22. カザヤの反乱_2

文字数 3,951文字

 午後にさやさや(しだ)れ始めた雨糸はすぐ、幾千も連なる灰色のドレープになった。優しくもしきりに打たれた大地は泥の匂いを返し、あぶれた湿気に巻かれて三階にまでも立ち上ってくる。
 身体は元気そのものだが、執事には念のための安静を、護衛には身の安全を、それぞれ守るように言い含められてしまった。自室で物思いに耽るくらいしか、することがない。
 重たい髪を一撫でし、ぴたりと窓を閉じる。外にはうっすら映り込んだ鈍青を透かして彩度の低い風景が佇んでいる。



『ノア、これは……』
『アマリリス様が借りられていた、町図書館の資料の抜粋です』

 一枚きりの紙片に几帳面な文字で写されているのは短い伝承だった。実在の地形に紐付いた『治癒の泉』の謂われなどに比べると素っ気なく、夏風邪のように一過性の噂話にも見える。
 頁の外の情報を加味しなければ、だが。
 ノアはぴんと伸ばした背を、折り目正しく傾けた。

『頭からあの方を疑って掛かったこと、改めて申し訳ございません。魔術師と契約精霊は対等な関係と聞き及んでおります。ですがあの方は対等である以上に、アマリリス様に真摯で献身的でした』
『フロウを信じてくれたの?』
『……はい。なのでこれはお二人を引き離すためではなく、今後のご判断の一助になればと』

 合点がいく気持ちだった。アマリリスは最初、ノアにフロウを見極めてほしいと頼んだ。ノアもそれを受け入れた。その割に――妙に余所見をしていたのだ。同行はするものの、()()()()()()()()()()()だとか。
 あれがまさか間接的な粗探しだったなんて。けれど切り札になったかもしれない一枚を、ノアは母が到着する前のタイミングで譲り渡した。

『ありがとう、ノア』

 この厚意をちゃんと生かさないといけない。



 ちょうどジェフリーが仮眠を取りに行くところだった。アマリリスの警護とユインの見張りを三人きりで賄うため、彼らには無理をさせている。
 交代でやってきたフロウに至っては護衛の増員が着くまで休みなしの計算らしい。物を食べないのと同じで寝ることもないと本人から言われたけれど、大丈夫なのだろうか。瘴気混じりの魔力を持つユインの傍にいてはストレスも多そうだ。
 開け放った部屋の入口には、つやつやの巨大な水滴が半分くらい覗いている。

「精霊には魔力が必要でしょぅ? 窓を開けたら少しは足しになるかしら」
「本が湿気るからやめた方がいい。この程度の雨に大して魔力は含まれていないし」
「そうよねぇ……。でも、その、あなたの身体が心配だわ。今までちゃんと考えていなくてごめんなさい」

 精霊に生死はない、と言われている。
 だがそれは、学術的に人間や馬のような生命(いのち)と区別されているだけ。人間が食事を摂って生きるように精霊も外界の魔力を取り込んで存在していて、底をつくと消えてしまう。そんなの死と同義じゃないか。
 迂闊にもこれまでフロウの腹具合を気にしていなかったのは、実体があるのと幼い頃からの思い込みとで、無意識に彼を人間のように考えていたからだった。

「それなりに蓄えがあるから平気だ」
「それなりってどれくらい?」

 フロウは部屋の外でふよりと揺れる。

「湖八分目ぐらい」
「どういう基準!? 大きいのも小さいのもあるじゃない」
「んん……。あのな、百年近くも水気のない場所に封じられていたがオレは無事だろう。数日でどうにかなったりはしない」
「……分かったわぁ」

 釈然としないが頷いておく。会話に間が空いて、止まない雨音が急に大きくなる。
 アマリリスは彼に近寄り、おずおず切り出した。

「フロウ。今、話せないかしら」



 アマリリスがテーブルにつくとフロウも対面の椅子に乗っかった。伸び上がった身体を座面に引っ掛けて、下から上に重心が流れる滑らかな動き。
 フロウはするりとカップの外側をなぞり、お茶を縁から吸い上げる。煮詰めた苺のシロップを溶かしたノア特製の紅茶は赤みが強く豊潤に香る。

(ぬく)いな」

 透明に深紅が消えていく。アマリリスはもぞもぞと腰の座りを直しながら上目遣いにそれを見ていた。分かりやすいほどに自分自身への時間稼ぎだった。

「えぇと、あの。話し辛かったら断ってね」
「何を知りたいんだ?」
「カザヤの反乱のことを。あなたは当時、その目で見たのでしょぅ?」
「そうだ。……リィリには伝えておくべきだな」

 フロウはあっさりと肯定する。彼が反乱当時にカザヤに居たことは、もう予想がついていた。時期的に封印された理由にも関わっているだろう。
 アマリリスは根掘り葉掘り訊くまでもなく彼を信じている。我ながら盲信と言っていいほどだ。しかし()()()()()としては、はっきりさせておくべきだった。

(リーヴァンが後に王家に処断されたことで、反乱側の正当性は暗に認められているわぁ。でも時の統治者に剣を向けたのも確かなのよ)

 彼が扇動していたなんていうユインの言を鵜呑みにする訳がない。しかし傍から見てフロウに反乱の責が少しでもあるなら――あるように見える状況だったら、現領主である両親はどう判断するだろうか。

(場合によってはお母様と顔を合わせる前に……お別れをすることも、考えないと)

 そんなアマリリスの内心を知ることなく。フロウの柔らかな表面からほろほろと言葉が伝い始めた。





 オレは王都を出て、人里離れた土地を放浪していた。カザヤの――今より小さかった村を通ったのは、ここの山を越えて反対側に抜けるため。住人と言葉を交わしたのも偶然だ。
 カザヤは酷い状態だった。不作や重税による食糧不足もだが、疫病の蔓延が全てを悪くしていた。
 道案内の礼に治癒術師(ヒーラー)の真似事をしたら、若い村長がしばらく滞在してほしいと言う。悪い気はしなかった。やはり人恋しかったのかもしれない。それから二年ほど人間のふりをし、村の色々を手伝って過ごした。治療以外には湯を沸かしたり畑に水を撒く程度しかしていないが。

 反乱の切っ掛けは税の追加を言い渡しにきた役人だ。口論から始まり、激昂した村人達が農具で撲り殺したらしい。先に手を出したのは向こうだと言っていたが、本当のところは知らない。とにかくオレが役人を見たときには身体がひしゃげ、一目で事切れていると分かった。

「……ぅ、」

 すまない、言葉を選ぶべきだった。気を付ける。

「へ、平気よ。続けてちょうだい」

 役人が戻らないとなれば別の者が調査に来る。シラを切るにも限界がある。――それに元々、蜂起する計画はあったそうだ。事が発覚する前に、武装したカザヤの住民は近隣の役場を襲撃した。
 村人達は士気も高く、起こりこそ突発的だったが善戦を続けた。逆に敵方はだいぶ疲弊していたようだ。当時の領主は我が身が最優先だったんだろう? 矢面に立つ兵士も、顧みられていなかったのかもしれないな。

「あなたは村に残ったのね」

 そうだ。反乱が始まってからも負傷した男達を乞われるまま治した。そいつらはより深い傷を負って戻ったり、――二度と戻らなかったりした。
 戦いが始まって半年ほど経った頃だ。
 治療で減る魔力を補うため、オレはだいたい村の中ではなく水辺にいた。村人は地形を生かしてカザヤ一帯への侵攻を防いでいたから、オレの前に敵が現れたのは本当に突然の出来事だった。

 普通の兵士とは思えない魔術師ばかりの一団。三十人はいただろう。
 問答無用で杖を向けられて咄嗟に応戦はしたが、人数と得体の知れない術に押しきられ、あの洞に封じられた。それきりリィリが術具を壊すまで意識がない。
 だから反乱がどう終結したのかまでは、オレも知らないんだ。





「カザヤの反乱が八ヶ月続いたのなら……オレを襲った魔術師達はすぐに村を攻め落としはしなかったんだな。理由は分からないが」

 雨音は続いているのに遥か遠い。話を終えてフロウがゆったりとカップのお茶を含むのを、アマリリスはどうしようもなく見つめた。

「教えてくれて、ありがとう。だからあなたは治療を避けているのね」

 戦いから帰った村人を癒し、そして再び戦場に送り出すことを話すとき、彼の澄んだ声は押し殺されてくぐもった。自分がその立場だったら到底耐えられない。治さなければ次の戦闘で死ぬことはなかったと、きっと考えてしまう。

「怪我が治ったあと、痛みなど忘れて意気揚々と戦いに出ていくあいつらが恐ろしかった。そもそも……オレが余計なことをしなければ、反乱など起こさなかったんじゃないだろうか」

 答えのない問いはアマリリスを通り抜け、時の川下に消えていく。

「でも……でも! あなたは病気で苦しんでいた人達を助けたのでしょぅ? それが悪いことだったはずがないわ!」
「そうだな。病に冒されていた村を放って行くのが正しかったとは思わない。ただ長居して、半端に肩入れすべきではなかった」

 彼と契約した夜のことがはっきりと(よぎ)る。
 契約の申し出を、フロウは嬉しいと言った。断ったのはアマリリスに問題があるからではないとも言った。そうして二ヶ月後という終わりを定めて初めて、彼は頷いてくれたのだ。

「やっぱりあなたが『良いものではない』なんて嘘よ。だってそうやって、傍に居る人のことを考えているんだもの」
「……違う」
「どうして。私との契約だって……」
「違う。オレが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。リィリはいつもオレを善良なふうに言うが、そんなことはないんだ」







【雨の魔力】
雨はぱっと見で水の印象が強いですが、大元である雲は水より風属性の影響が大きく、そこから降る雨や雪もさほど水の魔力は含みません。
ただ雨量や季節、地域によっては豊富に水の魔力を帯びている場合もあります。
また魔力の多寡によらず、水精は雨を好みやすいようです。普段水中にいる精霊が雨の日には水面に顔を出している姿がよく見られます。

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