23. 治癒の泉

文字数 4,277文字

 本邸から駆け付ける母を出迎えるため、アマリリスはノアや執事のバージルとともにエントランスホールまで出ていた。

(うぅん……、頭の中がぐるぐるするわぁ)

 思考につられて両の足もせわしなく行ったり来たりする。ノアが物問いたげにしているのが視界の端に見えた。母に説明する内容を最終確認しないといけないのに、全く集中できない。
 それもこれもあの日、手探りな会話の最後で、フロウが浮かべた表情のせいだった。初めて見た顔の意味をアマリリスは未だに受け止めかねている。

(あれは好感触、と言っていいのかしら。私の言葉が響いたっていうには、何だかちぐはぐな感じなのよねぇ)

 しと降る雨を眺めながら彼とテーブルを囲んだのは、もう一昨日のことだ。それ以来踏み込んだ話はしていない。フロウはずっと賊の見張りと世話に手を取られていたし、アマリリスはアマリリスでこうして考え込んでいた。

(……思えば大した憶測でものを言ってしまったわ。いえ、私は自分の推測を今も信じてるけれど)

 ただ、それはフロウの慰めになったのか。己に酔った自慢話みたいに神経を逆撫でしただけなのか。
 彼と話した一言一句。悩んでも栓のないことが、ずっと頭を離れない。





「オレは戦わなかった」

 微細に震えて声を発する身体は涼やかで、終始淡々としていた。反乱そのものや村人達について語った時の後悔の滲む口調に比べたら、まるで先生方が講義のはじめに雑談をする軽さだった。

「リィリには分かるだろう。オレは普通の兵相手ならまず負けないし、魔術師でも……三十人は無理だったが、まあ二、三人はいけるはずだ。おそらくジェフリーにも勝てる」
「そう、ね。ユインも一捻りだったもの」

 そもそも詠唱が必要な魔術師は、精霊に対して分が悪いのだ。普通は争いになることもないのだけど。

「なのに戦わなかった。反乱のただ中にいて、村人を死なせないために敵を殺すことを選べなかった。()()()が選んでいいことではないとも思った」
「部外者?」
「そうだ。数年共に過ごした彼らが死に逝くことを確かに辛く感じながら、オレは結局カザヤの人々の仲間ではなかった。……魔術師相手に抵抗した時、村長が居合わせていたんだ。あいつは()()()オレを見て唖然としていた。それが全てだろう」



 あっさりとした言葉に、口をつきそうになった軽率な反論を呑み込む。アマリリスの内面には大粒の(ひょう)が落ちては砕けるように自問自答が飛び交っていた。

 ――彼ならば殺さずに敵を倒すくらいできるんじゃないか、ユインらを眠りに落としたように。しかしいきり立った村人達が無力化された敵兵を見れば、撲り殺してしまっただろう。結果は同じだ。

(そう、そんなの枝葉にすぎないわぁ)

 ――彼の物言いは少々傲慢じゃないのか、自分がいたから反乱が起こったというのを含めて。だが実際に一地方の戦いを左右する力はあるだろう。いづれにせよ最後は大挙して押し寄せた魔術師に封じられてしまうとしても、だ。

(それも、今は重要じゃない)

 ――彼が加勢して戦が大掛かりになれば、村ごと滅ぼされていたかもしれない。結果的に被害を抑えられたという見方もあるんじゃないか。
 ――過ぎてしまった可能性を測る意味はあるのか。
 ――人同士の争いに関わらないのは、精霊として普通のことではないか。

(違う! もっと……あなたに伝えなきゃいけないことが、何かあるはずなのに)

 考えるほどに、焦りが膨らんでいく。
 アマリリスは大概弱気で、後ろ向きで、あれこれ引きずる性質(たち)だ。そしてフロウも、アマリリスよりずっと重い記憶を過去に抱いていた。
 だから分かる。表面的な慰めの文句なんてどこにも届かない。

 太股の上でぎゅっと服を握った手のひらが異質な感触に触れる。
 瞬間――ひときわ大きな欠片が頭の中で弾けた。





 閃きは鮮烈だった。短い初夏の日々が、割れたガラスを継ぎ直すように形になっていく。
 フロウと再会し、契約を結んだのは、きっとこれを伝えるためなんだ。脳髄がじんと茹だるような確信が、そしてやっと彼に()()()という喜びが、心を高揚させた。
 アマリリスは紙を懐から引っぱり出し、小走りで机の上からも別の数枚を取ってきた。

「……フロウ。変に思うかもしれないけれど、一つだけ教えて。あなたはこの場所を知っている?」
「ああ、知っている」

 差し出した地図の、アマリリスが示した箇所ににゅっと身体を寄せ、フロウは即答した。

「ありがとう。あのねぇ、さっきあなたに聞いたお話が、伝承に残っているの。まずは読んでみてくれないかしら」
「人の姿になってもいいか。このままだと見えづらい」
「大丈夫よ。ノアももう、あなたを信用してくれたもの」

 魔力の波とともに部屋の扉が閉まって、そうしてフロウはゆるりと人の形と色になった。地図の上に置いた紙片を端正な指が拾い上げる。ノアが資料の中から調べ出したものだ。
 瞬きをしながら視線が往復するのを、息を潜めて見守った。

「……そうだな、これはオレのことかもしれない」

 ――『人心を惑わす魔物』。カザヤの地方に人語を操る魔物が現れたという。巧みに人々に取り入り、不信を煽り、終には反乱を引き起こす。
 ――魔物は勇士により討たれ、反乱はほどなく鎮圧された。疑わしき者にはゆめ心を許すなかれ。

「魔物と書かれているのは忌々しいが」

 魔物扱いを不満そうにしつつもフロウが頷くのを確かめて、アマリリスは二度深呼吸した。雨の湿気と緊張で足の裏がもぞもぞする。



「これね、ちょっとおかしいのよ」

 紙に写された内容の大元は、カザヤ町図書館から借りていた本である。リーヴァンが廃されストランジがこの地を治めるようになってから、知を重んじる当主の号令で、口伝を蒐集し書き留めたもの。
 この資料には一つ秀逸な点がある。

「カザヤについての噂話なのにカザヤでは全然流行らなくて、近隣の町や村だけに広まってすぐ廃れたらしいの。反乱が鎮圧された直後に」

 言い伝えの横、単語と数字が並ぶメモを指す。
 原本ではそれぞれの伝承について、『いつ頃どの辺りで流布したか』『どういった職や住処の人の口に上っていたか』など、当時調べた限りの詳細が添えられているのだ。その周縁の情報が、伝承の記述そのもの以上に色んなことを教えてくれる。

「……? 何かおかしいか?」
「自然に噂が生まれたなら、カザヤの人も同じことを話していたんじゃないかしらぁ。自分達は唆された被害者だと言うこともできたはずでしょう。でもそうはならなかった。『人心を惑わす魔物』は村の人達にとって事実じゃなかったのよ」
「自然ではない……意図的に作られたのか?」
「えぇ、多分。領主や役人が反乱の飛び火を牽制するために、事実を歪めて流したんじゃぁないかと思うわ。カザヤの反乱は邪悪な魔物によるもの、正義は統治側にある、って。純粋な警鐘にしては、魔物の外見に触れていないとか疑問が多いもの」

 フロウは『魔物』の言い伝えをしげしげ眺めて、ふぅんと首を傾げている。



「それでねぇ、もう一つ気になる伝承があるわ」

 ――『治癒の泉』。カザヤ山中に所在する小さな泉。稀に水面が青い燐光を帯びる。いつからかその水は特別な力を持ち、飲めばいかなる怪我や病をも癒す。
 ――汚すことなく、荒らすことなく。清らかなまま末永く残すべし。
 ――註:調査では、語られているような現象、効能は確認されなかった。

「この間、あなたは『治癒の泉』を知らないと言っていたでしょぅ? でもさっき見せた地図がその場所なのよ」
「……泉は昔からあって、オレがやられた後に噂ができたんだな」
「そう、それもカザヤの中で急速に根付いたみたい。こちらも不自然なくらいに。そして治癒の効果なんか本当は無いのに、今に至るまでずっと伝わっているの」

 機会があったら行ってみようと、何気なく書き写しておいた紙。それがおそらく当人のフロウの手の中にある。思えば図書館長から伝承と彼の目撃情報を一緒に聞いたのも不思議な縁だ。

「これもきっとあなたのことだわ」
「んん……随分誇張されているが、そう、かもしれない」
「ねぇ、私、想像したの。反乱の後、弾圧も酷かっただろう時期に、形を変えてまであなたのことを語り継いだのは何故か。あなたを悪く言う噂に乗っからなかったのは何故か。後に残されたものこそ全てよ」

 百年の間、連綿と受け継がれたものが、どうかこの人に繋がってほしい。

「……あなたは自分がしたことが不十分で薄情だったと考えているみたいだけれど。カザヤの人にとっては、()()()()()()、危機に身を晒してまで村を助けてくれてたってことだわぁ。あなたがなんて言おうと、あなたのことをかけがえなく思ってたんじゃないかしら」





 フロウはつと手元に視線を落としてから、アマリリスを見た。雨に翳る部屋で、そこだけ光を透かしたように薄青はさめざめとしている。

「どうしてだ?」
「どうして、って、資料を読む限り、」
「そうじゃない」

 その色がぎゅっと霞んで、フロウは首を傾げる。

「リィリはどうしてそんなことを言うんだ」

 問いは痛いほど透明だった。
 頭から血が落ちていく感触がした。剥がれて落ちたのは、根拠というはりぼての後ろ楯もだ。
 つまるところアマリリスの語った全ては憶測にすぎない。記録が誤っている可能性も、拡大解釈している可能性もある。伝承を残したのはごく一部の人間で、他の大多数は彼を恨んでいたのではと言われたら、返す言葉もない。

 そしてまた、思い付きを意気揚々と彼にぶつけたのも、じわじわと恥ずかしかった。もしやアマリリスはフロウを勝手に良い方に解釈して、虚像を押し付けているだけなのだろうか。浅ましくも星に手を伸ばすだけでなく、価値を強要していたのだろうか。
 けれど。だとしても――。彼と離れるまでにできることは、全てしたかった。

「っ……。あなたが、『良いものではない』なんて、違うから」

 拗ねた子供のか細い声が落ちる。
 鼓動も薄らぐ静寂が、部屋を覆っている。

 その気まずさはフロウによって事もなげに破られた。
 彼は睫毛を伏せ、冬の終わりのようにひっそりと微笑んだのである。







【ストランジの町図書館――地域資料】
徴税のための人口や取れ高はどこの領地でも記録しますが、ストランジ子爵領の町や村では、他にも伝承や料理などユニークな複数の観点で記録を残すよう指示されています。
図書館を擁する町では図書館が、そうでない町や村では長の家が担います。
特筆すべき事項がなければ逐一の報告は求められませんが、時々チェックが入ります。

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