四、みきさんの事情・5
文字数 2,957文字
「五、六年振りぐらいに会った家族は、こちらを向くなり呆然として……私は、自分が見えていることをすぐに理解した。泣きそうになったけれど、その前に向こうが泣き出してしまった」
みきさんはわたし達の顔を見て、はっとした表情になった。
「ごめんなさい、話が逸れたわね。そう、それで私は、その日の出来事を思い返した。どうして急に自分の姿が見えるようになったのか、物に触れるようになったのか……思い当たることといえば、彼と話したことぐらい。そういえば、初めて淳に会った日も、私の方を見ている人が多かったような気がした。気のせいかもしれないけれど。とにかく、彼にもう一度会ってみようと思って、家族に新しいメールアドレスを取得してもらったの」
「あ、なるほど。みきさんはオバケなのに、どうして普通に連絡が取れたのかと思っていたんですけど」
都築君は合点がいったとばかりに手を叩く。よくもまあそこまで、普段通りに振る舞えるものだ。
「ええ、今では連絡用の端末も持たせてもらっているから。……初めて淳にメールを送ったとき、返信が届くまでには結構時間がかかったわ。その間にまた物に触れなくなっていて、少し焦った。でも無事に淳と再会することができて……私の手は再び、感覚を取り戻すことができた。やっぱり彼が原因だったんだと改めて確信して、また会う約束をしてから別れたの」
「内容をじっくり考えてたから、返信が遅かったんでしょうね。さては」
この場にいないジュン君をからかうように言う都築君。どういう立場にいるつもりなのだろうか。
「そうかもね。次に会ったとき、彼はオバケの話をしてくれたわ。自分といると、普通の人でもオバケが見えるようになるとか。それ、オバケのほうが実体化してるんじゃないの? と言ってみたら、驚いたような顔をしていた。でもそれもあり得るかも、って。私、自分がオバケだってばれるんじゃないかと思ったけれど、大丈夫だった。その日の別れ際に、告白されたわ」
ジュン君との馴れ初めを語るみきさんの顔はどこか照れ臭そうで、何より嬉しそうだった。とても、別れたばかりの元恋人の話をする態度とは思えない。
「自分の立場と彼の不利益を考えて、はじめは断ろうかと思った。でもやっぱり受け入れることにしたわ。彼といれば家族のそばにいられて、生きていた頃のように生活できるという誘惑には勝てなかった。それに……」
みきさんは一瞬口ごもるが、すぐにまた話し始めた。
「それに、私、男性と付き合っても長続きしたことがなかったから。彼とはほとんどナンパみたいな出会いだったし、どうせまたすぐに振られて、ひとり街をさまよう生活に戻るんだと思っていたの」
「それ、どうしてです? みきさん、美人だし穏やかなのに」
呑気な調子でデリケートな部分を深掘りしようとする都築君に、思わずずっこけそうになる。
「さあ。その前に別れた人に言われたのは『他に好きな人ができた』だったかしら。私、可愛げがないのかもね。怒ったり泣いたりするのが苦手だったし、ひとりでも大丈夫そうとか、よく言われるし……生きているときはいつも気を張っていたから、特にそうだったと思うわ」
「ああ。欠点とか隙がなさそうな女性って案外、恋愛はうまくいかないっていいますもんね」
「本当は欠点だらけなのに、腑に落ちない話よね」
そう言ってみきさんは拗ねたような顔をした。
……もしかすると、彼女が自然にそんな表情を作れるようになったのは、オバケになった後なのかもしれない。
「で、えっと。淳と付き合うようになった当初は、罪悪感を覚えていたわ。好きでもないのに一緒にいて、そうすることで普通の生活を送ろうと……要は、彼を利用していたわけだから」
みきさんは都築君に逸らされた話題を本筋に戻し、心苦しそうに続ける。
「実際、言ったこともあったの。正直あなたを好きかどうか分からない、なのに一緒にいるのは申し訳ない気がするって。そうしたら淳、僕の一目惚れだし、そりゃそうだよね。こちらこそ自分勝手で申し訳ないけど、僕はみきが好きだし、一緒にいられることが凄く嬉しい。いつか君にも同じように思ってもらえたらいいなと思う……って」
彼女は嬉しそうな泣きそうな、名状しがたい表情で語った。まるで亡くなった人を偲ぶように。
「あんなに好きになってくれる人、私を真っ直ぐ見てくれる人に、生きている間には出会えなかったわ。自分でも単純だと思うけれど、私もだんだん、淳のことが好きになりつつあった。元々見た目がそこそこ好みだったというのも、少しある」
話を聞きながら、都築君は相変わらず呑気な調子で笑っていた。呑気すぎて、もしかしたら空気を和ませようとしているのかもしれないとすら思えてくる。
「そうしたら、また別の罪悪感が生まれたの。付き合いが長くなればなるほど、私の正体を知ったときのショックはきっと大きくなる。おこがましくも、それで淳がどれだけ辛い思いをするかと考えると、私も辛くなってきた。隠し続けるわけにもいかないし、できるだけ早く別れなきゃ……そう思ったわ」
みきさんの瞳が潤んだような気がして、わたしは思わず凝視してしまった。オバケも涙を流すのだろうか?
「でも、付き合い続けることのリスクをどれだけ理解していても、私自身彼が好きで、できることならずっと一緒にいたかったから、自分からは離れられなかった。いっそ彼に他に好きな人ができて、私をあっさり捨ててくれればいいのにと思った。そうすれば諦めがついて、潔く普通のオバケに戻るか消えるかできるのに、と。消え方なんて自分でもよく分からないんだけどね」
「そこに……」
わたしは気がつくと口を開いていた。みきさんと都築君が揃ってこちらを見て、我に返る。
「そこに、早奈美ちゃんが現れたってことですか?」
「ええ。運命だと思ったわ。彼女はきっと、神様の使いか何かだと思った。これで私はようやく、諦めることができるって」
「運命、ですか」と、都築君が小さく呟く。
みきさんはとてもとても、寂しそうに微笑んで、「これで、話は終わり。淳との馴れ初め、それと最初に都築さんから聞かれた、別れ話をした理由。もうこれ以上、引き留めないでほしいの」と、絞り出すような声で言った。
本当に、もうやめてほしいという気持ちが伝わってきて、わたしは「でも」の二文字すら口にできなくなる。
「そうだ。できれば……私がオバケだってこと、早奈美ちゃんには伝えてあげて。自分のせいで私達が別れたと思っていたら、申し訳ないから。淳にだって、その方が彼が苦しまずに済みそうなら、伝えて構わない。酷い女だと思われるのは心苦しいけど……あなたたちに任せるわ。勝手なことばかり話してごめんね」
みきさんはわたし達に背中を向けた。
引き留めようと思ったはずなのに、何故か身体が動かない。
「みきさん」
かろうじて口は動かせたらしい都築君の、懇願するような声が聞こえた。
「追わないでね。もうあなた達にも会わない。メールの返信だって、もうしないわ」
みきさんは振り向きもせず、夜の闇の中に消えていく。歩いて去っていったようにも、溶けて無くなってしまったようにも見えた。
「さようなら」
最後に一言そう聞こえた気がしたけれど、幻聴だったかもしれない。
みきさんはわたし達の顔を見て、はっとした表情になった。
「ごめんなさい、話が逸れたわね。そう、それで私は、その日の出来事を思い返した。どうして急に自分の姿が見えるようになったのか、物に触れるようになったのか……思い当たることといえば、彼と話したことぐらい。そういえば、初めて淳に会った日も、私の方を見ている人が多かったような気がした。気のせいかもしれないけれど。とにかく、彼にもう一度会ってみようと思って、家族に新しいメールアドレスを取得してもらったの」
「あ、なるほど。みきさんはオバケなのに、どうして普通に連絡が取れたのかと思っていたんですけど」
都築君は合点がいったとばかりに手を叩く。よくもまあそこまで、普段通りに振る舞えるものだ。
「ええ、今では連絡用の端末も持たせてもらっているから。……初めて淳にメールを送ったとき、返信が届くまでには結構時間がかかったわ。その間にまた物に触れなくなっていて、少し焦った。でも無事に淳と再会することができて……私の手は再び、感覚を取り戻すことができた。やっぱり彼が原因だったんだと改めて確信して、また会う約束をしてから別れたの」
「内容をじっくり考えてたから、返信が遅かったんでしょうね。さては」
この場にいないジュン君をからかうように言う都築君。どういう立場にいるつもりなのだろうか。
「そうかもね。次に会ったとき、彼はオバケの話をしてくれたわ。自分といると、普通の人でもオバケが見えるようになるとか。それ、オバケのほうが実体化してるんじゃないの? と言ってみたら、驚いたような顔をしていた。でもそれもあり得るかも、って。私、自分がオバケだってばれるんじゃないかと思ったけれど、大丈夫だった。その日の別れ際に、告白されたわ」
ジュン君との馴れ初めを語るみきさんの顔はどこか照れ臭そうで、何より嬉しそうだった。とても、別れたばかりの元恋人の話をする態度とは思えない。
「自分の立場と彼の不利益を考えて、はじめは断ろうかと思った。でもやっぱり受け入れることにしたわ。彼といれば家族のそばにいられて、生きていた頃のように生活できるという誘惑には勝てなかった。それに……」
みきさんは一瞬口ごもるが、すぐにまた話し始めた。
「それに、私、男性と付き合っても長続きしたことがなかったから。彼とはほとんどナンパみたいな出会いだったし、どうせまたすぐに振られて、ひとり街をさまよう生活に戻るんだと思っていたの」
「それ、どうしてです? みきさん、美人だし穏やかなのに」
呑気な調子でデリケートな部分を深掘りしようとする都築君に、思わずずっこけそうになる。
「さあ。その前に別れた人に言われたのは『他に好きな人ができた』だったかしら。私、可愛げがないのかもね。怒ったり泣いたりするのが苦手だったし、ひとりでも大丈夫そうとか、よく言われるし……生きているときはいつも気を張っていたから、特にそうだったと思うわ」
「ああ。欠点とか隙がなさそうな女性って案外、恋愛はうまくいかないっていいますもんね」
「本当は欠点だらけなのに、腑に落ちない話よね」
そう言ってみきさんは拗ねたような顔をした。
……もしかすると、彼女が自然にそんな表情を作れるようになったのは、オバケになった後なのかもしれない。
「で、えっと。淳と付き合うようになった当初は、罪悪感を覚えていたわ。好きでもないのに一緒にいて、そうすることで普通の生活を送ろうと……要は、彼を利用していたわけだから」
みきさんは都築君に逸らされた話題を本筋に戻し、心苦しそうに続ける。
「実際、言ったこともあったの。正直あなたを好きかどうか分からない、なのに一緒にいるのは申し訳ない気がするって。そうしたら淳、僕の一目惚れだし、そりゃそうだよね。こちらこそ自分勝手で申し訳ないけど、僕はみきが好きだし、一緒にいられることが凄く嬉しい。いつか君にも同じように思ってもらえたらいいなと思う……って」
彼女は嬉しそうな泣きそうな、名状しがたい表情で語った。まるで亡くなった人を偲ぶように。
「あんなに好きになってくれる人、私を真っ直ぐ見てくれる人に、生きている間には出会えなかったわ。自分でも単純だと思うけれど、私もだんだん、淳のことが好きになりつつあった。元々見た目がそこそこ好みだったというのも、少しある」
話を聞きながら、都築君は相変わらず呑気な調子で笑っていた。呑気すぎて、もしかしたら空気を和ませようとしているのかもしれないとすら思えてくる。
「そうしたら、また別の罪悪感が生まれたの。付き合いが長くなればなるほど、私の正体を知ったときのショックはきっと大きくなる。おこがましくも、それで淳がどれだけ辛い思いをするかと考えると、私も辛くなってきた。隠し続けるわけにもいかないし、できるだけ早く別れなきゃ……そう思ったわ」
みきさんの瞳が潤んだような気がして、わたしは思わず凝視してしまった。オバケも涙を流すのだろうか?
「でも、付き合い続けることのリスクをどれだけ理解していても、私自身彼が好きで、できることならずっと一緒にいたかったから、自分からは離れられなかった。いっそ彼に他に好きな人ができて、私をあっさり捨ててくれればいいのにと思った。そうすれば諦めがついて、潔く普通のオバケに戻るか消えるかできるのに、と。消え方なんて自分でもよく分からないんだけどね」
「そこに……」
わたしは気がつくと口を開いていた。みきさんと都築君が揃ってこちらを見て、我に返る。
「そこに、早奈美ちゃんが現れたってことですか?」
「ええ。運命だと思ったわ。彼女はきっと、神様の使いか何かだと思った。これで私はようやく、諦めることができるって」
「運命、ですか」と、都築君が小さく呟く。
みきさんはとてもとても、寂しそうに微笑んで、「これで、話は終わり。淳との馴れ初め、それと最初に都築さんから聞かれた、別れ話をした理由。もうこれ以上、引き留めないでほしいの」と、絞り出すような声で言った。
本当に、もうやめてほしいという気持ちが伝わってきて、わたしは「でも」の二文字すら口にできなくなる。
「そうだ。できれば……私がオバケだってこと、早奈美ちゃんには伝えてあげて。自分のせいで私達が別れたと思っていたら、申し訳ないから。淳にだって、その方が彼が苦しまずに済みそうなら、伝えて構わない。酷い女だと思われるのは心苦しいけど……あなたたちに任せるわ。勝手なことばかり話してごめんね」
みきさんはわたし達に背中を向けた。
引き留めようと思ったはずなのに、何故か身体が動かない。
「みきさん」
かろうじて口は動かせたらしい都築君の、懇願するような声が聞こえた。
「追わないでね。もうあなた達にも会わない。メールの返信だって、もうしないわ」
みきさんは振り向きもせず、夜の闇の中に消えていく。歩いて去っていったようにも、溶けて無くなってしまったようにも見えた。
「さようなら」
最後に一言そう聞こえた気がしたけれど、幻聴だったかもしれない。