第15話

文字数 6,836文字




 ヒトカラなんて私の趣味じゃなーい、と電話越しに喋る真奈美に呼ばれて、加奈子は夜の街を歩く。
 道玄坂のカラオケボックスに、真奈美はいた。
 部屋に入ると、加奈子の目に飛び込んだのは真奈美が歌う演歌と、テーブルに置かれたお菓子の盛り合わせ、ピザ、ラーメン、唐揚げ等の皿だった。
 完食した皿はひとつもなく、料理の混じり合った微妙に目眩を催す匂いが、部屋を充満していた。
 大音量で「あなたをーにくーみますー」みたいな歌詞の演歌を真奈美が歌い終わるのを加奈子は待ち、サビの所では手拍子なんかしてみる。
 歌が一曲終わると、真奈美は曲予約をリモコンでクリアして、音楽を止めた。モニタには、アイドルが曲を紹介するビデオが流れ始める。
「飲み行こ」
 加奈子はイヤそうな顔をしてしまって、それを察知した真奈美は、
「じゃー、仕方ないなー。この前おごるって約束したし、『焼き肉屋』だね。部屋と同じ建物にあるし、文句ないっしょ」
 と、ハキハキした声で言う。
 どうやら、泣いてた真奈美は吹っ切れたようだ。少なくとも、加奈子にはそう思えたのだった。

 二人が『焼き肉屋』に入ると、さっそく真奈美はペヨーテをオーダーし、テーブルの鉄板で焼き始める。
 向かい合って座った加奈子は、黙々と上カルビを焼く。
「最初はタン塩からだろーが」と文句をつける真奈美の声は無視した。
 肉やサボテン・ペヨーテを焼きながら、トークは始まる。舞い上がる煙と肉の香り、そして客の喋り声が、真奈美のテンションを上げていくのが、加奈子にもわかる。
「ペヨーテ、ペヨーテ。おいしいペヨーテ」
「真奈美の味のセンスってどうなってんの。ペヨーテってそんなにおいしくないと思うんだけど」
「ふふん。例えばコーラがおいしいのは、コーラの味がおいしいんじゃなくて、コーラという『記号』を『消費』しているから、おいしく感じるって議論があるのよ」
「意味がわからない」
「全く同じデザインの服があったとするじゃん。でも、それがブランドものと、どこで営造されたかもわからないブランドじゃない服だったとしたら、どちらの『デザイン』が優れていると思ってしまうか。そりゃブランドものの方よね。あまのじゃくな人間じゃなければ、ブランドものの方だって答えるでしょ、全く同じデザインだとしても。それこそが、『記号を消費してる』ってこと。この場合、ブランドという記号を消費してるってわけ。で、ペヨーテと言ったら、アメリカの現代文学の代表作家、ビート詩人のウィリアム・バロウズが南米にわざわざ『幻のドラッグ』として名前だけ知られていた、このペヨーテを食べるために旅をした、って逸話があるわ。それは今では『麻薬書簡』っていう著作で残ってる。そういうのがあるから、私としてはペヨーテと聞くと『おおっ!』ってなるの。バロウズの逸話を知ってるから。この、逸話という『記号』があってこその、ペヨーテ好きなのよ」
「よくわかんない。マズいし」
「ロマンがないなぁ、加奈子ちゃん」
「でもペヨーテって実際は幻覚作用なんてほぼないし、おいしいわけじゃないよね」
 焼き上がったペヨーテを皿に置いて、真奈美はナイフとフォークで食べ始める。
 加奈子は上カルビだけを食べるスタイルにした。
 タレにニンニクを溶かし、カルビを口に運ぶと、真奈美は「タン塩も食え」と言った。
「あんたはなんでそんなにタン塩推しなの」と加奈子。
「いや、閻魔ってやっぱ引き抜いた舌を食べるのかなって」と、ズレた答えを返す。
「私も死んだらきっと十王庁で閻魔に裁かれて地獄行きよねー」
「真奈美が天国ってのも似合わないし、それもいいんじゃん」
「ひっどい! 私だって若い頃は『真奈美ちゃんマジ天使!』とクソガキどもに讃えられていたのよ」
「嘘つけ」
「はい。嘘です。天使ちゃんにはなれません。ソッコーで堕天しました。舌抜かれるー」
 真奈美はペヨーテを食べながら、楽しそうに笑った。
 加奈子もつられて笑う。
「フクちゃん元気だった?」
「元気そうだったわよ」
「いつもの説教は」
「うん。『マジョリティ』を目指せって」
 それを聞いて真奈美はゲラゲラ笑う。
「フクちゃんはほもほもだからー。あの店経営する前は三丁目にあるどこぞのゲイバーで働いてたんだって」
「え、私その話知らない。子供だっているし」
「杏城サマが言ってたよ、『あいつはナチュラル・ボーン・バイセクシャルよ』って。その頃の客を引き込むために、自分で店を出すときも三丁目を選んだんだって。今じゃあそこ、ファウンデーションのたまり場だけどねー」
「ふーん」
「バイセクシャルってなんだかんだ言ってマイノリティでしょ。マイノリティの代表格。代表格って時点でマイノリティじゃないかもだけど。フクちゃんはさ、自分がマイノリティでありながら生きるつらさを知ってるから、弟子にはマジョリティウケするようなアーティストになって欲しいのよ」
「そんなもんなのかな……」
「あ、今『バイセクシャル』で『ウケ』るというダジャレだったんだけど」
「知るかっ!」
「うーん、ゲイでウケるの方がわかりやすかったか。まあ、そんなお尻のユルいフクちゃんだけど、良いこと言うじゃない」
「お尻がユルいは余計よ」
「へいへい。そーでガンスね」
「もぅ」
「しっかし、マジョリティにウケる、ねぇ。今私はペヨーテ食べてるけど、これからはもっともっと規制されていくから、ドラッグカルチャーからドラッグを抜いて表現していく、っていう本末転倒なやり方でサバイヴしてかなきゃだわ、ホント。マジョリティにウケていくためには、『当たり障りのない』カルチャーに適応してかなきゃならない。それはある種、どんなジャンルでも通過儀礼みたいなもんよね」
「そうね。みんな最初はトンガってても、そのうち『丸く』なっていくもんね。通過儀礼、……なのかもね」
「日本人はわかってない人多いけど、ドラッグには大きく分けて四種類あるのよ。みんな区別ついてないよね。でもそんな初級の話をしても意味ないし、今日はアシッドの話をしなきゃだわ」
「何故に」
「当たり障りがない表現の話から繋げてだよ、ばっきゃろー。タン塩も食え」
 加奈子は黙々と肉を焼く。
 加奈子が鉄板の上を箸で華麗に横断していると、真奈美の手が加奈子の腕を掴んだ。
「なに?」
「ペヨーテ食べたあと、私もカルビ食べたい。残しておいて。すぐに食べ終えるから」
「笑止! カルビではなく、上カルビよ」
「そうそう、その上カルビを食べるのだ」
「ったく、仕方ないわね。タン塩は注文しないわよ」
 ペヨーテを平らげた真奈美も、肉焼き合戦に参加し始めた。
「まー、薬物事情で言えば、マイクロミリグラムで作用してしまうアシッドをどう廃絶するかって問題もあるけどね。切手の裏に湿らせておいて、舐めるだけで効いてしまうとか、どーすんの、とは思うけど、そっちはどうでもよくて。アシッドはこのペヨーテと同じ、幻覚系のクスリ。だからカルトの洗脳によく使われるわ。他にも、東の国のオルグとかにもね」
 上カルビの焼き上がる匂いを堪能する真奈美を尻目に、加奈子は自分の取り皿に速攻で焼いた肉を持っていく。「
ずるい」と真奈美。
「私はズルい女よ」と加奈子が言うと、真奈美はそんなタイトルの歌を歌い始めた。歌い終えると、真奈美はまた、話の続きをしゃべり出す。
「幻覚作用があるから、アシッドと西海岸のヒッピー文化と相性がよくて、ニューエイジ思想とアシッドは切っても切れない関係にあったの。この前、アキバの話したじゃない。アキバの街の開発、それからオタクの聖地としてのアキバ。これからたぶんライトノベルって言われつつある一連の、マンガみたいな表紙と挿絵の小説がどんどんブームになっていくと思うんだけど、そのライトノベルってもののルーツのひとつが『テーブルトークRPG』と呼ばれるボードゲームなの。正確には、ボードゲームじゃなくて、ルールブックって本のルールを元に、ボードにキャラを配置したりサイコロ振って動きを決めたりはするけど、基本的にはプレイヤー自身の想像力で動いていく、ってタイプの知的なゲームなんだけど」
「テーブルトークって、確かファミコンとかのロールプレイングゲームの原型でしょ?」
「お、知ってるね! その通り。ウルティマやウィザードリィは完全にテーブルトークRPGがベース。で、そのウィザードリィのダンジョン探索とウルティマのマップ画面とかを参考にしつつ、ドラクエなんかがつくられたのよね」
「ナツい」
「ナツい……。いきなり死語ね。ま、それはともかく、テーブルトークってのは、世界観込みのルールブックをそらんじている『ゲームマスター』がストーリーの枠組みをつくって、その中でプレイヤーたちが敵と戦ったりマップ内を探索したりしていくのを、コントロールしていく、ってスタイルのゲームなんだけど、そもそもゲームボード内で表現できるものばかりじゃないわけよ。プレイヤーが『僕はこう動く』って言って、それでゲームマスターが、動いたら『その動作をしたからキミのキャラはこうなった』とか、口頭で説明していくっていう、結構高度な頭の中かき回すタイプのゲームなわけで、プレイヤーが本当に想像力豊かな人間なら、マスターの説明だけで楽しめるからおーけいなんだけど、そうもいかないじゃない。それじゃプレイできる層が限られる。でも、実はそのテーブルトークって、実はドラッグカルチャーと深い関係がある。生まれたのも元々ヒッピーカルチャーのまっただ中からだったりするんだけど、要するにテーブルトークのゲームマスターは同時にアシッドの『トリップマスター』なの。クスリをやりながらプレイすることになるのよ。だから、プレイヤーはゲームボードを『ヴァーチャルリアリティ』に認識して、ゲームをすることになる」
「マジで?」
「マジっすよ。元々は、それで流行ったっていう裏の歴史があるの。説明しておくと『トリップマスター』ってのは、アシッドでラリった人間の意識を『バッドトリップ』に持って行かないように、その場をコントロールする人間のこと。アシッドってのは一種の『パーティドラッグ』で、普通は一人で使うクスリではないのよ。だから、場を仕切る人間が必ずいて、その人がハッピーにドラッグをキメるようにコントロールする。それがトリップマスターと言われる。もちろん、みんなトリップするから、カルト染みた集団になる可能性が高いし、結束力で言っても、ラリってるから乱交パーティになったりフリーセックスになったりで、心も身体もみんな繋がった穴兄弟になるっていう、恐ろしい結束力を生んだりする。笑えるでしょ」
「笑えない」
「カルト染みた結果、その西海岸のヒッピー文化、ドラッグ文化のなれの果てとして、チャールズ・マンソンの事件が起こり、時代は幕を閉じ、『ドラッグ、いけないよね』とか、当たり前のことを今更ながら言うっていう奇妙な状態になるわけね。だから、元々はドラッグカルチャーから出発したテーブルトークも、今じゃそんな歴史は忘れられ、脱臭され、みんなが普通にシラフで楽しむゲームになりましたとさ」
「へー。そのマリリン・マンソンっていうのは?」
「うん。名前の間違いはギャグろうとしたのかもだけど」
「ギャグってない」
「バンド名で歌手名のマリリン・マンソンは、マリリン・モンローとチャールズ・マンソンの二つをミックスさせてつくった名前ね」
「そう、そのチャールズ・マンソンってのは?」
「ヒッピー文化の中で、とあるカルト集団化した奴らのボスの名前だよ。ビートルズの『ホワイト・アルバム』が、神からの啓示で、特にアルバムの中の一曲『へルター・スケルター』は黙示録的なメッセージを含むものだ、と解釈したの。で、その半ばカルトとなったチャールズ・マンソンの一味は、その神からの啓示の通り、ハリウッドスターたちを次々と殺害していったっていう。まー、そういう事件があったの。で、これによりヒッピー文化は幕を閉じたとされる」
「全共闘が浅間山荘事件で終わった、みたいな?」
「ね。大体こういうのって、そういう終わり方するわよね……」
「だね。じゃ、喋ってないで」
「うっし。肉が冷めないうちに食べるのだー」
 そしてがつがつ焼き肉を食べ尽くしていく二人。レジで金を払ってから真奈美は「あー、酒飲んでないー」と叫び、仕方なくライブハウス前のコンビニでビールを買いに走る。
 そして二人で改めて部屋飲みをすることになった。


「ドラッグなしで元ドラッグ文化を引き継いでいくことは可能なのか。それでは本質がなくなってしまうのでは。としたらそれは、アウラの消えた『シミュラークル』でしかないのではないか。現代的な問題ね。『まがい物=シミュラークル』が蔓延して、シミュラークルのシミュラークルとか、シミュラークルのシミュラークルのシミュラークルとか、完全に元のものがなんだったかすら忘却されてしまう『ハイパーリアル』な世界になって、ドラッグカルチャーだったテーブルトークは元々の思想もカルチャーも忘れてゲームやまんがやアニメやライトノベルになって、末は文化庁が推奨するような『よい子』の文化になっていく。誰も源流なんて知らぬまま消費される対象になって。うひー。考えただけで吐き気がする。元が持っていた『暴力性』が脱臭されたら、そこに一体ひとはなにを求めて群がるのか。ロボット化っつーか動物化っつーか、なんか起源にあった暴力性が隠蔽されていても気づかず、気持ちいいからやってる、みたいな理性ドン無視の管理社会らしい感じになっていくのかにゃー」
「真奈美がなにを言っているのか、微塵もわからないわ。はい。スーパードライ」
「さんきゅ。理性があるからこそ、あらがえない暴力性に対するカタルシスがあったはずなんだけど、もうみんな、短絡的な目の前の気持ちよさだけに捕らわれてしまうのねー。嘆かわしや」
 真奈美はプルタブを勢いよく開けて、ビールをぐいっとあおった。
 加奈子も缶を開け、それをコップに注いでから、ビールの黄色い液体を口にする。真奈美は「うめぇ」と唸る。
 加奈子が「オッサンか、あんたは。男に嫌われるよ」と言うと、「なにを今更」と言って、前髪をかきあげた。
「男なんて……。加奈子ちゃんにはわからないだろーなー」
「なによ、含み笑いなんてしちゃってさ」
「スーパードライ、超乾いてる」
「直訳すんな」
「でもさー、フクちゃんが『マジョリティ』に向けて発信していくべきだって考えるのも、まー、考え物だわな。特に私なんかはケータイサイトで小説書いてるけど、元々小説ってのはマイノリティに向けて書いてる、それ自身マイノリティな表現ジャンルだな、って思うこともしばしばなわけよ。加奈子のテクノ音楽なんかもガチマイノリティ向けだし」
「確かに」
「私らの周辺はみんなそうじゃん。大衆受けのマジョリティ表現してる奴は一人しか……あ、いや、なんでもない」
「なによ、言いなさいよ」
「……いや、まあ、ねぇ、そりゃ……志乃詩音しか……いないなって」
 加奈子はコップのビールを一気にぐいっと飲んで、飲み終わったコップをコタツのテーブルに派手な音を立てながら置いた。
「ごめん、加奈子。今のは忘れて」
「……うん」
 しばしの沈黙。真奈美もビールを一缶開けて、それからコタツに足を入れたまま、仰向けに寝転んだ。
 沈黙の後、口を最初に開いたのは加奈子の方だった。
「ファウンデーションが総出で戦っても、詩音には勝てない。成り上がって詩音に勝とうとこの街に来たけど、でもあいつの才能は本物だったって気づいただけだった。まだここに来て二ヶ月とちょっとくらいなのに、思い知らされた。いきなりオーディションに受かるようなあいつは、まさに鬼のような存在なんだって」
「自分のお姉さんに鬼って、辛口だね」
 仰向けのまま、真奈美が言う。
「このビールが辛口だから、私も辛口になっただけ」
「上手いね」
「上手いわよ。ビールが美味いから」
 二人は笑い合った。
 笑い合ったが、座ってる加奈子と仰向けの真奈美は、互いの視線は交差されないままで笑い合うし、その笑いは、乾いた笑いだ。
「でもさ」
 加奈子が視線をコタツに下ろして、言う。
「私はあいつを追い抜くわ。それで、あいつの心臓を打ち抜く」
 真奈美は答えない。
 加奈子は無言でもう一缶、ビールを飲み、それから無言のままの真奈美を見る。
 真奈美は眠ってしまっていた。
 その姿を見て口元を緩めた加奈子も、眠ることにした。
 寝室ではなく、真奈美と同じくコタツの中で。

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