第13話
文字数 3,561文字
☆
加奈子が部屋に帰ると、ぐでんぐでんに酔っ払った真奈美が一人で歌を歌っていた。
アイドル歌謡曲だ。
凜々子は帰ったらしい。
「所詮私はダメなんだよ」
加奈子の姿を見つけるなり、しょぼくれた顔になってそんなことを言う。
「都会に憧れて、夢を果たしにトーキョーに来たけど、どうせダメなんだよ。フリーターやりながら夢を目指すってのがすでに勘違いなのはわかってるけど、新卒採用からもれちゃった私にはもう就職の口はないし、お嫁に行けるかってってたら、もうちょっと夢へ粘るからいきそびれになっちゃうのは避けられない。田舎の地元に集まるジモティーどもは地元の先輩とかのコネで就職できるけど、都会に放り出されてる私は後で田舎に帰っても友だちいないし、安定した生活なんてできない。だからここで頑張るけど、そうするともっともっと取り返しがつかなくなる。私は良い笑われ者で一生を終えるの。うぅ。みんな幸せな人生を送っているのに、私は泥沼にハマって抜け出せない。抜け出そうにも時既に遅し。絶望まみれのババアになってジ・エンド。……お帰りなさい、加奈子ちゃん。あんたも一杯、どぉ?」
「遠慮しとくわ」
「家飲みが一番。泣いても誰も居ないから笑われない」
「真奈美……」
「つらいよ。死にそう。でもリスカ上等の『病み系』は大体男にすぐにヤラせる『サセ子』になるじゃん。私はああはなりたくないし」
「もう寝なさい。寝れば忘れるよ」
「この都市にある数多の創作系女子のコミュニティは、基本はテキトーに集まってお酒飲む。ファウンデーションはパーティも積極的にやっていく。でもさ、人員の入れ替わりが激しいって知ってる? 結婚して、田舎に行ったらその子はコミュにバイバイしていくの。結婚適齢期は逃さないし、その時期が来たら夢なんて捨てる。それは正しい。いつまでもフリーターなんてやってられない。手遅れにならない術も、コミュで共有してる。でも私は無理そう。どうしても逃げ出したくない。どうしよう、つらい」
加奈子は黙って真奈美の話を聞いている。
痛いほどわかる。
自分も同じだから。
私は、私はあの、既に成功を収めている志乃詩音に打ち勝つために、ここに来た。
逃げ出せない。
でも、人生が手遅れになるのは目に見えている。
成功する奴らはみんな、若いうちに成功する。年を取ってから成功するなんて、あり得ないと言える確率だ。
二十一才の自分には、そろそろ年齢の限界が来る。でも、……と加奈子は思う。……でも、どうしても引き下がれない、と。
加奈子が考えているうちに、寝息が聞こえてくる。
喚いていた真奈美は、コタツに突っ伏してそのまま寝てしまっていた。
加奈子も、自分の寝室に向かう。
店にくるとか言ってたけど、これじゃ来ないわけだ。
次の日。
昼。
公園通りを歩く加奈子は、宣伝の大きな看板を立て替える作業をしている作業員たちの姿を見つける。
お洒落を絵に描いたような公園通りには、カップルたちがすました顔で歩いている。
カップルたちとすれ違い歩く加奈子は、一旦足を止めて、真っ赤に塗られた、取り外される看板を見上げる。
真っ赤に塗って看板を台無しにしたのは、加奈子だ。しかし、誰もそれに気づかない。
不思議な気分を、加奈子は感じる。犯人を、誰も気づかないなんて。
自分がやったんじゃないみたいだ、と。
制作者と作品の乖離。言うなれば、それに近い感覚だった。
作品が作者の手を離れ、バタフライ効果をつくる。
まさに、そんな気持ちだ。
バタフライ効果。
ブラジルで蝶々がはばたくと、テキサスでトルネードを起こす……。
それがバタフライ効果という名前の理由だ。
具体的には、大気の条件のように、シミュレーションのときに測定誤差範囲内程度の差が、いくどもおりかさなることによって、大きな結果の違いを生み出す可能性があることを、バタフライ効果と呼ぶ。
加奈子が立ち止まっていると、
「やっほぉ、加奈子っちぃ」
と、後ろから声をかけられた。
振り向くと、それはギャルファッションに身を包む女の子だった。
「あなたは確か……」
「バター猫でっす」
唇から舌を出してダブルピースをキメるバター猫。
加奈子は頭を下げて、挨拶した。
「看板の立て替えなんて、アートは後々大変だね。アートと後々を掛けてみましたっ。いやん。私天才」
「そんなはしゃいだらやったのバレるかも」
「あっはん。ないない。それよりどーしたの、こんなとこで観察しちゃってさ」
「お店に行こうと思って。この前の……『ハイパーマーガリン』の」
「あー。私も今、行くとこ。一緒に行こっ」
「うん。道順覚えてないし、助かる」
「そーいやこの前、走って逃走してたって聞いたし。そりゃ場所わかんないよね」
「うん」
「じゃ、お姉さんにまっかせなさい!」
あきらかに私の方が年上なんですけど、と加奈子は思ったが、それは言わないことにした。
年上なんて、自分から言いたくない。
年上と言ってもババアじゃないのだし。
バター猫と加奈子の足並みは早く、MCマーガリンがやっているお店には、すぐに着いた。
そもそも、この街に住み始めると、歩きが速くなるのだ。
加奈子は、警察から逃走したときはものすごく長く、複雑なルートを通った気がしたが、実際は距離はそんなにでもなく、お店に入って隠れて正解だったな、と思った。
路地裏で隠れていただけでは、確実に警察に捕まっていたことだろう。
加奈子たちは、ヒップホップが流れる店内に、入っていく。
店内に入ると、店内BGMがおなかに響くように鳴らされていて、その中でお客さんたちがひしめき合っていた。
その中をバター猫はレジに向かってまっすぐ進み、それに加奈子もついていった。
「やっほ。店長」
しかめっ面のマーガリンがそれに、
「おお、バター猫か」
と応じ、加奈子の方を見て、
「お嬢ちゃんか。こんにちは」
と、笑顔をつくる。
「私……」
加奈子はマーガリンに告げる。
「ヒップホップのトラックをつくりたいんです。『ハイパーマーガリン』のような」
すると、マーガリンは呵々大笑した。
「なにかと思えば。グラフィティアート以外に、作曲もやろうってのかい」
「私、コンポーザー志望なんです」
加奈子は真剣な目だ。それに応えるように、マーガリンも真面目な顔に変わる。
「そっか。でも、曲をつくってるのはおれじゃない。おれはトラックに合わせてリリックをつくるだけだ。曲は三択・ロースがつくっている。あいつがトラックメイカーなんだ」
「そうなんですか?」
驚きだ。
「ああ。あいつの名前、三択・ロースなんて、ヘンな名前だろ。ありゃ、仲間内のニックネームじゃなくて、活動してる時の名義なんだよ」
ヘンな名前だとは思っていたが、なるほどな、と加奈子は腑に落ちた。
確かにミュージシャン臭いネーミングだ。
「あいつなら地下室にいるよ。『地下室の手記』と言わんばかりに、地下室でMacとにらめっこしてる。行ってやると良い。曲作りを教えてくれ、なんて行ったらあいつ、きっと歓ぶぞ」
親指を立ててレジの後ろのカーテンを指さすマーガリン。
加奈子はお辞儀をしてから、カーテンの中に入っていく。
地下への階段を降りるのだ。「わったしも行っくよぉ」と、バター猫も加奈子の後ろでついてくる。加奈子は降りてて行った。
階段を降りていると、「なうまくさんまんだー」と、呪文のようなものを唱えている声が下から聞こえてくる。
加奈子が会談を降りきると、そこには木のテーブルのMacの横にロウソクを立て、暗い中で呪文を唱えて精神統一しているゴスロリ服で眼帯のロースがいた。
「何やつ!」
鋭い視線を加奈子に浴びせる三択・ロース。
加奈子は一瞬うろたえたが、加奈子の後ろで「やっほー」と手を振るバター猫の緊張感のなさに、加奈子もロースも、気が緩まってしまった。
「ふぅ。見られてしまったならしょうがないわ。私は今、宇宙人とコンタクトを取っているの」
バター猫はおなかを抱えてゲラゲラ笑う。
「駅前の『私は宇宙人を見た』ってプラカード首から提げてるひとみたく?」
「アストラル界を行き来する宇宙人に精神汚染されたのよ、彼は」
意味が分からない。
加奈子はだからそれを遮って、
「三択・ロースさん。私にヒップホップのトラックの作り方を教えて下さい!」
と言って、頼むことにした。
「んじゃ、まずは午後ティー買ってこい」
偏屈なゴスロリ少女は、とりあえず相手をパシリに使うことにしたのだった。
加奈子が部屋に帰ると、ぐでんぐでんに酔っ払った真奈美が一人で歌を歌っていた。
アイドル歌謡曲だ。
凜々子は帰ったらしい。
「所詮私はダメなんだよ」
加奈子の姿を見つけるなり、しょぼくれた顔になってそんなことを言う。
「都会に憧れて、夢を果たしにトーキョーに来たけど、どうせダメなんだよ。フリーターやりながら夢を目指すってのがすでに勘違いなのはわかってるけど、新卒採用からもれちゃった私にはもう就職の口はないし、お嫁に行けるかってってたら、もうちょっと夢へ粘るからいきそびれになっちゃうのは避けられない。田舎の地元に集まるジモティーどもは地元の先輩とかのコネで就職できるけど、都会に放り出されてる私は後で田舎に帰っても友だちいないし、安定した生活なんてできない。だからここで頑張るけど、そうするともっともっと取り返しがつかなくなる。私は良い笑われ者で一生を終えるの。うぅ。みんな幸せな人生を送っているのに、私は泥沼にハマって抜け出せない。抜け出そうにも時既に遅し。絶望まみれのババアになってジ・エンド。……お帰りなさい、加奈子ちゃん。あんたも一杯、どぉ?」
「遠慮しとくわ」
「家飲みが一番。泣いても誰も居ないから笑われない」
「真奈美……」
「つらいよ。死にそう。でもリスカ上等の『病み系』は大体男にすぐにヤラせる『サセ子』になるじゃん。私はああはなりたくないし」
「もう寝なさい。寝れば忘れるよ」
「この都市にある数多の創作系女子のコミュニティは、基本はテキトーに集まってお酒飲む。ファウンデーションはパーティも積極的にやっていく。でもさ、人員の入れ替わりが激しいって知ってる? 結婚して、田舎に行ったらその子はコミュにバイバイしていくの。結婚適齢期は逃さないし、その時期が来たら夢なんて捨てる。それは正しい。いつまでもフリーターなんてやってられない。手遅れにならない術も、コミュで共有してる。でも私は無理そう。どうしても逃げ出したくない。どうしよう、つらい」
加奈子は黙って真奈美の話を聞いている。
痛いほどわかる。
自分も同じだから。
私は、私はあの、既に成功を収めている志乃詩音に打ち勝つために、ここに来た。
逃げ出せない。
でも、人生が手遅れになるのは目に見えている。
成功する奴らはみんな、若いうちに成功する。年を取ってから成功するなんて、あり得ないと言える確率だ。
二十一才の自分には、そろそろ年齢の限界が来る。でも、……と加奈子は思う。……でも、どうしても引き下がれない、と。
加奈子が考えているうちに、寝息が聞こえてくる。
喚いていた真奈美は、コタツに突っ伏してそのまま寝てしまっていた。
加奈子も、自分の寝室に向かう。
店にくるとか言ってたけど、これじゃ来ないわけだ。
次の日。
昼。
公園通りを歩く加奈子は、宣伝の大きな看板を立て替える作業をしている作業員たちの姿を見つける。
お洒落を絵に描いたような公園通りには、カップルたちがすました顔で歩いている。
カップルたちとすれ違い歩く加奈子は、一旦足を止めて、真っ赤に塗られた、取り外される看板を見上げる。
真っ赤に塗って看板を台無しにしたのは、加奈子だ。しかし、誰もそれに気づかない。
不思議な気分を、加奈子は感じる。犯人を、誰も気づかないなんて。
自分がやったんじゃないみたいだ、と。
制作者と作品の乖離。言うなれば、それに近い感覚だった。
作品が作者の手を離れ、バタフライ効果をつくる。
まさに、そんな気持ちだ。
バタフライ効果。
ブラジルで蝶々がはばたくと、テキサスでトルネードを起こす……。
それがバタフライ効果という名前の理由だ。
具体的には、大気の条件のように、シミュレーションのときに測定誤差範囲内程度の差が、いくどもおりかさなることによって、大きな結果の違いを生み出す可能性があることを、バタフライ効果と呼ぶ。
加奈子が立ち止まっていると、
「やっほぉ、加奈子っちぃ」
と、後ろから声をかけられた。
振り向くと、それはギャルファッションに身を包む女の子だった。
「あなたは確か……」
「バター猫でっす」
唇から舌を出してダブルピースをキメるバター猫。
加奈子は頭を下げて、挨拶した。
「看板の立て替えなんて、アートは後々大変だね。アートと後々を掛けてみましたっ。いやん。私天才」
「そんなはしゃいだらやったのバレるかも」
「あっはん。ないない。それよりどーしたの、こんなとこで観察しちゃってさ」
「お店に行こうと思って。この前の……『ハイパーマーガリン』の」
「あー。私も今、行くとこ。一緒に行こっ」
「うん。道順覚えてないし、助かる」
「そーいやこの前、走って逃走してたって聞いたし。そりゃ場所わかんないよね」
「うん」
「じゃ、お姉さんにまっかせなさい!」
あきらかに私の方が年上なんですけど、と加奈子は思ったが、それは言わないことにした。
年上なんて、自分から言いたくない。
年上と言ってもババアじゃないのだし。
バター猫と加奈子の足並みは早く、MCマーガリンがやっているお店には、すぐに着いた。
そもそも、この街に住み始めると、歩きが速くなるのだ。
加奈子は、警察から逃走したときはものすごく長く、複雑なルートを通った気がしたが、実際は距離はそんなにでもなく、お店に入って隠れて正解だったな、と思った。
路地裏で隠れていただけでは、確実に警察に捕まっていたことだろう。
加奈子たちは、ヒップホップが流れる店内に、入っていく。
店内に入ると、店内BGMがおなかに響くように鳴らされていて、その中でお客さんたちがひしめき合っていた。
その中をバター猫はレジに向かってまっすぐ進み、それに加奈子もついていった。
「やっほ。店長」
しかめっ面のマーガリンがそれに、
「おお、バター猫か」
と応じ、加奈子の方を見て、
「お嬢ちゃんか。こんにちは」
と、笑顔をつくる。
「私……」
加奈子はマーガリンに告げる。
「ヒップホップのトラックをつくりたいんです。『ハイパーマーガリン』のような」
すると、マーガリンは呵々大笑した。
「なにかと思えば。グラフィティアート以外に、作曲もやろうってのかい」
「私、コンポーザー志望なんです」
加奈子は真剣な目だ。それに応えるように、マーガリンも真面目な顔に変わる。
「そっか。でも、曲をつくってるのはおれじゃない。おれはトラックに合わせてリリックをつくるだけだ。曲は三択・ロースがつくっている。あいつがトラックメイカーなんだ」
「そうなんですか?」
驚きだ。
「ああ。あいつの名前、三択・ロースなんて、ヘンな名前だろ。ありゃ、仲間内のニックネームじゃなくて、活動してる時の名義なんだよ」
ヘンな名前だとは思っていたが、なるほどな、と加奈子は腑に落ちた。
確かにミュージシャン臭いネーミングだ。
「あいつなら地下室にいるよ。『地下室の手記』と言わんばかりに、地下室でMacとにらめっこしてる。行ってやると良い。曲作りを教えてくれ、なんて行ったらあいつ、きっと歓ぶぞ」
親指を立ててレジの後ろのカーテンを指さすマーガリン。
加奈子はお辞儀をしてから、カーテンの中に入っていく。
地下への階段を降りるのだ。「わったしも行っくよぉ」と、バター猫も加奈子の後ろでついてくる。加奈子は降りてて行った。
階段を降りていると、「なうまくさんまんだー」と、呪文のようなものを唱えている声が下から聞こえてくる。
加奈子が会談を降りきると、そこには木のテーブルのMacの横にロウソクを立て、暗い中で呪文を唱えて精神統一しているゴスロリ服で眼帯のロースがいた。
「何やつ!」
鋭い視線を加奈子に浴びせる三択・ロース。
加奈子は一瞬うろたえたが、加奈子の後ろで「やっほー」と手を振るバター猫の緊張感のなさに、加奈子もロースも、気が緩まってしまった。
「ふぅ。見られてしまったならしょうがないわ。私は今、宇宙人とコンタクトを取っているの」
バター猫はおなかを抱えてゲラゲラ笑う。
「駅前の『私は宇宙人を見た』ってプラカード首から提げてるひとみたく?」
「アストラル界を行き来する宇宙人に精神汚染されたのよ、彼は」
意味が分からない。
加奈子はだからそれを遮って、
「三択・ロースさん。私にヒップホップのトラックの作り方を教えて下さい!」
と言って、頼むことにした。
「んじゃ、まずは午後ティー買ってこい」
偏屈なゴスロリ少女は、とりあえず相手をパシリに使うことにしたのだった。