6. 『過去の縁』
文字数 4,411文字
結論から言って。術具を全て壊しても何も起こらなかった。起こってほしかったことも、想像を越えた恐ろしいことも。
壁の上部の残り二つにも《衝撃 》をぶつけ、手の届く分は洞の外から拳大の石を拾ってがんがん叩きつけた。元から欠けていた方も入念に。
思い出の洞は破片まみれで、止まっていた時が押し寄せ風化をもたらしたような惨状だ。
(痛いなぁ、指……)
石で殴るとき、目測を誤って、壊れかけの術具の尖ったところに右手を擦ってしまった。かなりざっくりといったが、怖くて傷口はなるべく見ていない。
水筒の水で洗ってハンカチを結ぶ。すぐに血が滲んできたのでもう一枚重ねる。最後のハンカチは濡らして、砂ぼこりで汚れた顔を拭いた。魔力も残り少なく、もうへとへとだ。
そうして少しだけ待ったが、洞の最奥は静まり返るばかりだった。
アマリリスは地図を再確認して、肩を落とした。
(そう……よねぇ。門を破ればすぐにでも会えるんじゃないかって、何故だか期待しちゃってたわ。帰らなきゃ)
冷静に考えたら、本当に目的が同じだとしても、タイミングぴったりに彼が現れるとは思えない。
そもそも当時フロウ自身が壊さず、五歳のアマリリスに頼んだのも謎なのだ。夜が明けたらまた町に出て流れ者の噂を追ってみよう。それとも昼間は休んでおいて、見咎められるまでは毎晩ここで待ち伏せようか。
(どっちにしても、まずはノアに傷のことを誤魔化さないと……。また心配、するだろうな)
嘘をつくなんて後味が悪い。そもそもノア達に黙って抜け出しているわけで――。
思えば思うほど、痛みがズキリと存在感を増した。
出発のとき傾いていた月は、今では中天を過ぎている。けれど所在不明の洞を探すのと違って、帰り着くべき家は地図からなんとか分かる。
急げば夜明けに間に合いそうだ。
◆
そんな油断が悪かったのかもしれない。あるいはやっぱり、勝手に術具を割った報いだろうか。
「ギ……ギギッ……」
アマリリスは片脚を引きずって、樹々の中、背後から迫る異音に追われていた。
虫型の魔物――ストレイピードの鳴き声だ。
(どうして!? カザヤに魔物なんて……っ)
ほ と ん ど 出ないはずなのに。
息を乱して、振り返る。今は樹の陰になって見えないが敵は一匹きりだった。ストレイピードは地に属する下級の魔物で、訓練を積んだ自警団の人なら簡単に倒せるだろう。
――もしかしたらアマリリスでも倒せたかもしれない。とっさに逃げを選んで、背を向けた隙に毒を受けたりしなければ。
浅く切り裂かれた脚が傷口の大きさ以上にじくじくと疼いて、アマリリスは呻いた。全身が熱病のようにうだる。つまづき、樹の枝を掠めながら走るせいで、手や顔にも傷を負っている。
ランタンの術具は衝撃で壊れたのか光るのをやめてしまって、月灯りだけでは行く手を見通しきれない。
(あぁ、嫌……! まるであの日と同じ……!)
魔物に襲われ、孤独の夜に逃げ惑う記憶が蘇る。
身体のあちこちが痛み、肺が軋んで呼気に血の味が混じる。それが現実なのか、十年前のフラッシュバックなのか、アマリリスにはもう分からなかった。
すれ違った空気が耳元でごうごう鳴っている。
どれだけ走っただろう。無我夢中で方角も距離も確認していない。今さら地図を見ても、きっと自分の居場所も把握できない。
ふらつき、彷徨う。過去 に迷い込むように、現在 が溶け落ちていく。
唯一違うのは――十年前は、護衛に逃がされたということ。派手に魔術を使い、魔物を惹き付け、最終的にはその場で倒しきってくれた。
アマリリスはただ、敵から離れることだけ考えればよかった。
ここに、魔物と戦える人はいない。
襲われていることすら、誰も知らない。
(助 け は 来 な い )
本当の危機がすとんと腑に落ちて、視界が暗く傾いた。
「あ、ッ、痛……」
どさり。
糸が切れるように身体が倒れ込んだ。
――立ち上がれない。毒が回っているせいか、気力の問題か。萎えてしまった脚はもう動こうとしない。
それでも腕の力だけで這い、進もうとするが――稼げた距離は微々たるもの。
無駄を悟ったアマリリスは、ついに腹を括った。
(……倒さないと)
樹にもたれて上体を起こす。
傷で痛む利き手の代わりに、左手で短杖 を掴み直す。
(自分で、倒さないと)
勇ましく己に言い聞かせる。
しかし杖先はカタカタと震え、定まらないでいた。
◆
辺りは樹が円形に開け、広場のようになっている。
鳥や虫の声は遠い。来るときにそこらで遊んでいた樹精達も今は見当たらない。魔物の気配を嫌い遠巻きにしているのだろう。全くの無音ではないせいでかえって、触れれば弾けそうな静寂を意識してしまう。
「ギッ…………」
月光が淡く注ぐ。
円の端で辺りを見渡すように座り込んだアマリリスの、ちょうど反対――正面から追手が姿を現した。
中型犬ほどのダンゴムシのような身体に無数の細長い脚を生やした、醜悪な魔物。
四つの複眼は異様に金属的で、まともな生物でないことを物語る。脚の多さと毒をもつ顎から百足 になぞらえストレイピードと呼ばれるが、高く関節のついた脚は蜘蛛のようでもある。
外殻は硬そうにぬらめいている。月下に灰と黒の濃淡で浮かび上がった全容は不気味で、墓地のレリーフを彷彿とさせた。
(魔力、全然残ってないわ。まともに撃てるのは良くて一回……)
人の足で二十歩ほどの距離を、ストレイピードはゆっくりと近づいてくる。もはや逃れることが叶わないアマリリスの足掻きを、楽しんでいるのだ。
背筋が震えた。自分の声が、取り返しのつかない切っ掛けになりそうで。
アマリリスは敵への恐怖を死の恐怖でねじ伏せて、言葉を紡ぎ出す。
痛みにぶれる魔力を、強引に短杖 へと流していく。
――敵がぴくりと歩みを止めた。
まずい。
『魔物は魔力に敏感である』という教科書の一文が今更に頭をよぎった。
(っ、……間に合え)
唱えるは初歩の攻撃術。アマリリスの練度で扱える単純なもの。
単純だからこそ、少ない魔力でもそれなりの効果を発揮する。
切れ切れの詠唱がなんとか形を成していき、杖先に弱い光が灯る。
「……ギ、ギチギギッ!!」
途端、ストレイピードは脚を複雑に蠢かせ、弾かれるように加速した。
黒光る体躯が迫ってくる。
(ひ、……、間に合え……!)
詠唱は残りわずか。
唇が乾く。
あと十歩。
五歩。
二。
一。
「衝撃 》!!」
――渾身の一撃。
意図せずギリギリまで引き付けた敵に、アマリリスは光を放った。
杖から腕に反動が突き抜ける。
白を帯びた衝撃波が目前の敵めがけて爆ぜ進む。
その瞬きのうちに――敵の姿がぶ れ た 。
(え)
空気の質感がどろりと変わった。
視界の下方、脚を曲げて身体を伏せた魔物がいる。
アマリリスが撃った魔術は背の外殻を擦り、弾かれて逸れていく。飛び散った火花の残像がゆっくり宙に溶ける。
避けられた、のだ。緩慢に認識した。
何もかもが遅く進む視界を、アマリリスは経験したことがある。
階段を踏み外した時。授業で流れ弾が飛んできた時。
危険に瀕して、意識が助かる道を探している。
その感覚。
魔物のたわめた脚の一本一本に力がこもり、ばねの要領で跳ぶのが嫌にはっきりと見えた。
(逃げないと)
――脚はぴくりとも動かない。
(急所を守れば)
――短杖 を構えた腕は伸びきっている。
無防備な喉元めがけて、尖った顎が、肉薄し――、
( ぁ。死 、 ?)
間隙。
「…………リィリ!!!」
夜を裂く音がした。
アマリリスの眼前で、ストレイピードがひしゃげる。
水晶のごとく煌めく柱が真横から貫いている。
それは透明な粒を零しながら、ゆっくりと突き抜けていく。
ひどく呆気ない。
魔物は強い力に耐えかねたように内側からばらばらになって、塵と消えた。
◆
息が上擦った。
――それは感嘆であり、歓喜だったろう。
「リィリ……っ、無事か!?」
すぐそばで響いた声とともに、掬い上げるように抱きすくめられた。
衝撃が脚の傷に伝わる前に、深い青の光が全身を包んで、アマリリスは比喩でなく痛みを忘れた。
――大河。穏やかでいて、一筋ひとすじはたちどころに過ぎ行く、膨大な水の群れ。
それに抱かれている、いや、自分自身がそれである。
脈絡のない、イメージ。
身体はひんやりした感覚に満たされて、苦痛などどこかに消えてしまった。
それでもまだ足りないというように、背に回った腕、密着した胸板、触れたところから涼やかな感覚が融け込んで、溢れるほどに流れてくる。
脚や右手、傷ついたところを宥めるようにくるくると身の内を巡る。
清流の冷たさは次第に微熱を帯び、身体を芯から温めてゆく。
五感が優しく揺らいで――気が付いたら、世界は正常な速さを取り戻していた。
心地よさに意識をゆだねそうになるのをこらえて、そっと顔を上げた。
青光のカーテンを通してなお鮮烈な薄青の目が、あれほど望んだ色が、アマリリスをじっと見ている。表情にありありと焦燥を浮かべて。
案じて、くれている。
「……フロウ、ありがとう。また助けてくれたのねぇ」
結末まで十年前の再現のようだった。
雨の夜の果て、洞で凍えていた幼いアマリリスも、彼に救われた。
「助けられたのはオレの方だ、リィリ。それに……危ない目に遭わせて悪かった」
過去と同じ、だけではない。あの時と違って言葉を返してくれる。
――あぁ、本当にまた会えたんだ。
人の喉から出るとは思えない透明な声が耳をくすぐるたび、アマリリスの心はきゅうきゅう締め付けられて、ついには涙となって零れ落ちていった。
「あ、あなたのせいじゃぁ、ないわ」
「オレがあんなことを頼んだから、一人で来たんだろう」
背中から離れた手のひらがぐいとアマリリスの頬をぬぐう。ひどく滑らかな感触に抗えず、頭を寄せてしまう。
「あなたの姿を、噂に聞いたの。無茶をしたのは私が逸 ったから。今ならあなたに、会える気がして」
だから、あなたのせいじゃない。なんとしても伝えたくて伸ばした手は、フロウに捕まり、そのまま握りこまれた。
手は吸い付くようで、しっくりと馴染む。指先から混ざりあって一つになるような――えもいわれぬ陶酔感。
「……オレも、探していた。門が破れたのを感じて、お前がいると思った。会えて良かった……」
フロウは眉をひそめたまま、睫毛を伏せた。
手を握る力がぎゅっと強くなる。何より、ぽつぽつ語るその言葉に込められた、想いを感じて。
アマリリスは次から次に涙を落としながら、くしゃくしゃの笑みを浮かべた。
◆
◆
◆
【魔物】
魔物は通常の生物に対して非常に攻撃的かつ悪意的です。
肉食獣は食べるために他の獣を襲いますが、魔物は満腹でも人や動物を襲い、すぐに仕留めるよりも、いたぶることを楽しみます。
魔物の発生には瘴気が関わると言われています。
壁の上部の残り二つにも《
思い出の洞は破片まみれで、止まっていた時が押し寄せ風化をもたらしたような惨状だ。
(痛いなぁ、指……)
石で殴るとき、目測を誤って、壊れかけの術具の尖ったところに右手を擦ってしまった。かなりざっくりといったが、怖くて傷口はなるべく見ていない。
水筒の水で洗ってハンカチを結ぶ。すぐに血が滲んできたのでもう一枚重ねる。最後のハンカチは濡らして、砂ぼこりで汚れた顔を拭いた。魔力も残り少なく、もうへとへとだ。
そうして少しだけ待ったが、洞の最奥は静まり返るばかりだった。
アマリリスは地図を再確認して、肩を落とした。
(そう……よねぇ。門を破ればすぐにでも会えるんじゃないかって、何故だか期待しちゃってたわ。帰らなきゃ)
冷静に考えたら、本当に目的が同じだとしても、タイミングぴったりに彼が現れるとは思えない。
そもそも当時フロウ自身が壊さず、五歳のアマリリスに頼んだのも謎なのだ。夜が明けたらまた町に出て流れ者の噂を追ってみよう。それとも昼間は休んでおいて、見咎められるまでは毎晩ここで待ち伏せようか。
(どっちにしても、まずはノアに傷のことを誤魔化さないと……。また心配、するだろうな)
嘘をつくなんて後味が悪い。そもそもノア達に黙って抜け出しているわけで――。
思えば思うほど、痛みがズキリと存在感を増した。
出発のとき傾いていた月は、今では中天を過ぎている。けれど所在不明の洞を探すのと違って、帰り着くべき家は地図からなんとか分かる。
急げば夜明けに間に合いそうだ。
◆
そんな油断が悪かったのかもしれない。あるいはやっぱり、勝手に術具を割った報いだろうか。
「ギ……ギギッ……」
アマリリスは片脚を引きずって、樹々の中、背後から迫る異音に追われていた。
虫型の魔物――ストレイピードの鳴き声だ。
(どうして!? カザヤに魔物なんて……っ)
息を乱して、振り返る。今は樹の陰になって見えないが敵は一匹きりだった。ストレイピードは地に属する下級の魔物で、訓練を積んだ自警団の人なら簡単に倒せるだろう。
――もしかしたらアマリリスでも倒せたかもしれない。とっさに逃げを選んで、背を向けた隙に毒を受けたりしなければ。
浅く切り裂かれた脚が傷口の大きさ以上にじくじくと疼いて、アマリリスは呻いた。全身が熱病のようにうだる。つまづき、樹の枝を掠めながら走るせいで、手や顔にも傷を負っている。
ランタンの術具は衝撃で壊れたのか光るのをやめてしまって、月灯りだけでは行く手を見通しきれない。
(あぁ、嫌……! まるであの日と同じ……!)
魔物に襲われ、孤独の夜に逃げ惑う記憶が蘇る。
身体のあちこちが痛み、肺が軋んで呼気に血の味が混じる。それが現実なのか、十年前のフラッシュバックなのか、アマリリスにはもう分からなかった。
すれ違った空気が耳元でごうごう鳴っている。
どれだけ走っただろう。無我夢中で方角も距離も確認していない。今さら地図を見ても、きっと自分の居場所も把握できない。
ふらつき、彷徨う。
唯一違うのは――十年前は、護衛に逃がされたということ。派手に魔術を使い、魔物を惹き付け、最終的にはその場で倒しきってくれた。
アマリリスはただ、敵から離れることだけ考えればよかった。
ここに、魔物と戦える人はいない。
襲われていることすら、誰も知らない。
(
本当の危機がすとんと腑に落ちて、視界が暗く傾いた。
「あ、ッ、痛……」
どさり。
糸が切れるように身体が倒れ込んだ。
――立ち上がれない。毒が回っているせいか、気力の問題か。萎えてしまった脚はもう動こうとしない。
それでも腕の力だけで這い、進もうとするが――稼げた距離は微々たるもの。
無駄を悟ったアマリリスは、ついに腹を括った。
(……倒さないと)
樹にもたれて上体を起こす。
傷で痛む利き手の代わりに、左手で
(自分で、倒さないと)
勇ましく己に言い聞かせる。
しかし杖先はカタカタと震え、定まらないでいた。
◆
辺りは樹が円形に開け、広場のようになっている。
鳥や虫の声は遠い。来るときにそこらで遊んでいた樹精達も今は見当たらない。魔物の気配を嫌い遠巻きにしているのだろう。全くの無音ではないせいでかえって、触れれば弾けそうな静寂を意識してしまう。
「ギッ…………」
月光が淡く注ぐ。
円の端で辺りを見渡すように座り込んだアマリリスの、ちょうど反対――正面から追手が姿を現した。
中型犬ほどのダンゴムシのような身体に無数の細長い脚を生やした、醜悪な魔物。
四つの複眼は異様に金属的で、まともな生物でないことを物語る。脚の多さと毒をもつ顎から
外殻は硬そうにぬらめいている。月下に灰と黒の濃淡で浮かび上がった全容は不気味で、墓地のレリーフを彷彿とさせた。
(魔力、全然残ってないわ。まともに撃てるのは良くて一回……)
人の足で二十歩ほどの距離を、ストレイピードはゆっくりと近づいてくる。もはや逃れることが叶わないアマリリスの足掻きを、楽しんでいるのだ。
背筋が震えた。自分の声が、取り返しのつかない切っ掛けになりそうで。
アマリリスは敵への恐怖を死の恐怖でねじ伏せて、言葉を紡ぎ出す。
痛みにぶれる魔力を、強引に
――敵がぴくりと歩みを止めた。
まずい。
『魔物は魔力に敏感である』という教科書の一文が今更に頭をよぎった。
(っ、……間に合え)
唱えるは初歩の攻撃術。アマリリスの練度で扱える単純なもの。
単純だからこそ、少ない魔力でもそれなりの効果を発揮する。
切れ切れの詠唱がなんとか形を成していき、杖先に弱い光が灯る。
「……ギ、ギチギギッ!!」
途端、ストレイピードは脚を複雑に蠢かせ、弾かれるように加速した。
黒光る体躯が迫ってくる。
(ひ、……、間に合え……!)
詠唱は残りわずか。
唇が乾く。
あと十歩。
五歩。
二。
一。
「
砕け……っ
! 《――渾身の一撃。
意図せずギリギリまで引き付けた敵に、アマリリスは光を放った。
杖から腕に反動が突き抜ける。
白を帯びた衝撃波が目前の敵めがけて爆ぜ進む。
その瞬きのうちに――敵の姿が
(え)
空気の質感がどろりと変わった。
視界の下方、脚を曲げて身体を伏せた魔物がいる。
アマリリスが撃った魔術は背の外殻を擦り、弾かれて逸れていく。飛び散った火花の残像がゆっくり宙に溶ける。
避けられた、のだ。緩慢に認識した。
何もかもが遅く進む視界を、アマリリスは経験したことがある。
階段を踏み外した時。授業で流れ弾が飛んできた時。
危険に瀕して、意識が助かる道を探している。
その感覚。
魔物のたわめた脚の一本一本に力がこもり、ばねの要領で跳ぶのが嫌にはっきりと見えた。
(逃げないと)
――脚はぴくりとも動かない。
(急所を守れば)
――
無防備な喉元めがけて、尖った顎が、肉薄し――、
( ぁ。死 、 ?)
間隙。
「…………リィリ!!!」
夜を裂く音がした。
アマリリスの眼前で、ストレイピードがひしゃげる。
水晶のごとく煌めく柱が真横から貫いている。
それは透明な粒を零しながら、ゆっくりと突き抜けていく。
ひどく呆気ない。
魔物は強い力に耐えかねたように内側からばらばらになって、塵と消えた。
◆
息が上擦った。
――それは感嘆であり、歓喜だったろう。
「リィリ……っ、無事か!?」
すぐそばで響いた声とともに、掬い上げるように抱きすくめられた。
衝撃が脚の傷に伝わる前に、深い青の光が全身を包んで、アマリリスは比喩でなく痛みを忘れた。
――大河。穏やかでいて、一筋ひとすじはたちどころに過ぎ行く、膨大な水の群れ。
それに抱かれている、いや、自分自身がそれである。
脈絡のない、イメージ。
身体はひんやりした感覚に満たされて、苦痛などどこかに消えてしまった。
それでもまだ足りないというように、背に回った腕、密着した胸板、触れたところから涼やかな感覚が融け込んで、溢れるほどに流れてくる。
脚や右手、傷ついたところを宥めるようにくるくると身の内を巡る。
清流の冷たさは次第に微熱を帯び、身体を芯から温めてゆく。
五感が優しく揺らいで――気が付いたら、世界は正常な速さを取り戻していた。
心地よさに意識をゆだねそうになるのをこらえて、そっと顔を上げた。
青光のカーテンを通してなお鮮烈な薄青の目が、あれほど望んだ色が、アマリリスをじっと見ている。表情にありありと焦燥を浮かべて。
案じて、くれている。
「……フロウ、ありがとう。また助けてくれたのねぇ」
結末まで十年前の再現のようだった。
雨の夜の果て、洞で凍えていた幼いアマリリスも、彼に救われた。
「助けられたのはオレの方だ、リィリ。それに……危ない目に遭わせて悪かった」
過去と同じ、だけではない。あの時と違って言葉を返してくれる。
――あぁ、本当にまた会えたんだ。
人の喉から出るとは思えない透明な声が耳をくすぐるたび、アマリリスの心はきゅうきゅう締め付けられて、ついには涙となって零れ落ちていった。
「あ、あなたのせいじゃぁ、ないわ」
「オレがあんなことを頼んだから、一人で来たんだろう」
背中から離れた手のひらがぐいとアマリリスの頬をぬぐう。ひどく滑らかな感触に抗えず、頭を寄せてしまう。
「あなたの姿を、噂に聞いたの。無茶をしたのは私が
だから、あなたのせいじゃない。なんとしても伝えたくて伸ばした手は、フロウに捕まり、そのまま握りこまれた。
手は吸い付くようで、しっくりと馴染む。指先から混ざりあって一つになるような――えもいわれぬ陶酔感。
「……オレも、探していた。門が破れたのを感じて、お前がいると思った。会えて良かった……」
フロウは眉をひそめたまま、睫毛を伏せた。
手を握る力がぎゅっと強くなる。何より、ぽつぽつ語るその言葉に込められた、想いを感じて。
アマリリスは次から次に涙を落としながら、くしゃくしゃの笑みを浮かべた。
◆
◆
◆
【魔物】
魔物は通常の生物に対して非常に攻撃的かつ悪意的です。
肉食獣は食べるために他の獣を襲いますが、魔物は満腹でも人や動物を襲い、すぐに仕留めるよりも、いたぶることを楽しみます。
魔物の発生には瘴気が関わると言われています。