24. 望みのために

文字数 4,943文字

 にわかに外が騒がしくなった。
 蹄や車輪が乱雑な打楽器のように鳴っている。御者と誘導の掛け声が壁にかぁんとぶつかってくる。無属性の魔力がもやもや滲んでいるのは、多分母と護衛隊だ。アマリリスは物思いから意識を引っぺがし、ドレスの裾を直した。
 誰もが一斉に息を吸ったような不思議な間があって、ギギィと開き始めた扉から細く垂直に近い光が射す。

「お母様、急遽来てくれて……え?」
「アマリリス!」

 その隙間をこじ開けて飛び込んできたのは焦りきった低音と――、王都にいるはずの父の姿だった。

「無事かい、怪我はないと聞いたが本当かい、無理していないかい!!」
「あなた。心配する気があるなら圧し潰すのを止めて」

 ぎゅうぎゅうと力一杯な抱擁の向こうで、母は呆れ顔で目を細めていた。



 汗で額に張りついた紅葉色の髪もそのままに、父、オズワルド・ストランジはアマリリス達を執務室に引き連れてきた。
 護衛の増員と共に大所帯でやってきた母と対照的に、都にいて身軽だった父は自ら馬に跨がりすっ飛んできたらしい。父付きの護衛は遠い目をしていた。アマリリスが言えたことではないが、危ないからせめて馬車には乗るべきだと思う。

「つまり、研究所が立て込んでいる原因と今回の件が関連しているかもしれない、と。それで戻ってこれた訳なんだ。だがそうでなくてもすぐ帰ったとも、娘が危険な目に遭ったと報せを受けたのだから。室長を闇討ちしてでもそうしたとも! 本来なら魔物発生の連絡を受けた時点で駆けつけねばならなかった。許しておくれアマリリス、判断の甘い愚かな父を……っ!!」
「室長殿に勝てるわけないでしょう。あの齢で自ら魔物を狩りに出るような方よ」

 おんおん吠える現当主は妻に一蹴され、恨めしげに睨み返した。その瞳は朽葉色。古書の背表紙の色だ。険しくなりきれない眠たげな目付きには、黒々しい隈が少しだけ迫力を添えている。
 どうやらアマリリスが心配を掛けたせいだけでなく、王都での仕事も相当忙しいらしい。

 書斎を兼ねる執務室は、主不在の間も丁寧に整えられていたこの別荘の心臓である。大ぶりの木材を生かした調度と奥全面の本棚は父の一部として脈打っている。よろい格子の窓からは外光が入らず、昼でも術具の灯りが煌々と室内を照らしだす。
 ジェフリーと執事のバージルが事のあらましを改めて整理し、アマリリスもところどころ補足した。全てを聞き終わった父はぐったりと背もたれに倒れ、片手で顔を覆った。

「リーヴァン、リーヴァン子爵家か。彼らは幼児に至るまで処刑され、断絶したと記録にあるのだけどね」

 母、ハイドランジアは立ったまま腰に手を当て、ふぅむと唸っている。

「王家も把握していない落胤がいたのか、それともただ名乗っているだけかしら。肝が座っているものね」
「血筋がでっち上げだとしたら……、かつての従者筋などによる仇討ちか、それとも単に我々を貶める口実かな」

 アマリリスは天井から吊られた組み木のオブジェの、連なる角を一つ一つ目で数えた。思い出すのはユインと相対した夜だ。やり取りの中で発露した感情は歪にして苛烈、とても演技には見えなかった。

「リーヴァンの名が本物かは分からないけれど、ストランジ(うち)への悪意は本物だと思うわぁ」

 貴族の家名の権威、その根底は王室にある。たとえ王家より旧い血統であっても『この国の貴族』でいられるのは国が認めたからだ。ゆえに詐称の罪は重い。
 まして、かつて背信により取り潰された後ろ暗い家名を名乗るなど、並の神経でできることではない。どんな事情があれ、ユインはストランジを深く呪っている。



「そこに至った経緯を調べないとね。まずは手下の三人に掛けられた術と、記憶を探ってみるわ。可能なら『リーヴァン』ご本人も」
「ああ、頼むよ。……アマリリスは部屋に戻っていなさい。危険だからバージルも同席しなくていい。引き続き状況の総括をしてくれるかな」
「かしこまりました」

 さっと部屋を辞した執事をよそに、アマリリスはその場を離れられずにいた。指の先をそわそわ組んでは離す。
 両親とジェフリーはこのまま尋問に入るのだろう。当然、ユイン達を見張っているフロウと鉢合わせてしまう。自分のいないところで事態が進んでいくのが、ひどく不安で落ち着かない。

「犯人は、アマリリスの契約精霊が拘束しているんだったね」
「っ、えぇ」
「まずは契約成功おめでとう。普通の精霊には、人を眠らせるような魔術じみたことはできない。おそらく特質持ちの稀有な精霊だ、契約を結べたのはすごいことだよ」

 こく、と頷く。一度俯いた頭は泥水が詰まったように重く、目線は下がったままだ。祝福も、褒め言葉も、すんなり心に入ってくることはなかった。

 ――よく努力している。気長にやりなさい。凡才の身で入学してしまった国内最高峰の学園で、先生方には気遣いをたくさん貰っている。そうして優しい言葉たちはアマリリスの心臓を絹の手袋で撫で、少しづつ少しづつ磨り減らした。傍にある無音の『でも』の気配にいつしか敏感になっていた。

「今後のことは、別に時間を取って話そう。いいね?」
「……はい」

 言葉の裏に怯えようと、流れを留めることはできない。結局は消沈して自室に向かうのだった。





 気怠く空が赤らむ頃。
 バルコニーに向けて開け放した窓の傍で、氷筍のさらさらした表面を撫でている。しゃがんで根本の方まで指の腹を滑らす。風の通り道に並んだこれは、今日も朝早くにフロウが作ってくれたものだ。
 ここんとノックが響いて顔を出したジェフリーは、アマリリスがソファに掛けるや報告を始めた。

「取り調べが終わりました。下っ端三人は近隣の街の荒くれ者でして、一月半ほど前からユインの魔術の支配下にありました」
「一月半! そんなに長く操っておけるものなの?」

 精神魔術には詳しくないが、随分法外な印象を受ける。

「使われていたのは人を意のままにする強い術ではなく、関係性や目的を錯誤させる程度の軽微なものだそうです。おおかたユインを従うべきボスだと認識していたのでしょう。あの手の輩ほど仲間内の序列にうるさいですから」
「自害しようとしたのは?」
「そっちは精神深くに暗示を刷り込み、特定の状況に反応させる類ですね。掛ける時以外、術式としての維持は不要だと」

 アマリリスはうぅんと眉間に皺を寄せた。それはそれで脅威じゃなかろうか。
 一般に、直接心身に作用する魔術には本能から強い抵抗が働くという。魔力を持たない者でもだ。酒に酔わせるなどして隙を作ったのだとしても、命を絶つような無茶な暗示を実行させるなんて並の術者ではない。

「あと、ユイン本人にも複雑な精神魔術の痕跡があり、記憶を探ったり術を重ねるのが難しいとおっしゃってました。それが精神干渉を防ぐための防壁なのか、あいつも誰か黒幕に洗脳されているのか、今後専門家を集めて詳しく分析するそうです」
「結局背景は分からないままねぇ……」

 やっと安心できると思っていたのに、しばらく気は抜けなさそうだ。



 それからアマリリスはいくらか言い淀み、小声で尋ねた。

「あの、ジェフリーは大丈夫だった?」

 両親には、アマリリスが誘い出されたのは衝動的な行動が原因だとそれはもう力説したのだが、手応えは微妙だった。護衛の怠慢なんて結論になっていたら洒落にならない。

「ああー……。半年間、降格して護衛からは外れる感じです」
「……そう、なのね」
「いやあのほんと、気に病まないください。僕には反省点が山ほどありますし、事の重大さからしたら相当寛容ですよ。護衛を外れるといってもこれを機に鍛え直されてこいってニュアンスですので」

 ジェフリーはぱたぱた手を振って、眉尻の下がる笑みを作った。空元気ではないように見えるけれど、その言葉を鵜呑みにするのは申し訳なさすぎる。

「……なーんて、すぐには割り切れませんよね。なので一つ僕の戯言(たわごと)を聞いていただけませんか。聞くだけでいいんです、()()()()()かはお嬢様のご判断で。僕もみっちりしごかれてくるので、それでお互いわだかまりはなしにしましょう」

 アマリリスは戸惑いながらも、首肯した。
 向かい合った肩の上では契約精霊(むーちゃん)が我関せず琥珀の針を揺らしている。それを優しく撫でてから、ジェフリーはゆっくり切り出した。





「この際なので護衛失格なことを言います。僕個人は先日のお嬢様の行い、嫌いじゃないです。領民の為に身体を張れる高潔さは仕える者として誇らしいですよ」
「私はそんな、正しい心でやったんじゃないわぁ」
「仮に打算や保身だとして、それが他者を助けるなら良いと思いますけどねえ」

 まあそれは本題じゃないのでと前置くと、ジェフリーの目線は刺突のように鋭くなった。敵意、ではない。でも本当に剣を向けられているように眉間がぴりつき、背筋が伸びる。

「ただ、覚えておいてほしいことがあるんです。今回アマリリス様が単身で女の子の救出に成功し、しかしご自分は一生残る大怪我をしたとします。その子の家族は泣いて感謝するでしょうが、今まで通り暮らしていくには支障があるかもしれません」

 アマリリスはきょとんとしたが、意味を理解するにつれ暗い気持ちになった。
 カザヤはストランジの別荘を擁する町であり、付き合いの深さから住民はとりわけ子爵家に好意的だ。――もし、『あの子供が迂闊だったせいで領主令嬢が傷物にされた』などと考える者がいたらどうなるか。
 無謀の代償は護衛の顔に泥を塗るだけではなかった。怪我や命と引き換えに人を助けても助けたことにはならないなんて、貴族の大義を思うと因果な話だ。

「もっと悪ければ、旦那様がその子を逆恨みされるかも」
「うぅん、それは、あまり想像できないけれど」
「ええ勿論、旦那様は寛大で深慮で情に篤いですからね! でも愛娘の痛ましい姿に平静を欠く可能性もゼロじゃないでしょう。もしかしたら、僅かには。縫い針の先ぐらいは……」

 ジェフリーは緩みかけた口調を呑み込んで、長く重たい息を吐く。



「誰の命も大事ですが、万一のときの影響は立場によって全然違う。だからお嬢様……どうか強くなってください」
「……えっ。身を弁えろって話ではないの」

 軽率なことをするな、周囲を困らせるな。そう着地すると思っていたアマリリスは虚を突かれてしまった。

「為したいことや為すべきことに、お嬢様はきっとまた出会うでしょう。そのとき立場を慮って何もできないより、ご自身の望みに沿える方がいいじゃないですか」
「強くなれば無理を通せるってこと?」
「敵陣を平らに(なら)して余裕の無傷生還できるってことです」
「そんなに凄かったら将来騎士団にも入れそうねぇ」

 でも、考えたこともなかった。自分の過ちが迷惑を掛けると塞ぎ込んでしまうのではなく、帳消しにできるほど強くなろうだなんて。

「望みの、ために……」

 口のなかで繰り返した単語が、アマリリスの手を強く引く。身を任せるしかなかった流れから、無限の(うみ)に放り出される。
 ――学園でずっと諦念を抱えていたのは、()()()()せいじゃない。皆ができることを羨ましがり、皆に追いつくことだけ考えていたからだ。そこに自分自身の望みはなかった。
 今、視界はどこまでも晴れ、水平線は彼方まで続いている。

 両手のひらをじっと見つめる。右手首には淡く契約紋が浮かんでいた。
 失敗と後悔ばかりの夏だけれど、僅かでも前に進んだことがある。契約をした。魔物を単独で討った。フロウに伝えたいことを伝えた――どう受け止められたにせよ。
 ならばこれからできることも、きっとある。初歩の精霊契約すらできないと知る前、アマリリスは未来にどんな思いを馳せていたのだったか。

「……ありがとう。私、頑張ってみるわぁ」
「恐縮です」

 ジェフリーは親しげに片目を閉じた。愛嬌のなかに潜んだ野性味は、戦いに臨する者としての激励なのかもしれなかった。







【王立魔術研究所】
王都の郊外には王立魔術研究所があります。国家の直属機関であり、国内の研究所の中で最も大きく、高い権威を持ちます。
所属する研究者は個人やグループでそれぞれの研究テーマを持っているほか、国からの研究指示や調査依頼もしきりに降ってくるようです。

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