄さんと喋ってた?」とからかうように言った。
 それに対して片江さんは「いや、お店の紙ナプキンが飛んでいっちゃったから、拾ってもらっただけ」と否定し、どうやらそこでこの話は終わったらしい。

 一部始終を見ていたわたしは、同じ方向に顔を向けていた都築君を軽く小突く。
「ちょっと、都築君」
「あ、ばれちゃいました? 杜羽子さん、俺をあの子達に近づけないようにしてたみたいですけど……遅かったっすね」
 彼は悪びれた様子もなく笑い、わたしはため息をついた。

 都築君には悪趣味な趣味がある。それは一言でいえばマッチング。
 隣の席の話し声がよく聞こえ、なおかつ訳ありの人間が集まるという好条件、あるいは悪条件の揃ったこの「喫茶カンヴァス」に訪れた客を、さりげなく誘導して巡りあわせるのだ。
 単にうまくいきそうな男女などではなく、居合わせると、何か面白いことが起きそうな人同士を。
 ……今日は、オバケの見える少女とオバケに触れる青年、かあ。

 よく考えれば、店内は空席がほとんどを占めているにもかかわらず、女の子二人とジュン君の席が隣り合っているのは少し不自然に思える。都築君がわざとそう案内したに違いない。

「ジュン君は常連さんだから、都築君が事情を知っていてもおかしくないけどさ……あの女の子、片江さんのことはどうやって知ったの?」
「あの子、俺の家の近くの高校に通っているんですよ。わりと部活に力入れてる私学っすね」
 都築君の表情は心なしか得意げだ。
「それでつい先週、オバケの話をしているところに偶然遭遇したんです。今日いたお友達の女の子も一緒でしたね。そんな子達がこれまた偶然、ジュンさんのいるときに来店しちゃったんで、これは、と思って」
 あっけらかんと白状すると、彼は頼み込むように両手のひらを合わせた。
「もし俺がいないときに彼女が来て、何か起こりそうだったら、杜羽子さん、ちゃんと見ておいてくださいよ」
「もう、巻き込まないでよ」
 わたしはできるだけ、不満げに見えるような表情を形作ろうと努めてみる。
 もしまた片江さんがこの店に来たら、結局わたしは彼女とジュン君の行く末を見届ける羽目になるのだろうなと、半ば諦めながら。

「お願いしますよ。杜羽子さんだけが頼りなんですから」
 全く、調子のいい奴だ。だけど一応評価すべきところもあって、彼は自分の行いが原因となった出来事の責任はきちんと取る。彼のせいで出会ってしまった人達、起こってしまった事件が悪い方向に転んでしまわないよう、できる限りフォローするのだ。休日もシフトも関係なく。

 大体いつも、わたしを巻き込んで。
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