第12話
文字数 2,654文字
☆
「時間を潰さなきゃ」
スタジオを出て一階に降り、加奈子は丸山の路上に出る。
その路地は今日も闇を抱えている。
そこから加奈子は大通りに出て、宇田川に行く。
宇田川のセンター街を歩き、薬物のプッシャーの前を素通りし、ひしめき合った人々の合間をすり抜ける。
奥まった場所のビルの地下に降りる。
その階段にはパーティやライブのフライヤーがところ狭しと貼ってあり、加奈子はそれを流し読みで見ながら階段を降りた。
階段の降りた先は、雑貨屋兼、本屋。元々はバイカーショップだったそのショップは、今日も店内に高速BPMのビバップが流れている。
最高にスウィングしたジャズ、チャーリー・パーカーの曲だ。
ここは雑貨も凄いが、ショップの店員がセレクトした本の数々は、本当にクールで面白いものが揃っている。
元バイカーショップだったから、紀行文やタトゥー、麻薬に関する本も群を抜いて取りそろえているし、まんがや小説は、「日頃本を読まない」人間でさえ楽しめるような、サブカル臭あふれる品揃えだ。
加奈子は店内をくまなく見て回る。
たぶん、ネットの本屋が繁盛する時代になっても、この店は生き残るだろうと、確信できるなにかが、この店にはある。
この街の『外資系レコード店』とともに、この店は情報発信の拠点になって続いていくだろう。
加奈子はそう思っている。
ショーウィンドーの中のZippoを眺め、時間を忘れているのに気づき、加奈子はもうそろそろ帰っても大丈夫かな、と思い、中島らものエッセイを買って、帰ることにした。
時間は、西日が差す頃になっていた。
加奈子が部屋に着くと、真奈美と凜々子は雑記帳にアウトラインのフローを書いていた。
「本格的ね」
「あ、加奈子ちゃん、お帰り」
ノートから顔を上げて、真奈美が言う。
「言うまでもなく私は本格派なんだから」
「そうです。師匠も私も本格派なのですよ」
息のピッタリ合った師弟。
羨ましいな、と加奈子は思う。
私と姉には、こんなことになった記憶はなにひとつなく。
加奈子はかぶりを振る。
いけない、思い出してはいけないんだ、と。
「今日もバイト?」
真奈美が尋ねる。
「うん。フクちゃんの方。臨時で入った」
さっき、ケータイに電話が入ったのだ。
「フクちゃん、元気だった?」
「自分の目で確かめなよ。今日は団体客は少ないから、席は空いてるよ」
「おっ、そっか。じゃ、行こっかな。凜々子ちゃん、夜は大丈夫?」
「お望みならばいつ、何時間でも大丈夫ですよー」
「決まり。今日はバイトしてるとこにお邪魔するよん」
「おっけ。フクちゃんに伝えておくよ」
会話が終了すると、加奈子は着替えをしに、自分の寝室に入る。
道玄坂三丁目の居酒屋『フクちゃん』。
ここの店主・フクちゃんは、駅前でまんが雑誌を売っているトモノオジの親友だ。
なんだかそんな理由で繋がりが加奈子に生まれ、今はときどきここでバイトをしているのである。
そして、この店は琴美の始めた『ファウンデーション』のメンバーたちがお酒を飲みに、よくやってくる店でもあった。
この三丁目というのは丸山と隣り合わせで、丸山も三丁目もラブホ街ではあるのだが、三丁目の方はラブホ以外にも、その路地に風俗店と酒場がひしめき合っているのが特徴の土地でもある。
ラブホ街ということで近寄りがたく、だからこその穴場スポット、という色彩を帯びているのだ。
そして加奈子は、フクちゃんの店の手伝いをして、夜を過ごす。
この日も、それなりに店は繁盛した。狭い店内にはなじみの客ばかりがたくさん来る。
ファウンデーションの女の子も何人か来て、バイト中の加奈子と会話をしたりもする。
酒場は、笑い声が絶えない。
たまに悪酔いする客もいるが、それはそれ。
普段のこの街じゃ観れない数の笑顔がここでは飛び交い、それが加奈子の心を、少しだけ癒やす。
午後十一時半。
ラストオーダーの時間も過ぎ、客が引けると、クローズ作業に入っていく。
皿洗いに、店内の清掃。
フクちゃん自身は調理場の清掃をしている。
その仕事が一段落して二人が煙草を吸い始めたのは、十二時を越えてからだった。
「曲作りは順調かい? 作曲家さん」
フクちゃんは調理場のコンロの台に肘を突きながらアメリカンスピリッツの紫煙を吐く。
フクちゃんは無精ヒゲの壮年男性だ。既婚者。子供が一人、いるらしい。
「なんとか、作曲もやっています。ここ数日は作業してませんけど」
フクちゃんは「ふーん」と鼻で言って、コップを二つ棚から取り出し、オレンジジュースを注ぐ。
それからコップをひとつ、加奈子に渡し、加奈子とフクちゃんはオレンジジュースを飲んだ。
「琴美くんのグループはJコアなんていうマニアックなジャンルのDJパーティやってるじゃないか。なんだか加奈子のつくる曲も、段々そっちに引き摺りこまれているように、聴いてて思うんだよね。元からそういう曲をつくってたっていうより、琴美のとこの集団の影響を受け始めたっていうか。僕は音楽に詳しくないし、昔の加奈子の曲は聴かせてもらった奴以外は知らないんだけど。でも、聴いた限りでは、そんな印象かな」
フクちゃんはまだ長いままの煙草を灰皿でもみ消す。
「マニアックなジャンルに引きずり込まれるっていうのは、若い頃にはありがちなことだけど、僕はそういうのに走るのは、表現者としてよくないなと思うな。マイノリティより、マジョリティだ。マジョリティに訴えかける作品をつくる。大衆に、多数者に向けた作品つくりをしないと。マイノリティなんてくだらない派閥争いばかりしてるんだから。それに構ってマイノリティなものに固執してるなら、キミは一生そのままだよ。作品で飯を食いたいなら、マジョリティへ、だ」
フクちゃんはオレンジジュースを飲む。
飲み干すと、そのコップをシンクに置いた。
「一回、琴美のところから離れた作品をつくってみたらどうかな。もしくは、琴美たちとは違う作風の、マジョリティな作品をつくる奴のところに出入りしたら。……加奈子、キミはあまりに、活動範囲が狭い」
そこまで言うとフクちゃんは「賄い、食うだろ?」と聞くので、加奈子は「はい」と答えた。
フクちゃんは頷くとフライパンを取り出した。
「マジョリティ、か……」
加奈子は一人の男の顔が頭に思い浮かんだ。
「時間を潰さなきゃ」
スタジオを出て一階に降り、加奈子は丸山の路上に出る。
その路地は今日も闇を抱えている。
そこから加奈子は大通りに出て、宇田川に行く。
宇田川のセンター街を歩き、薬物のプッシャーの前を素通りし、ひしめき合った人々の合間をすり抜ける。
奥まった場所のビルの地下に降りる。
その階段にはパーティやライブのフライヤーがところ狭しと貼ってあり、加奈子はそれを流し読みで見ながら階段を降りた。
階段の降りた先は、雑貨屋兼、本屋。元々はバイカーショップだったそのショップは、今日も店内に高速BPMのビバップが流れている。
最高にスウィングしたジャズ、チャーリー・パーカーの曲だ。
ここは雑貨も凄いが、ショップの店員がセレクトした本の数々は、本当にクールで面白いものが揃っている。
元バイカーショップだったから、紀行文やタトゥー、麻薬に関する本も群を抜いて取りそろえているし、まんがや小説は、「日頃本を読まない」人間でさえ楽しめるような、サブカル臭あふれる品揃えだ。
加奈子は店内をくまなく見て回る。
たぶん、ネットの本屋が繁盛する時代になっても、この店は生き残るだろうと、確信できるなにかが、この店にはある。
この街の『外資系レコード店』とともに、この店は情報発信の拠点になって続いていくだろう。
加奈子はそう思っている。
ショーウィンドーの中のZippoを眺め、時間を忘れているのに気づき、加奈子はもうそろそろ帰っても大丈夫かな、と思い、中島らものエッセイを買って、帰ることにした。
時間は、西日が差す頃になっていた。
加奈子が部屋に着くと、真奈美と凜々子は雑記帳にアウトラインのフローを書いていた。
「本格的ね」
「あ、加奈子ちゃん、お帰り」
ノートから顔を上げて、真奈美が言う。
「言うまでもなく私は本格派なんだから」
「そうです。師匠も私も本格派なのですよ」
息のピッタリ合った師弟。
羨ましいな、と加奈子は思う。
私と姉には、こんなことになった記憶はなにひとつなく。
加奈子はかぶりを振る。
いけない、思い出してはいけないんだ、と。
「今日もバイト?」
真奈美が尋ねる。
「うん。フクちゃんの方。臨時で入った」
さっき、ケータイに電話が入ったのだ。
「フクちゃん、元気だった?」
「自分の目で確かめなよ。今日は団体客は少ないから、席は空いてるよ」
「おっ、そっか。じゃ、行こっかな。凜々子ちゃん、夜は大丈夫?」
「お望みならばいつ、何時間でも大丈夫ですよー」
「決まり。今日はバイトしてるとこにお邪魔するよん」
「おっけ。フクちゃんに伝えておくよ」
会話が終了すると、加奈子は着替えをしに、自分の寝室に入る。
道玄坂三丁目の居酒屋『フクちゃん』。
ここの店主・フクちゃんは、駅前でまんが雑誌を売っているトモノオジの親友だ。
なんだかそんな理由で繋がりが加奈子に生まれ、今はときどきここでバイトをしているのである。
そして、この店は琴美の始めた『ファウンデーション』のメンバーたちがお酒を飲みに、よくやってくる店でもあった。
この三丁目というのは丸山と隣り合わせで、丸山も三丁目もラブホ街ではあるのだが、三丁目の方はラブホ以外にも、その路地に風俗店と酒場がひしめき合っているのが特徴の土地でもある。
ラブホ街ということで近寄りがたく、だからこその穴場スポット、という色彩を帯びているのだ。
そして加奈子は、フクちゃんの店の手伝いをして、夜を過ごす。
この日も、それなりに店は繁盛した。狭い店内にはなじみの客ばかりがたくさん来る。
ファウンデーションの女の子も何人か来て、バイト中の加奈子と会話をしたりもする。
酒場は、笑い声が絶えない。
たまに悪酔いする客もいるが、それはそれ。
普段のこの街じゃ観れない数の笑顔がここでは飛び交い、それが加奈子の心を、少しだけ癒やす。
午後十一時半。
ラストオーダーの時間も過ぎ、客が引けると、クローズ作業に入っていく。
皿洗いに、店内の清掃。
フクちゃん自身は調理場の清掃をしている。
その仕事が一段落して二人が煙草を吸い始めたのは、十二時を越えてからだった。
「曲作りは順調かい? 作曲家さん」
フクちゃんは調理場のコンロの台に肘を突きながらアメリカンスピリッツの紫煙を吐く。
フクちゃんは無精ヒゲの壮年男性だ。既婚者。子供が一人、いるらしい。
「なんとか、作曲もやっています。ここ数日は作業してませんけど」
フクちゃんは「ふーん」と鼻で言って、コップを二つ棚から取り出し、オレンジジュースを注ぐ。
それからコップをひとつ、加奈子に渡し、加奈子とフクちゃんはオレンジジュースを飲んだ。
「琴美くんのグループはJコアなんていうマニアックなジャンルのDJパーティやってるじゃないか。なんだか加奈子のつくる曲も、段々そっちに引き摺りこまれているように、聴いてて思うんだよね。元からそういう曲をつくってたっていうより、琴美のとこの集団の影響を受け始めたっていうか。僕は音楽に詳しくないし、昔の加奈子の曲は聴かせてもらった奴以外は知らないんだけど。でも、聴いた限りでは、そんな印象かな」
フクちゃんはまだ長いままの煙草を灰皿でもみ消す。
「マニアックなジャンルに引きずり込まれるっていうのは、若い頃にはありがちなことだけど、僕はそういうのに走るのは、表現者としてよくないなと思うな。マイノリティより、マジョリティだ。マジョリティに訴えかける作品をつくる。大衆に、多数者に向けた作品つくりをしないと。マイノリティなんてくだらない派閥争いばかりしてるんだから。それに構ってマイノリティなものに固執してるなら、キミは一生そのままだよ。作品で飯を食いたいなら、マジョリティへ、だ」
フクちゃんはオレンジジュースを飲む。
飲み干すと、そのコップをシンクに置いた。
「一回、琴美のところから離れた作品をつくってみたらどうかな。もしくは、琴美たちとは違う作風の、マジョリティな作品をつくる奴のところに出入りしたら。……加奈子、キミはあまりに、活動範囲が狭い」
そこまで言うとフクちゃんは「賄い、食うだろ?」と聞くので、加奈子は「はい」と答えた。
フクちゃんは頷くとフライパンを取り出した。
「マジョリティ、か……」
加奈子は一人の男の顔が頭に思い浮かんだ。