12. まもののむれ

文字数 3,987文字

「それではよろしくお願いします! こっちは僕の契約精霊、相棒のむーちゃんです!」
「ん、よろしく」

 やけくそ気味に腹から声を出して、ジェフリーは元気に歩き始めた。男二人、林を行く。頭の上で相棒がもぞもぞ動いている。可愛い。
 諸々の都合を考慮して、あれからすぐ翌日を魔物狩りの決行日とした。空はからり快晴で雲もなく、ガンガン気温が上がり、まだ午前中なのに相当な熱気だ。湿度が低いのは救いだが、それとくっきり影を落としてくれる樹々の恩恵を加味しても、きつい。
 薄手の上着の前ボタンを外して風を入れてみたところで、四肢と背には汗がこもる。鉄鍋の上で口を開けるまで蒸し焼かれる貝のようだ。塩気も利いている。

「ああもう、あっつい。……今も瘴気、感じます?」
「大体の方向は。まだ遠いな」

 ちら、とこちらを見て答えるフロウは、ジェフリーとさほど変わらない服装なのに平然としている。一度立ち寄ったカザヤで暑いと呟いていたので、温度は感じるようだが。
 水色の目の涼しげな印象のせいでそう見えるのだろうか。それとも、人と異なる身体ゆえに、暑さが苦痛に繋がっていないのかもしれない。
 なんとなく不公平を感じつつ、手拭いで汗をふいた。

「なるほど。僕にはまだ感じ取れないので、しばらくフロウさんの感覚頼りですね」

 フロウが瘴気を辿ってカザヤ周辺に来たこと、既に虫型の魔物――特徴を聞くにストレイピードを一体発見し倒したことは、情報共有されていた。

(けどなーんか、他に色々隠してそうなんだよな。お嬢様も、ノアもだ。なんでかノアは変質者みたいに敵視してるし……警戒する方向性がずれてるよ、ほんと)

 ジェフリーにはとても、フロウと表立って反目する勇気はない。
 《精霊契約(リンケージ)》により契約者と契約精霊は同等の魔力知覚を持つ。つまりジェフリーが気付けないほどの微弱な瘴気を察知するこの人型精霊、少なくとも知覚の面ではジェフリーの相棒より秀でているというのだ。『根宮の針鼠(地精)』のむーちゃんは、愛らしい見た目でいてかなり強い精霊なのに。

 仮にフロウと敵対したとして――対精霊用の魔術というのも、あるにはある。だが魔力に敏く、詠唱なしに力を振るう相手とやり合うには、超遠距離からの不意打ちや数で押すなど工夫が要る。そもそも実体があることや姿が変わるのが特殊すぎて、底の知れない相手だ。

「……そんなに暑いなら、氷でも作るか?」
「とても魅力的ですが……魔物に嗅ぎ付けられる恐れがあるので、我慢しときます」
「そうか」

 あっさり引き下がって、フロウは進行方向に視線を戻した。
 魔物は、魔術の行使などで魔力が結実する瞬間に、一番如実に反応する。その仕組みはよく分かっていないため、浪費(ロス)のない精霊の振る舞いでも居場所を悟られる可能性はある。

(うう……冷たい氷……。くっ、護衛として僕は僕の仕事をしよう。ちゃんと見極めないとね……!)

 葉陰を縫って突き刺さる日光という名の熱線にも、フロウは無表情を崩さない。瘴気のせいか少し機嫌が悪そうだが――。
 作り物じみた横顔からは、何を考えているのか全く想像がつかない。ジェフリーも思惑を気取られないよう、暑さに参った苦笑で感情を覆い隠した。





 この夏。ストランジ家の別荘には、普段から維持管理を担う者に加えて、本邸から使用人がいくらか合流している。ジェフリーも令嬢の夏季休暇前にやってきた本邸組だ。
 ジェフリーが移動してきて真っ先にしたのは、カザヤの自警団に連絡を取ることだった。地元のことは地元の人間に訊くのが一番良い。それからも町に出た時は必ず顔を出し、情報交換をしていた。
 先日もアマリリス達を図書館に残し、詰所を訪れたところ、直近の魔物の目撃情報を知らされたのだ。また近隣で瘴気が観測されたとも。

 自警団員は木こりとの兼業が多く皆屈強なものの、魔術師は抱えていない。魔物をきっちり駆除するには少々心もとないだろう。
 護衛として『盾』の立場にいるジェフリーだが、打って出る『剣』の働きをしたことは度々あった。当主からもできる範囲で住民に力を貸すことは推奨されている。それに町との関係を良好に保つに越したことはない。

 探索と退治に協力してほしいと請われれば、断る理由はなかった。
 ――これを口実に、アマリリスが捕まえてきた異色の精霊に探りも入れたい。

(って思ってたけど……、魔物狩りの方も一筋縄じゃいかなそうだ)

 夏の山林は煩いほどに生命の息遣いに満ちている。伸び散らかした草には大小の虫が飛び回り、太い枝を素早く栗鼠か何かが駆け抜ける。小鳥の鋭い羽ばたきは、葉擦れのざわめきを切り裂いていく。
 瘴気はまだ遠い。だが既にジェフリーにも知覚できる距離だ。きな臭いような異質さが、多種多様の気配の中に紛れ込んでいる。

 先に気付いたのはフロウだったが、今ではジェフリーも感覚的に理解できた。
 どちらともなく足を止め、視線を交わす。

 この瘴気は普通ではない。



「確かに地属性……だけじゃないですね」
「だろう? 四属性の瘴気が一箇所に澱んでいる」

 先に見える高い樹の辺りを、フロウはぐるりと指差した。

 自然に存在する魔力が属性を持つように、『(けが)れた魔力』『負の魔力』などと言い表される瘴気もまた、属性で分類できる。
 そして危険な瘴気多発地帯でもあるまいし、全ての属性の瘴気が一斉に充満するとは考えづらい。

「自然発生した瘴気の波によって魔物が現れたのかと考えてましたが……これは逆かな」

 魔物と瘴気の関係は、鶏と卵のようなものだ。
 瘴気に惹かれて魔物が集まり、あるいは新たに出現する。魔物はいるだけで周囲を汚染し、瘴気を生む。

「魔物が集まったせいで瘴気が湧いていると」
「なにか特殊な原因で瘴気が溜まったセンも、なくはないですけど。どちらにせよ属性的に、ストレイピード(地の魔物)以外もいそうです」
「どうする? 突っ込むか?」

 わあ猪突猛進。
 精霊と魔物は存在レベルで互いを憎むので、急くのも不思議ではないが。かくいうジェフリーの相棒も興奮し、頭上でばたついている。可愛い。

「まだ待ってくださいね。……広範囲に影響する魔術使ったら、瘴気の感知の邪魔になります?」
「瘴気そのものが消し飛ぶほど強い術でなければ、問題ない」

 よろしい。ジェフリーは左手で短杖(ロッド)を抜き、ちょっと考えてから契約精霊を近くの樹に乗せた。むーちゃんは美しい琥珀色の針をわさわさ動かして抗議しているが――軽く撫でると落ち着いて、じっとこちらを見守ってくれる。

 片膝を突き、地に染めた自身の魔力を足下から滲むそれと馴染ませる。落ちる砂のように。張り巡る根のように。
 土の匂いを深く吸い込んで、満ちゆく金の光に詠唱を沿わす。

「…………

。《地形把握(ランドスコープ)》」



 地形とは、平坦だの、丘だの、つまるところ()()()()をいう。
 加えて、大地の感覚を拾い、密度や他の物との接触を読み取れば、障害物やぬかるみなど地面のコンディションを知ることもできる。
 そして突き詰めると、

「あの樹の周囲に最低十四体。虫型と獣型、それと這うやつの混在で全部雑魚。樹から右手奥の池の傍に最低九体。構成は同じです」

 地表を擦る()()が、その上にある敵の位置、数、姿を逐一教えてくれる。
 ――池と言った途端、フロウの眉間に皺が寄った。水辺を汚されるのはさぞ不愉快だろう。そろそろ『待て』を解かないと、今挙げた地点を丸ごと薙ぎ払ってしまうかもしれない。

「池の方をお任せしていいですか。飛んだり水中に潜む魔物がいたら、さっきの数に入っていないので気を付けてください」
「了解だ。さっさと片付けてくる」
「あ、記録に残すので、魔物の特徴を覚えておいてくれると助かります」

 片手を挙げて、フロウは右前方へ樹々を縫っていく。回り込んで横合いから急襲するつもりだろう。
 誰かに見られた時のためにジェフリーが貸した予備の短杖(ロッド)も、早々に握っている。あの様子では本当にすぐ殲滅しそうだ。



 手分けしたからには、しかも数の多い方を取ったのだから、こちらもフロウが戻るまでに倒し切らねば面目が立たない。
 ジェフリーは右手に抜いた剣身を杖先でこんこん叩き、手早く《鋭刃(シャープエッジ)》を唱えた。地術は金属全般に通じていて、武器強化に長けるのがいい。

「むーちゃん、万が一僕が討ち漏らしたらここで仕留めてね」

 しゃら、と貴人のネックレスに似た声で応えて、樹の枝に陣取った相棒も張り切っている。

 杖はベルトに差して剣だけを構える。相手が強い時は障壁や身体強化の魔術も併用するが、今回は無用だ。
 敵は数が多いだけで小物ばかり。しかも統率などない混成の集団だから――、

「グャオアァァァ!!」

 ――正面の茂みから醜悪な獣型の魔物、ウィアードウルフが飛び出した。
 上顎と下顎が真っ直ぐになるぐらい開き、瞬時に鋭い乱杭歯が襲い来る。が。

 地を介して()()()()()軌道をひょいと左に避け、すれ違いざまに斬り抜く。
 砂を払うような軽い感触。
 断末魔すらない。

 ジェフリーは両断した魔物に構わず駆け出した。強く蹴って前へ。
 自分の足取りが他人事のように大地から伝わった瞬間、ばちんと戦意が弾けた。

「はは。見事に縦に伸び切ってるねえ!」

 足の速さの異なる魔物が、《地形把握(ランドスコープ)》の魔力に釣られてめいめいに向かってくるのだ。結果的にほぼ一列の縦隊になっている。警戒すべきは空中だけ。

 狩りやすいことこの上ない。
 にやりと笑って、次に迫る魔物を斬り捨てる。

 ――遠く、水の魔力が弾けた。向こうも始まったようだ。







【精霊の強さ②】
精霊の力量の観点の一つは『存在の濃さ』で、おおよそ魔術師の目に映る際の姿の鮮明さ、緻密さをいいます。知覚力はこれに比例するようです。
主に年齢により、個として存在した時間が長いほど存在が濃くなりますが、同時に存在し続けるために消費する魔力が増えます。

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