第27話

文字数 3,580文字

     ☆


 加奈子がアート集団『ハイパーマーガリン』を誘って行ったのは、『看板の誘拐』であった。
 志乃詩音の写真が大写しに写っている巨大な宣伝用の、街の看板。
 これを『誘拐』する、という計画。
 具体的には、深夜、代官山にある大きな詩音の看板から、詩音の身体だけ切り抜き、それを持ち去る。
 持ち去ったあと、看板広告の宣伝主である企業に電話をかけ、切り取った看板の詩音写真と引き替えに『身代金』を要求する。
 また、警察に『誘拐された詩音の身柄の無事と引き替えに自分たちを警察に捕まらぬよう、手配しろ』という要求をする。
 それら計画は、上手くいったかに見えた。
 が、それはテレビでも報道されてしまっている。
 なにせ、『CLUBヨーロッパ襲撃事件』の余韻を引きずっている状態なのだ、そこでまた同じ街でこんなセンセーショナルなことが行われているのだ、当然と言えるかもしれない。
 だがテレビでは、詩音本人が誘拐されており、『犯人グループ』は詩音そのものを誘拐していて、こんな喜劇を用意しているのではないか、という憶測が飛び交った。
 しかし、計画はそのまま、身柄引き渡しに移っていく。
 高尾山、百草園。
 この公園・百草園が、引き渡しの場所に指定され、『ハイパーマーガリン』は、MCマーガリンの運転する軽トラで看板を運び、目的地に着いた。
 百草園の入り口に立っていたのは、スーツ姿の男。
 企業の人間だ。
 順調にことは運ぶ。
 スーツの男は、加奈子の横にいる有名人・マーガリンの姿を見て、驚く。
 なにせ、テレビにも出演をしたりもする有名ラッパーなのだ。
 当然の反応と言える。
 スーツケースの中の札束を見せて、スーツの男はその札束入りのスーツケースを、『犯人』に渡す。
 受け取った加奈子は顔色一つ変えない。
 次いでマーガリンが合図を送ると、『ハイパーマーガリン』のメンバーの屈強な男たちが、看板の詩音を運んできて、スーツの男に渡す。
 決定的な、これはアート行為だ。
 バター猫やロースもこの場に来たがったが、もしものために、留守番だ。
 泥をかぶるのは自分たちだけでいいと、マーガリンは加奈子に、付き添って彼女らは置いてきた。
「で、貴様ら、詩音はどこだ?」
 スーツの男は言った。
「いない。この看板を引き渡しただけよ」
 加奈子が返答すると、スーツは憤った。
「巫山戯るな! こんな茶番までしておいて、詩音を引き渡さないだと!」
 スーツが叫ぶと同時に、発砲音が鳴り、スーツの右腕から血が吹き出て、スーツ男が悲鳴を出してうずくまった。
 なにが起きた?
 マーガリンと加奈子が立ちすくむと、百草園の樹木の影から、青白い顔をした不健康そうな男が出てきた。
 青白い顔の男は、背の丸まった特徴的な外見をしていて、焦点の定まっていない充血した瞳で加奈子たちを威嚇するようにして、犬歯を剥き出しにして鼻息を荒くしている。
 マーガリンは気づく。
 こいつは渋谷駅前の『私は宇宙人を見た』というプラカードを首からぶら下げている野郎だ、と。
 加奈子はそれがプラカード野郎だとは気づかなかったが、プラカード野郎の持っている銃器がトカレフTT33という銃だということはわかった。
 安全装置のついていない、いつ暴発するかわからない銃であり、そしてそれは駅前のトモノオジが裏で流している物品のひとつである、と。
 しかし、銃の出所がわかったところでどうだというのだ。
「ひとのアート行為に水を差しやがってッ」
 マーガリンがそう吐き捨てる。
 一方のプラカード男はわめいている。
 興奮状態だ。
 プラカード男は撃ったスーツには目もくれず、加奈子を睨んでいる。
「おい女! わかってるんだぞ、お前『ファウンデーション』のメンバーだろ! クソがっ! 貴様らファウンデーションがやろうとしてることはわかってるんだ! 貴様らが、貴様らファウンデーションがこの国の滅亡を運ぶ異星植物の種子なんだッッッ! テラフォーミングの異星バージョン、この地球を他の惑星の環境に変えようとするその所業、見逃せるわけがないッ! おれがこの国を、この地球を守るんだッッッ!」
 トカレフTT33の銃口を、プラカード野郎は加奈子に向ける。
 だが、その手は震え、わめきちらしながら唾を飛ばし、目は血走っていて錯乱状態だった。
「『ファウンデーション』とは別名『銀河帝国滅亡史』。アイザック・アシモフの小説のタイトルだ! 1万二千年続いた銀河帝国が衰退した後にできた第二銀河帝国の核となるべく設立された第一ファウンデーションに関係する人間を中心に描かれた物語、それがこの『ファウンデーション』という話だ。銀河系の端の惑星ターミナスに追放された銀河百科辞典編纂者の集団、第一ファウンデーションが、帝国の衰退とともに混迷の度を深める銀河系の中、降りかかる危機を乗り越えることで覇者へと成長していくこのストーリー。超小型化されて汎用化された原子力を用いた文明が、だんだん原子力を利用できなくなって衰退していくという様が克明に描かれているだろう。貴様らもそこに自分らのやっているこの地球の滅亡プログラムになぞらえて、自らの組織名を『ファウンデーション』としたんだッ! あの忌々しい女狐・杏城琴美が! 原子力を銀河文明成立の中核とする態度を貫いている銀河帝国。その滅亡史の第1巻では、ガンマ・アンドロメダの第五惑星で原子力技術の継承の失敗により原子力発電所の爆発事故が起こり数百万人が死亡して、惑星の半分が廃墟となった、という記述がある。もうおれがなにを言いたいかわかるだろう! 『原子力』ッ。原子力がこの国を滅ぼす! そしてその原子力を推進し、某国へと導く種子をまき散らしているのが杏城琴美が率いるファウンデーションのプログラムだ! 杏城琴美のつくった『ファウンデーション』が許せない! 許せないぞ、おれはああああああぁぁぁッッ」
 感情を高ぶらせて意味不明な妄想を吐き出すプラカード野郎は、「原子力! 原子力!」と連呼した。
「天才数学者ハリ・セルダンは人類の未来を予測した。セルダンは『心理歴史学』によって銀河帝国の崩壊とその後の数万年に及ぶ暗黒時代の到来を予測したんだ! 暗黒時代の短縮と、より強固な第二帝国の建設のための二つの新たな帝国を設立したセルダン。おれもセルダンと同じ『心理歴史学』に則って、杏城琴美の『ファウンデーション』を殲滅する! おれには出来る! おれは宇宙人を見た! おれの意識に宇宙人が語りかけてきたんだ、『杏城の、ファウンデーションの野望を打ち砕け』とォォッ! オオオオォォォ。おれはァァ、おれにはァァ、宇宙人との交信によって宇宙意思生命体の導きによってこの地球を変革する使命があるんだァァ! 原子力はこの国の電力の30パーセントを担っていると、政府は言う。だから、原子力は必要不可欠だ、と。しかしそれは欺瞞だッ! 原子力が近い将来、この国を潰す! 今年の九月にあの国が破壊されそうになったのも、原子力の危険な力を行使しようと目論んでいたからだ! 宇宙意思生命体の導きにより、原子力を保有する国家は解体されねばならない! だからおれはああああぁぁぁ」
 プラカード野郎は怒声を張り上げた。
「お前を殺すッ」
 耳をつんざく発砲音が鳴り響いた。
 加奈子は「私、死んだ」と、思って目を閉じた。
 が、痛くない。
 おそるおそる加奈子が目を開けると、加奈子の眼前で仁王立ちしていたMCマーガリンの姿があった。
 マーガリンは自分の腹を押さえ、そのまま崩れ落ちた。
 マーガリンは、加奈子の前に立って、身代わりとなって銃弾を腹部に受けたのだ。
「マーガリンさん!」
 加奈子は膝立ちになり、そして崩れ落ち血を流すマーガリンに駆け寄った。
「次は外さないぞぉぉ」
 プラカード野郎は加奈子ににじり寄る。
 狂気の目を輝かせるプラカード野郎。
 加奈子はプラカード野郎を睨む。
 銃の引き金をプラカード野郎が引こうとしたその時。
 横合いから発砲音。
 太ももに着弾を受けたプラカード野郎は、一体なにが起きたのかわからず目を丸くして、後ろ向きに倒れ、それから悲鳴を上げた。
 銃を撃って現れたのは、警視庁組織犯罪対策第四課の刑事、園田乙女で。
「黒江スイゾウ。現行犯よ、逮捕する。あんたの仲間もみんな捕まえたわ」
 プラカード野郎は泣きじゃくりながら、園田に向けて言う。
「警察がおれを捕まえる? 政府は間違っている! 原子力がこの国を潰すぞ、滅ぼすぞ! 今にわかる! ああっ、この国はもうおしまいだッ」
「続きは署で聞こうか? このサイコパス野郎め」


 
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