28. ひと時の休息

文字数 3,758文字

「契約紋、二人とも手首に出てるんだ。腕輪みたいで素敵だね」
「やっぱり腕輪っぽいわよねぇ。私も気に入ってるわ」

 やっと冷静になったアマリリスと人間態に戻ったフロウの手首を並べてみている。サイズ以外全く同じ契約紋は、青の円や曲線が絡み合っていて流麗だ。

「キティは確か爪よね」
「そうだよ~」
「これも爪紅みたいで綺麗だわぁ……」

 キャスリンは右手中指に浮かんだ黄色の契約紋を見せてくれながら、逆の手でドレスの胸元を撫でた。ちかちか地の魔力が瞬く。
 焦げ茶の瞳(地適性)の彼女が契約している『花崗の甲虫』は、よくブローチのようにじっとしがみ付いている。明るい蜂蜜色に、その出自の通り花崗岩に似た濃淡がくっきり浮かぶ、小さくも美しい精霊だ。

「……そういえばフロウさんって、もちの時はどこに契約紋が出るの?」
「さあ。試したことがない」

 再び透明になるフロウ。今日だけで何度も姿を変えてもらい、なんだかせわしなくて申し訳ないが、アマリリスも気になった。
 丸くたわんだもちもちに、ぺか、と紋様が現れる。
 身体の上四分の一くらいの円周を取り囲んだ青い光はまるで――、

「わ! サークレットっぽい!」
「か、かわ……」
「リィリ? どしたの?」
「あっ、いえ、思ったより大ぶりだったからびっくりしたわぁ」

 花冠みたいで可愛いすぎる、とは流石に言えなかった。



 その後も新学期について相談していると、窓はいつしか朱色に染まっていた。キャスリンは今日はお泊まりだ。なにせインスピア領は真逆の方向で往来に時間が掛かるので。
 カップのお茶を静かに飲み干し、話題の隙間に彼女は呟いた。

「あのさ、リィリ。契約ほんとにおめでとう。……覚えてる? 小さい頃、フロウさんの話しては泣いてたの」
「えっ、お、覚えてないわぁ。私ったら、キティにごねたって仕方ないのに……」
「気にしないでいいよ。離れ離れになったこと、すっごく悔しかったんでしょ?」
「そう、ね」

 大事なフロウの頼みすら夢に紛れて風化して、彼との思い出を懐かしむこともだんだんとなくなり。ただ無力である悔しさはずっと心に刺さっていた。もしかしたら思慕もより強く。

「まさか精霊なんて思わなかったけど。また一緒にいられて良かったね」
「えぇ! ……ありがとうキティ」

 とろとろの陽に、心がほどけていく。
 フロウに更新を持ち掛けられるまで、この契約はアマリリスだけが望むものと思っていた。けれどそんなことはなかったのだ。
 同じ目線で祝福をくれるキャスリンに、気の抜けた笑みが漏れた。きっとフロウが人間や、もっとささやかな精霊だったとしても、魔術師としてのメリットがなくても――親友はただ二人の再会を喜んだのだろう。





 ノアは愛想のない精霊と、座ったまま相対している。仕事の後、さあ身体を休めハーブティーの配合を試してからベッドに倒れようと自室に戻る途中で、無機質な声に呼び止められたのである。
 びくと肩が跳ねそうになったのを堪え、使用人の休憩室に引き込んだ。折り入って話があるというから仕方なくだ。静まり返った室内の調度は簡素だが、術具の光で煌々と明るい。

「頼みがあって来た。茶の淹れ方を教えてほしい」
(さて、どうしたものか)

 フロウはアマリリスと対等の関係。しかし必ずしも貴人として扱わねばならぬ訳ではない。魔術師である当主や奥方の契約精霊にも、屋敷の他の魔術師達は殊更へりくだっていないからだ。貴賤の枠など関係ないのが精霊というものらしい。ノアには見えないので伝聞である。
 しかし個人的にも、立場的にも、カザヤの一連の事件でアマリリスを救ってくれたことには強い感謝の念を抱いている。服や靴が悲惨なほどボロボロになっていたのに、身体には小さな擦り傷も無かった。そもそも警備体制の隙を突いた周到さで襲われたのだ。この精霊がいなければ助け出すことすら――と思うと身体の芯が冷えてくる。
 そう、傷といえば、フロウの治癒術は素人目に分かるほど飛び抜けている。過去には半日足らずの間に骨折を完治させもした。普通の診療所の魔術では早くて十日、どうしても急ぐなら国内唯一の施療院でより高度な治療を受ける必要があるというのに。親しくしておいて損はない。
 ならばここですべき返事は、

「お断りします」

 いけない。つい私情が先立った。
 フロウはほとんど無表情のまま、少しだけ眉を下げた。



「どうしても駄目か。基本だけでいい」
「何故お茶を自ら? 学園の敷地内にも喫茶室やカフェはあると聞き及んでおりますが」
「学園でもリィリと良い茶を飲みたい。リィリはカフェよりお前の淹れたのが好きだと言うし、オレも……他と比較できるほど分かっていないが、美味いと思う」

 ノアは神妙に頷いた。不特定多数に供する店舗と違い、長年アマリリスの好みに沿うように味を追及し続けてきた。気に入って貰えて本望だし、カフェに負けるはずがないという自信もある。ゆえの反発心も、当然起こる。

「……基本であっても、簡単に実践できるものではないのです。失礼ながら、初心者の仕事よりはカフェの方が美味しいかと」

 アマリリスと契約精霊をくっ付けたがっているジェフリーならば、二つ返事で教えただろう。店舗の無難なお茶と、この男の淹れる拙いお茶。アマリリスが後者を取るのは明らかだ。
 それこそがノアには面白くない。
 長年の疑念が晴れ、恩まで感じている今も胸中にはモヤモヤが留まっている。つまるところ、畏れ多くも姉のような気持ちでずっと見守ってきた令嬢が、短期間共に過ごしただけの男に心底惚れ込んでいるという、寂しさなのだった。

「茶は温水で淹れるだろう。一度実演してもらえれば……あとは分量と手順さえ守れば、それなりに再現できるはずだ」
「魔術でどうこうするつもりでしたら尚更教えられません。覚えておいて頂きたいのですが、表立って食物に魔術を用いるのはマナー違反です」
「そうなのか? この間の晩餐で食卓の料理を保温していたが、リィリには咎められなかった。エドウィンにも言われたことはない」
「……」

 とはいえ意地を張り続けるのもいい加減不義理だと、良心が疼いていた。



 ノアが持ち出したマナーは出任せではない。むしろ形骸的なマナーとは対極の、重要な意味を含んでいる。
 魔術には一見して効果が分からないものも多いのだ。誰かの食事に干渉するのは――薬、毒、ただの調味料、いづれとも知れぬ粉を目の前で振りかけるに等しい。暗黙の了解として厨房での使用は見逃されているが、これは調理者や給仕を疑うなら魔術の有無を問わず口にすべきでないからだ。
 堂々と魔術を用いてマナー違反にならない例外は、家族など親密な間柄のみ。要人や騎士の中にはそれすら避ける者もいるという。

「アマリリス様には、事前に一声掛けられましたでしょう」
「ああ」
「互いに深い信頼があること、きちんと許可を取ること。この前提がある場合は問題ありません。ただし十分な信頼関係が築けていなければ、提案した時点で非常識と思われます。相手の信頼を値踏みする行為ですので」

 フロウは首を傾げ、ゆっくりとノアの説明を咀嚼しているようだ。ううん、と小さな唸りが唇から漏れた。

「茶葉を煮たり、食事を温めたりするだけのことに、どうしてそこまで気を遣うんだ」
「本当に食事を温める魔術かどうか、食べる者には分からないからです。安易に許せば食事を毒に変える魔術を使われるかもしれません」
「それは人間の魔術の話だろう。オレにそんな能力はない」
「いいえ。あなたにその力がないか、()()()()()()()()()()も、付き合いの浅い相手には分かりません」

 難しい顔で目を閉じていた男は、やがて溜息とともに頷いた。得心してくれたようだった。
 精霊全般の特性なのかもしれないが、フロウはどうも物事を率直に受け止めすぎる。他人の言葉を鵜呑みにして、言外の匂わせや裏の意図を考えない。そこに悪意が潜んでいることも少なくないというのに。
 普通、人は多かれ少なかれ『知らない』ことに警戒を抱く。見えない部分にあるかもしれない危険を恐れる。

「理解した。忠告助かる」
「いいえ、アマリリス様のためですから」
「……だが、つまり、リィリと自分が飲む分なら良いんじゃないのか……?」
「そうなりますね」

 悔しいことに、と心の中だけで呟く。
 しれっと席を立ち、休憩室のドアに向かう。焦ったように椅子を鳴らす音を背中に聞いてノアは苦笑した。少々溜飲を下げ、でも、これぐらいにしておこう。

「調理場を借りましょう。まずはシンプルな紅茶を、アマリリス様の好きな銘柄で。一日にレシピ一つか二つづつお教えします」
「! ありがとう、感謝する」

 やるからには最低限の水準を満たしてもらわねば、と気合を入れて――ノアは生まれて初めて、弟子を取ることにした。







【高度な治癒術】
通常の診療所で受けられる治癒術は、被術者本来の治癒力や抵抗力、あるいは併用する薬の効力を高めるものです。
治療を急ぐ場合や大掛かりな治療では、生命力そのものを補う必要があります。施術者の生命力を用いるのは限界があるため、古い大樹が帯びる四属性の魔力で代用することがほとんどです。
このため国立施療院は大樹の麓に建ち、魔力を枯らさないよう数十年のスパンで別の大樹に移動します。

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