第5話

文字数 2,768文字




 加奈子が住む部屋のある、その一階の『焼き肉屋』のランチタイムが始まる時間になり、建物の外の道路から賑やかな声も聞こえだし、下の階からは楽器の音が鳴っている。
 ベッドで寝ている加奈子は、うつらうつらとその音を聴く。
 二階のリハスタからは、バンドマンたちの楽器の音と振動が、寝室を揺らし、それがちょっと心地良い。
 真奈美は出て行った。
 そういや今日は、真奈美は用事があるのだったな、とか眠りにつく前の会話を思い出す。
 西日が差す頃合い、突然部屋のチャイムが鳴った。いや、西日なんて差さないけど。
 無視しようと思った加奈子だったが、チャイムのスピーカーから「出前っす。ドレミピザっす」と声がする。
 無視していると、玄関のドアをどんどん叩く音と、大声で「ドレミピザっす」という男の大声が何度もくり返される。
 仕方なしに玄関のロックを外し、チェーンロックも開錠した。
 あくび混じりに加奈子がドアを開けると、ピザ屋のにーちゃんが頭を下げ、「メキシカンデラックス、ハラピニオ、ダブルっす。千五百円す」とハキハキした声で言った。
 どういうことだろう。
 加奈子は頼んでないので、首をかしげたが、真奈美が間違えて頼んだのかな、と思い、金を払う。
 ピザ屋のにーちゃんが去ったあと、ドアを閉めて鍵をかけて、リビングのコタツの上に、ピザの箱を置き、寝室に戻って、また寝る。
 すると、またチャイム。
 なにかと思ったら、寿司屋の出前だった。
 金を渋々払い、加奈子が寝室にダイブすると、今度は、ラーメンの出前が来た。嫌がらせだ、と加奈子はラーメン屋に金を払ってから思った。
 すると、更にチャイムが鳴った。「どちらさま?」とチャイムで応答すると、「八百屋っす」と女性の声。
 ぶち切れながら、加奈子はロックを解除し、ドアを開ける。
 と、外に立っていたのは、杏城琴美だった。
「あー、おなかすいたー」
 と琴美は言って、靴を脱ぎ捨て加奈子の部屋に上がり込んだ。
「お、来てる来てる。ピザにお寿司にラーメン。全部志乃加奈子のおごり! うふ」
「ぶっ殺す」
 加奈子が拳を振り上げると、琴美はその腕を掴んだ。
「まあまあ、そう怒りなさんなって」
 琴美は鼻歌を歌い、腕を掴んだ手に力を込める。
「……もういい。好きにして」
 加奈子は、あきらめた。こいつはこういう奴なんだ、と。

 メッセンジャーバッグからポケットボトルのウィスキーを取り出し、琴美はその安物のウィスキーをあおる。
 それを横目に、加奈子はZippoで煙草に火をつける。
 世の中は禁煙ムードに飲酒の取り締まりの強化。
 しかし丸山の住人である加奈子たちは、時流に逆らうのを、暗黙の掟にしている。
 杏城琴美はVJ。
 ライブやDJパーティの会場のスクリーンに映像を映す職業だ。
 加奈子にしても、DJやったりMPCなどの機材でバンドの電子ドラムパートの手伝いをしたりしている。
 この街に来たのだって、コンポーザーになるためだ。
 そういった音楽、それもアンダーグラウンドの音楽に携わるなら、率先して時流に逆らい、先鋭化して、「時流を作る側」に回ろうとするのを『是』とするだろう。
 これは、加奈子たちだけでなく、地下の住人ならば、基本中の基本だ。
 その「基本」は、明文化されず、「暗黙の了解」ではあり、個人個人で認識は違うものなのだけれども。
「ピザ屋の彼女ォォ。メキシカン・デラックスぅぅ。ハラピニオォ、ダブルでぇぇ」
 なにやら歌い始める琴美は、既にコタツに入っている。
「ハニーは? あんたのハニーはいないの?」
「ハニー?」
「朝まで私と一緒に飲んでたあんたのビッチ・ハニー、真奈美ちゃんよ」
「ビッチならでかけた」
「いつ」
「私が寝てる間に」
「ハニーハントされちゃうわよ」
「知らないわよ、そんなの」
「放置プレイはやり過ぎると逆効果よ」
 琴美はまた、ウィスキーを一口舐める。
「で。この出前の数々はどういうこと?」
「うっへへ。今度の週末のパー券全部捌けたんよ」
「ふーん」
「あんたも出演すんじゃんよ。煮え切らないなぁ。歓びなさいよ」
「歓ばないわよ! 大体さぁ……、いや、なんでもない」
 パー券とはパーティーのチケットの略称である。
 琴美のいうここでのパー券とは、週末に円山町のCLUBヨーロッパで行う、琴美主宰のクラブイベントのチケットである。
 それには加奈子も出演するが、しかし、加奈子は素直に喜べなかった。
 この街に限らず、都市部のこういったパー券はどうやって捌いていくかというと、イベント会社や裏の社会と繋がっている人物がチーマーや不良の少年に、パー券を捌くことを『ノルマ』として課しているのがほとんどだからだ。
 不良やチーマーがあの手この手で必死になって捌く。
 捌けないと自分の借金になる仕組みだ。
 純粋に音楽を楽しみたくて自発的にチケットを買って来る者も多いが、それでは捌けないのだ。
 有名じゃない人間たちのイベントのパー券は。
 なので、有名じゃないうちはみんな、イベント屋の手下が『ノルマ』として売って、捌き、時に無理矢理買わされて、買わされた者は渋々行く。
 すると、徐々に知名度が口コミで上がっていく。
 するともう、チーマーなんかが捌かなくても、客はどこからともなく集まってくる。
 これが、業界の仕組みである。
 が。
「あのさぁ、志乃加奈子」
「フルネームはやめろ」
「いーだ。フルネームで呼ぶもんねー。そんでさ、志乃加奈子。杞憂の元であるパー券は普通に『ハコ』に問い合わせ殺到で売れましたー」
「まじ?」
「ピース」
 指を二本立てて、琴美は微笑んだ。
「実は、強力な出演者が決定してねぇ」
 加奈子は煙草の紫煙を、天井にめがけて吹く。
「志乃加奈子。聞いて驚け。その名は、葉澄莉奈だッ!」
「誰それ」
「知らないのかよ。今人気の『読モ』だよ」
「そんなアイドルいたっけ? 知らない」
「読モはアイドルじゃない。読者モデルの略。私んとこの『ファウンデーション』にも参加してもらってんだけど、面識ない?」
「ないない」
「きっとあんたと話が合うわよ。今度連れてくるから。会いなさい」
「会わねーよ」
「まあいいや。食え食え。目の前の飯は私のおごりだ」
「思いっきり嘘じゃん。私がこれ全部金払ったじゃん。パー券売れたのくだりから、てっきり代金返してくれるんだとばかり思ってたら。あんたの『ファウンデーション』も、まさかこんな杜撰な体制なんじゃないでしょうね」
「うっせ。食え食え」
 そこで思い出したように琴美は加奈子に尋ねる。
「ところで、頼んどいたミックスのテープは」
「……まだです」


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