2. 冴えない少女の冴えない現実

文字数 5,072文字

 『精霊の山』なんて大仰な名前だけれど、実態は学園の敷地の端にある小さくて平和な山で、生徒はシンプルに裏山と呼んでいる。
 イースデイル魔術学園は国内の数ある魔術学校の最高峰だ。その歴史、設備、もちろん授業内容のレベルや、それらを支える学費まで、全てがトップクラス。なので敷地もとても広い。

 『精霊契約』の実習を――今日も不本意な結果で終えたアマリリスは、足元だけ訓練用のブーツから普段の靴に履き替え、講義棟まで全力で走った。



 少し古びているが格調高い教室の、座席はほぼ埋まっていた。
 『魔力論』の講義は割り当たっている教室が受講者数に対してかつかつなのだ。指定はなく、好きな席に座れるのだけれど――ぱっと見た限り、空席は最後列に一つだけ。二人掛けの長机の窓側にいる先客は見慣れた姿だ。

(うぅ……ブレンダ……)

 心が沈んでいる今、彼女の隣に座るのは気が進まない。でも選択の余地はない。アマリリスは己を鼓舞してさっと腰かけた。

「泥くっさ」

 瞬間、悪態が飛んできた。
 ブレンダ・トールスは行儀悪く脚を組み、片肘をついている。つまらなそうに他の生徒を眺めていた目が、スッと細まりアマリリスを睨んだ。

 その口調、振る舞い。耳元だけ少し伸ばし、他は短く切りそろえた黒髪。太く角ばった眼鏡の奥にある銀光の鋭さ。
 どこを取っても柄の悪い少年のようだが、制服はスカートで、れっきとした女子だ。しかも一学年下の。
 彼女の優秀さと人当たりのキツさは学内では有名で、どの授業でも色々な意味で浮いている。そして『魔力論』においては、前時限が野外実習でいつもギリギリに駆け込むアマリリスの、ほぼ固定のお隣さんである。

「……ごめんなさいねぇ、しばらく川辺にいたから」

 文句をさらりと受け流しても、返ってくるのは舌打ちのみ。どうも、ブレンダの性格を差し引いてもかなり嫌われている。
 刺々しい空気を感じながら、上がった息を整え、アマリリスは慌ただしく教科書を準備した。





 かあん、かあん。

 鐘楼塔に吊るされた青銅の鐘が、学園中に時限の始まりを告げた。
 少し遅れて教壇に現れた『魔力論』の先生は、木製のトレイを教卓に置き、おもむろに指示杖(タクト)を抜いた。

「試験用紙を返却する」

 短い詠唱――指示杖(タクト)の先が円を描くと無数の紙がトレイから舞い上がり、白い魔力光の軌跡を残しながら、生徒全員の机に滑り降りる。紙は二つ折りで、他の人に点数が見えないようになっていた。

「さて諸君。まずは落とした問題を確認したまえ。どこをどう間違えたか、正答は何か。友人と私語をしてもよいから自分達の力で考えてみなさい。落ち着いたら解説に入る」

 残念ながら、ブレンダとは楽しく勉強を教え合う仲ではない。
 当のブレンダはいつの間にか姿勢を正し、臆することなく答案を机に広げていた。瑕一つない満点だ。それでなお、教科書を横に並べ、生真面目に試験範囲の内容を振り返っている。

 アマリリスは片目で本の頁を覗くように、こわごわ自分の答案を確認した。

(なんとか合格ライン……。秋期の点数によっては単位が危ういかも)

 半開きの答案を、教科書と見比べる。思ったより凡ミスが多い。用語の取り違いとか、問題文の誤読だとか。
 それから間違って覚えていた知識や、理解の浅かった概念が、はっきりバツとして突きつけられている。

 思わず、深いため息が落ちていった。
 精霊契約ができないアマリリスは属性術の習得に難がある。せめて理術(無属性術)や汎用的な知識はしっかり学ばなければならないのに。どうしてこうも駄目なのだろう――

「おい、アンタなあ」

 ぐるぐる考え込んでいたせいで、反応が遅れた。



「……えっ」
「アンタだ、アンタ。汗まみれのお嬢様? 視界の端でうざったいんだよ」

 刺々しい声は、真横に座るブレンダのものだった。

「き、急になんなのぉ……?」

 逆光で陰が落ちた顔の中。瞳の銀だけが人を斬り慣れた刃物のように、鋭利に輝いている。
 アマリリスの手は強ばって、試験用紙を取り落としてしまう。晒された無様な点数を視線の切先がつぅと撫でた。

「直前が実習なら、毎度鐘の間際に滑り込んで来るのは、まあ仕方ないよな。でも授業中まで上の空だろ。いつも、いっつもだ。そんなんで身につく訳がない」
「それは、っ」

 指摘され、気付いてしまえば、否定できなかった。
 授業に対して手を抜いたつもりはない。――意図的には。『精霊契約』の後はどうしても、自分の出来の悪さに落ち込んでしまう。気もそぞろだったと思う。

「努力もしないくせに、失敗してからウダウダするな。ボクはな、そういう奴が一番イラつくんだよ」

 ブレンダは忌々しそうに吐き捨てた。

「アンタみたいな……腑抜けた『持てる者』が」

 見当違いの当てこすりに、目の前がかっと赤く染まった。アマリリスは制服の胸元を強く握る。

(私は、持てる者なんかじゃない……!)

 心の叫びは、それでも声にならない。ブレンダの刃めいた銀が喉元に突き付けられて、反論を封じている。

 無彩色は属性適性を一切持たない証だ。
 それは魔術師の卵として大きなハンデで、だからこそブレンダたち――黒や灰や銀の目の生徒はみな、属性術以外の分野に脇目も振らず打ちこむ。
 ましてブレンダは平民で、奨学制度のごく狭き門を突破してきたのだと聞く。彼女が優秀なのはきっと、常人離れした努力をしているから。

 言いたいだけ言ったブレンダは、アマリリスが睨み返すばかりなのを見て、興が削がれたようだった。教科書に向き直る直前、浮かべた表情は――軽蔑。

「よろしい、そろそろ解説に入ろう。設問一だが、これは魔力の定義である……」

 解説が始まっても頭を切り替えられない。先生の言葉が、貴重な知識が、学ぶ機会が、耳から零れ落ちていく。



(どうして……たまたま席が隣なだけの子に、こんな罵倒されなきゃいけないの)

 通り魔みたいな言い草だ。筋も道理もあったものじゃない。だけれど、的確に急所をえぐってきた。
 アマリリスは持たざる者だと自分で思っている。属性適性は弱いうえに上手く生かせず、魔力も頭の出来も平凡。
 一方的に、無彩色の瞳に共感を抱いてすらいた。

 なんて失礼な思い上がりだろう。不得手と向き合って覚悟を決めている彼女らとアマリリスは違う。
 結局、アマリリスが冴えない現実に甘んじているのは、あってないような才能を諦めきれない優柔不断のせいだった。





「リィリ~、おかえり!」

 夕方、クラスに戻ると、山際で燃える太陽よりも明るい声がアマリリスを出迎えた。親友であり幼馴染のキャスリン・インスピアが、椅子を後ろに傾けながらぱたぱた手を振っている。
 クラスの教室の机は一人掛けで、アマリリスはキャスリンの真後ろの自席にすとんと腰を落ち着けた。
 学生一人一人が自分に必要な授業を選ぶから、同学年の友達でも時間割は全く違うのだ。

「キティ! これで春期も終了ねぇ。キティは夏休み、王都に行くんでしょ?」
「ん、そうだけど……。ねえリィリ、なにかあった?」

 キャスリンは元々きょとんとして見える焦げ茶の目をさらに丸くして、首を傾げた。外に跳ねた金茶色のタテガミのような長髪がふわんふわん踊る。
 付き合いが長いぶん、落ち込んでいることなんて筒抜けだ。

「えぇっと……」

 あまり心配は掛けたくない。そう思って言葉を濁しかけた時――、

「今日も契約に失敗したんだろ? リィリちゃんはさあ」

 気に障る声とともに、アマリリスの机にドン、と手が突かれた。



 見下ろしてきたのは、想像通りの顔だった。鮮やかな金髪に赤紫の目――テオドア・グリフィス。
 ストランジと同じく魔術に秀でたグリフィス侯爵家の三男であり、アマリリスとは違って血筋にふさわしい才と、嗜虐的な性格を持ち合わせた同級生。

 テオドアはくっきりとした端正な顔を厭らしく笑み崩して、肩に乗せた狐を見せびらかすように撫でた。狐は自然にはあり得ない鮮やかな緋色で、なにより全身が透けている。
 『野火の狐』――彼の契約精霊だ。狐は契約者に応えて、ふぅと小さい火を吹く。

「魔力がショボいうえに、精霊にまで見くびられて可哀そうになあ。《精霊契約(リンケージ)》か……跪いて頼めば、俺が直々に手ほどきしてやろうか?」
「……結構よ」
「リィリがそんなの頼むわけないでしょ!? あっち行って!」

 アマリリスが顔を背けて呟き、同時にキャスリンも苛立った声を上げた。手ほどきなんて物は言いようで、ようはアマリリスの劣った部分を一つひとつあげつらって嘲笑したいのだ。

「ああ? 反抗的な口を利くなよ格下が。調子に乗ってると……」
「ちょっと。あんまりイジめないであげてー? リィリ、契約できないのスッゴく気にしてるんだから」

 語気を荒げるテオドアに、横から腕がするりと絡んだ。喉を締めて作った甘ったるい猫撫で声を連れて。
 アマリリスはひときわ苦々しく、奥歯を噛む。

 腕の持ち主――ジャニスは、テオドアを軽く引き寄せながら、自分も媚びるようにしなだれかかった。

「それに二人は私のトモダチだしー」
「陰であれだけ馬鹿にしておいてよく言うぜ。地味だのブスだの笑ってたろ」
「えー、知らなーい。トモダチだよね、リィリ、キティ? それよりテッド、ね、夏休みの計画立てよ!」

 思ってもいない口振りで、スミレ色のサイドテールの先をくるくる弄んでいる。それが腹立たしく、そして悲しい。

「へーへー。じゃあな、グズども。リィリちゃんは悔しかったら休みの間に契約ぐらいしてみろよ」

 テオドアが言い捨てた挑発などよりも、よっぽど。



 彼らが離れると、気まずそうだったり迷惑そうだったり、もしくは含み笑いをしたり――微妙な雰囲気でこちらを伺っていたクラスメイトたちは、元通りめいめいに喋りはじめた。

「ジャニス……」
「気にすることないよ、リィリ。もうあんな子、あたしたちと関係ないんだから」

 ジャニスは友達()()()。去年までは。学園で知り合い、アマリリスたちと同じ子爵家の出という縁もあり、すぐに打ち解けた。
 それが三年になってから急に冷たくなり、クラスで大きな顔をしているテオドアらにすり寄っていったのだ。過去に友人同士で打ち明けあった、悩みや弱みを手土産にして。

(地味でブス、か)

 キャスリンは着飾ることにこそ無頓着だが、くるくる表情が動いて可愛らしいと思う。よく眠たげと言われるアマリリス自身の顔も、嫌いなわけではない。ただ、人受けのする――それこそテオドアのような、派手な美形とはいえない。
 アマリリスという名前は、暑い地方に咲く華美な花から付けられたものだ。悲しいかな、本人は名前負けしている。



 がらりと前の扉が開いて、クラス担任の先生が入ってきた。

「ほらお前ら、夕方の点呼とるぞ」

 名前が呼び上げられるたび、高い声、低い声、大きい声、と色とりどりの声でリズムよく返事がある。

 魔術教育のウェイトが大きいこの学園では、普通の貴族学校などに比べて社交色が薄い。魔術の道に打ち込み、優秀な魔術師となることに大きな価値があるからだ。
 それでも貴族同士は腹を探りあい、また将来有望そうな平民を囲い込み始め、平民は有力なコネクションたり得るか水面下で貴族を値踏みしている。家柄、才覚、魔力、美貌、――有益かどうかを、互いに。
 そして、いづれもぱっとせず、魔術より社交に注力する決心もできなかった冴えないアマリリスは、友人に切り捨てられた。

「よし。全員揃っているな。明日から夏季休暇に入る。学園を離れ帰省や旅行をする者も多いだろう。羽目を外さず、心身を健やかに保ち、そして何より休暇中も勉学と鍛練に努めること!」

 最低限の釘だけ刺して、先生はあっさりと退出していく。クラスの空気が緩んでざわめきだす。

「ね、ほらほら! 夏休みの話しよ!」
「……そうね。まだ最初しか予定決めてないのよぅ、何しようか迷っちゃう」

 キャスリンの明るい声に笑みを返す。首を振って、憂鬱な思考を払った。



 そう、明日からは夏休み。冴えない気分を入れ替えて、普段しないことをしてみよう。
 少しでも自分を変えるために。







【魔術の種類】
魔術は大まかに属性術と無属性術に分かれます。
属性術は四属性、つまり火術、水術、地術、風術があります。扱うには魔術そのものの才に加え属性適性が必要で、比較的感性に依る術です。
無属性術は理術とも呼ばれ、下位区分として契約術、結界術など分野別に体系化されています。制約が多く、比較的理詰めの術です。
複属性の術や、属性術と理術(無属性術)を組み合わせた術もあります。

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