第18話

文字数 1,865文字

 嫉妬と資格と禁欲と(二) ——玻璃姫の叛乱 検査入院・八日目

 「Autumn Park」がいま終ったワ。ホントいい曲。あなた、思い出した? 聴いていると、秋の澄んだ空気を感じる、秋の陽に静かに輝く美しい黄葉が見える、そして小径を歩く恋人たち。その澄み切った(おも)いが透明感のある曲と歌声で伝えられる。そして、心にしみてくる。
  どちらか先にいつかこの世を去る日が来ても
  大好きなまなざしを私はずっと覚えていたい
 私もそう思った。あのころ、あなたの眼差しをずっと覚えていたいと思った。(現実には忘れちゃったケド)長く見ていたいから、まばたきを少なくした。
  あなたと会えなくなる運命(さだめ)は思いつかない どうしてもどうしても
 そのとおりだと思った。あのころ、あなたを失う未来なんてどうしても想像できなかった。
 だから、復活した。その二月から三月にかけて、あなたに手紙をいっぱい書いたのを、私は記憶しているワ。私たちはもう裸で一つになることはできなかったから、きっとその代わりに手紙で、私の思いをいっぱいいっぱいあなたに伝えて、あなたに忘れられないようにしていたのネ。(手紙で想いを伝えあうなんて、ホント昭和レトロの恋ね)
 もちろん手紙の内容はほとんど覚えていないし、文章もうつろにしか思い出せない。ただ、手紙の文脈とは関係なくとびとびに、フラッシュバックの写真のように浮かび上がってくる、言葉やその群れがあるの。こんな感じかなと想えるうろ覚えの文章の断片や、話しかけるように書いたその雰囲気や、とくにあの無鉄砲な情熱とジェラシーに引きずられて殴り書きしたフレーズが、ふとしたひょうしに脳裏にうかぶの。
 いま、あなたに私の勉強の応援を頼んだときの手紙のことをぼんやりと思い出したワ。目をつむると、こんな言葉が浮かんできたの。〈私だって、今すぐに抱きしめてほしいワ。〉そして、そう思う気持ちはきっとあなた以上だとか何とか書いた気がする。でも、まだ今は待って。勉強が進んでもう少し自信がついたら、きっとあなたに壊れるくらい抱いてもらうから、それまでは我慢して応援してください。こんなふうに一生懸命、たのんだような気がする。
 私は、一番大好きなあなたの肌のぬくもりを我慢して、試験勉強を頑張るから、あなたも裸の私と一つになりたい欲望を抑えて、今はまだ待って、とお願いしたの。禁教令ならぬ、禁欲令ネ、ふふ。
 次は、こんな言葉が思い浮かぶワ。〈あなたは私を抱いているのよ。まとわりつくように〉
 〈まとわりつくように〉って言葉、記憶に強く刻みこまれている。夜になると、あなたは私の体を抱いている、って。それを感じることができる、って。いまはお互い我慢して、想像と夢の世界で抱き合い濃厚なキスを交わすだけで満足しましょう、っていうことネ。ああ、私はあなたをこんなにも好きだと思っている。信じられる? 〈もっと優しくなります。〉って、私はあなたに誓った、いえ、祈ったのかしら。
 で、〈一人ではもう、いられなくなったなァ〉って感じたという言葉も、記憶の袋の中でちょっと目立っている。いやなところもいっぱいあるのに〈何故こうもあなたが好きなのか?〉——前には、あなたの平凡じゃないところに惹かれたって云ったけど、こんど入院してあなたと話すうちに気づいたことがあるの。
 私、ずっとあることを隠していた。私は、大学生の途中から真っ白ではなくなっちゃった。大学の三回生のとき、あいつと恋をした。あいつはいつも相手を包むような、安心させるような、楽しくさせるような、輝く笑顔をしていた。そんな笑顔がすてきな男がこんな私を選んだことが不思議で信じられず、私は舞い上がってしまった。そして、遊ばれてポイ捨てされた。私はそのときから、笑うことが少なくなった。あいつを心底好きだったから、元気よく笑うことができなくなった。あいつを信じきっていたから、光のない薄い笑いしか浮かばなくなった。あいつはいつも笑っていた。だから、笑顔のすてきな男が嫌いになった。いや、怖くなった。
 あなたはあいつとは真逆の人だった。気が弱く人見知りで、あまり笑わない人だった。だから、あなたは人を騙したり弄んだり裏切ったりしない人だと思った。だから、好きになったのかも? 私と同じように灰色の人だったから、お似合いだと安心したのかもしれないワ。 
 あいつのこと、あなたに初めて話した。ずっとずっと誰にも話さず、胸の奥深くに沈めていたのに。どうして今、あなたに話したのかしら? 不思議、フシギ、ふしぎ。
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