第19話

文字数 6,010文字

     ☆


 押し入れの中の収納ボックスを、加奈子は漁る。
 レコード探しだ。それを見やりながら、真奈美は牛乳を飲む。
「うー、二日酔いー」とか言いながら、コタツでぐったりしている。
 凜々子は一旦、京王堀之内に帰った。
 終電を逃していたので、始発まで真奈美と部屋で飲んでいたのだ。
 そこでなされた会話は、ブンガクの話ばかりだったので、加奈子は一緒にいないで寝室で眠ることにした。
 始発で凜々子が帰ったあと、真奈美も眠った。
 そして、昼。
 リハの時間もあるので、早急に準備をしないといけない。
 なので加奈子は大忙しだ。
 レコードを見繕って、それからCDも漁る。
 加奈子はJコアと呼ばれるジャンルが基本なので、アニソンCDをCDJという小型ターンテーブルで回す。
 アニソンの時代はもう、アナログレコードの時代ではなかったのだ。
 だから、CD音源を、見繕う必要があった。
 ちなみに、レコードの方は、アニソン縛りのイベントというわけでもないので、加奈子の趣味で、所々に織り交ぜる、という趣向だ。
 なにせ、持ち時間は一時間もあるのだ。
 結構、流せる曲は多い。
「うひー、二日酔いの荒れたおなかに牛乳はキツかったっすー」
 加奈子の背後で、真奈美が呻いた。


 リハーサルというのは正午頃から始まることが多いが、ファウンデーションのボス・杏城琴美主宰のイベントではリハは午後、ゆっくり始まるのが通例で、今回もそうだった。
『いつも通りのイベント』という雰囲気が醸し出す空気が、リハに来た加奈子には心地よかった。
 まだ、この街に来てから二ヶ月と少ししか経ってない加奈子だったが、このファウンデーションこそが、自分のホームグラウンドになりつつあるな、と思えるのだ。
 ホームグラウンドがあるのは、活動するにあたり、とても良いことでもあった。
 せわしなく会場を動く杏城琴美。
 会場はCLUBヨーロッパ。
 この街のCLUBの、代表格的なスペースである。
 琴美がスタッフと打ち合わせをする合間合間に、出演者一人一人の元へ来て、挨拶をする。
 リハ前に出演者全員が集まってそこで注意事項や、必要な事項は全て説明済みだが、そういったビジネスライクなものだけでなく、一人一人とのトークで、場を楽しいものへと変えていく。
 オーディエンスが楽しむだけでなく、出演者も気持ちよくプレイして欲しいという、これは琴美の想いであった。
 それを、加奈子と一緒に来た真奈美と凜々子も、遠目から見ている。
 加奈子が「近づいて見たら?」と言うと真奈美は「ううん。邪魔はしないわよ」と、かぶりを振った。
 葉澄莉奈は、リハには来ないらしい。
 昨日の深夜のCLUBアイレスでのライブについて凜々子から聞いた真奈美は、
「どうせ読モサマサマはお忙しいのでしょうね」
 と、キレかかりながら、そう口にした。

 煙草とペットボトルのお茶を買いに加奈子がCLUBヨーロッパを抜け出すと、周囲は夕方へと変わっていた。
 人通りは、この界隈はいつもまばらだ。
 まばらだが、コンビニ前まで来ると、バンドのライブを観るため、ライブハウスは西のライブハウスも東のライブハウスも、待機列の若者で一杯だ。
 今日のアーティストは誰だろうと東の方のライブハウスの入り口前の看板を読むと、そこには『志乃詩音・レコ発前ライブ!』と書かれている。
 その名前の文字列に、加奈子は脳しんとうを起こすかのようなめまいを感じた。
 同時に背筋がゾクゾクと寒気に襲われる。
 寒気なのか、それとも脳天が沸騰するそれなのか、判別が出来ない。
「あら、ここで今日、詩音がライブすること、知らなかったって顔ね」
 後ろから、声がかかる。
 シャープな声色だ。
 加奈子が振り向くと、そこにいたのは葉澄莉奈、詩音の『ペット』である彼女だった。
「こんなに近くで姉妹が同時にイベントをしてるなんて、面白い偶然ね」
 完全なプロポーションを誇示するピッタリとした服装の莉奈は、缶コーヒーを手に持ちながら、敵意と感じられる言葉遣いで、加奈子に対峙する。
「CMも決まっているのよ、曲のタイアップの。それは来週の月曜日から、地上波のテレビで流される。あなたとは大きな違いね。あなたは渋谷の路上で這いつくばっていればいいわ。老いるまでずっとね。老いれば、ポイと捨てられるけど。それまで楽しめばいいじゃない。昨日、来たんでしょ、ハイパーマーガリンのパーティにも。私は今、いろいろなところに出演させてもらってるわ。今日も、あなたと同じステージに立つ。ここでは終わらないわ。私は、あなたとは違う。詩音さんと一緒に添い遂げるのは、あなたじゃなくて、この私。……そんな怖い目で見ないでよ。殺したくなるじゃない。それとも、殺されたいのかしら」
 缶コーヒーを飲み、それから、踵を返す莉奈のその歩行はモデルの歩き方で。
 完璧すぎるその振る舞いに、加奈子はただ黙って、莉奈が去って行くのを見ていることしかできなかった。
 加奈子は腕時計を見る。
 もうそろそろ戻らないといけない時間だった。
 冬を迎える空は、この時間ではすでに暗くなる頃合いだ。
「志乃詩音はあなたを許さない」
 去り際の莉奈のその独り言は、加奈子には聞こえない。
 また、莉奈も加奈子に聞かせる気は毛頭なかった。


 加奈子と入れ替わるように、CLUBヨーロッパの出入り口から凜々子と真奈美が外に出てくる。
 真奈美は中に戻る加奈子に、手を上げて挨拶をして、加奈子も手を上げてそれに応答した。
 凜々子はその二人を見て、ちょっとヤキモチに近い感情を抱いたので、真奈美が世間話を振ると、むくれた顔をして、そっぽを向いた。
 真奈美はため息を吐いて、
「そんなんじゃないわよ」
 と、凜々子に言った。
「そんなんって、なんです?」
「なんでもない」
 凜々子はよくわからなかったが、「ふーん。そうですかぁ」と、受け答えをした。
「あの子は誰にも振り向かない。田舎で昔、学生だった頃からずっと。男にも、それに女にも、振り向かない。ヘンな子だったわ。だから杏城サマは、加奈子が好きなのかも。私なんて高校の時からちゃらんぽらんだったからなー。さすがに援助交際に誘われた時には断ったけど。ちゃらんぽらんな私と、なにか思い詰めたかのように動く加奈子。私は私たちのそんなコントラスト、気に入ってたんだけど。いまいち、私の方は人気がないままね」
「えー、師匠は売れっ子小説家ですよー」
「ケータイで書いてるだけだもん。売れっ子って言ったって、お金なんてもらってないわ。アマチュアよ。これからどうなるかはわかんないけどねー」
「ですよですよ、そーですよ。これからのことなんて、誰にもわからないですよー」
「杏城サマから、ファウンデーションやこの街のことを書いてくれって頼まれたけど、私には荷が重いわ。出来れば、私は補助ってことで、メインはあんたに任せたいって思っててね。私、ちゃらんぽらんだから、まとめるのが苦手なのよ」
「今日はずいぶん卑下しますね、自分のこと」
「そりゃ、そうもなるわ。詩音っていう悪玉コレステロールみたいな奴のことを考えちゃうとね」
「よくわかんないですけど、今日は東のライブハウスで志乃詩音のライブですよ」
「知ってる」
「だからコンビニの方じゃなくて文化村のスタバに私たちは歩を進めているのですね」
「その通り。奴のファンの顔すら、見たくない」
「そんなもんなんですねぇ。私だったら茶化しますし、師匠こそそういうの茶化したがる人間だとばかり思ってました。……あ、そういえば」
「なに?」
「詩音インストアライブが、火曜日にありますよ、外資系レコード店で」
「うひー」
「行きます? CD買えば引換券もらえますよ」
「行かなーい」
「私、行こっかなー」
「いじわる」
「私はいじわるですよぉ。私の気持ちに応えない師匠への当てつけです」
 話しながら、凜々子と真奈美は文化村の方へと丸山の坂を下りていき、そこにあるスタバへ入る。
 二人とも、グランデでカフェラテを買い、シュガーを入れてテイクアウトする。
 紙袋は貰わず、カップを手で持って店を出た。
 CLUBヨーロッパと向かい側のCLUBアイレスの前の喫煙スペースで、杏城琴美とダウンジャケットの男が煙草を吸いながら話をしていた。
 そこに声を掛け、真奈美は琴美のそばによっていく。
 凜々子は、真奈美のそばで、カフェラテを飲みながら、話を聞く体勢に入った。
「おー、真奈美」
 杏城琴美が、真奈美の背中を叩く。
「杏城サマ、この方は?」
「イベンターの方だよ。若いけど、偉いんだぜ。なぁ」
「あ、ども」
 イベンター。
 イベントに行きまくるのを生きがいとするような人種もイベンターと呼ぶが、ここで言うイベンターとは、イベント会社で働いている人間、イベント屋という意味だ。
「こちらは? ファウンデーションの関係者で?」
 イベンターの男が、琴美に尋ねる。
「ちょっと違う。この二人は、ケータイ作家サマだよ。大人気のな」
「こんばんわ。主にまじかるアイランドで小説を書いている、真奈美です。ペンネームも『真奈美』のままやってます。で、私の横にいるこの子もケータイ小説やってます」
「へぇ」
「駆け出しですけどね」
「いやいや、新しい表現ジャンルじゃないっすか。琴美さんとは?」
 真奈美がにっこりと笑顔で琴美を見る。
「杏城サマには、大変お世話になってます」
「琴美ちゃん。この子可愛いね。もしかして食べちゃってる?」
「人聞きの悪いこと言わないで。この子たちには、この街のドキュメンタリー書いて貰おうと思ってるのよ」
「おっ、いいねぇ。そっか。知られないまま終わっていく歴史もあるからね。可視化させるのも、手かもね。でもさすがだな、琴美ちゃん。こういうのは業界の人間がやるべきもんじゃないか。さすが、街の黒幕!」
「やめてよ、その言い方」
 イベンターと琴美は笑い合う。
 真奈美も商業スマイルだ。
 それを凛々子は、じっと見る。
 杏城琴美。
 確かに黒幕なのかもしれないな、と凛々子は、琴美の全身を、足からゆっくり、頭のてっぺんまで眺め、それから、「私が描くことになる、その中心はこの人になるだろう」と、この街の記録を書く時のことを、考えた。
「なにマジ顔になってんのさ」
 真奈美が凛々子をのぞき込むように見る。
「師匠こそ、デレ顔やめたらどうです?」
「杏城サマのお姿を堪能してるから無理よー」
「そうですか……」
「それより、邪魔しちゃ悪いし、CLUBの中に入ろっか」
「はい、ですー」
「じゃ、杏城サマ、私たちはこれで」
「ちょっと紹介すっからさ、いなさいよ。業界の人と話をするのも大切よ」
 業界の人間と言われかぶりを振る男。
「いやいや、おれはそんなたいそうな奴じゃないっすよ」
「失礼します!」
 頭をぺこりと下げて、真奈美は凛々子の手を取り、CLUBアイレスから離れCLUBヨーロッパの方へ。
「どうしたんだろ、あいつ。らしくないな」
 琴美は首を傾げたが、すぐにイベンターとの会話に戻ったのだった。


「いいんですかぁ、師匠」
「いいの、いいの」
 凛々子と真奈美がCLUBヨーロッパに入る。
 入り口から入ると、そこはエントランスになっていて、左に行くと狭い通路があり、ゲートをくぐるとそこからフロアに入ることができる。
 一方右側に行くと階段があり、そこを登ると、バーになっている二階のラウンジがある。
 真奈美は右側に歩いて行き、階段を昇り始める。
 凛々子は慌てて、真奈美についていく。
 てっきり左に行ってフロアに行くものとばかり思っていたから、予想外で慌ててしまったのだ。
 真奈美がなぜ階段を昇りバーラウンジに行ったか、階段を昇りきったところで、凛々子にもわかった。
 そこには、酒を飲み良い感じに赤ら顔になっている、出演前の加奈子がいたからだ。
 今はもう、開場の時間は過ぎている。
 なので人もかなり入っているのだが、そうしたお客さんと会話をすることもなく、お客さん同士の会話を眺め聞いている加奈子の姿は、凛々子が思う志乃加奈子イメージとはずいぶん離れていて、ちょっとびっくりしてしまうほどだった。
 いや、ちょっとじゃない、かなりびっくりした。他人の話を焦点の定まらない目で追い、聞きながら、出演前から酔っ払ってるこの姿は、凛々子からすると加奈子よりも真奈美の方に似合う所作であり、凛々子は目をこすり、これはドッキリではないのか、と疑ってしまう。
「やっぱりここにいた」
 真奈美は手を腰にやって、加奈子に話しかけた。
「そんなに酔っ払って大丈夫? 皿回しは体力勝負じゃんか」
「慣れてるし」
「でも、ストレスには慣れてない。そうでしょ」
「確かに」
「出演前に酔うのはいつも通りだけど、心配してこっちに来てよかった。なんか加奈子、バッドトリップしてるじゃん」
「うっせ」
 相手のことを互いにわかりあった会話。
 凛々子はそう感じる。
 会話の言葉というより、会話を発するそこに込められた互いを思いやる気持ち。
 凛々子は、悔しいな、と唇を噛みしめた。
「琴美が雑用でそこらを這いずり回ってりゃ大丈夫なんだよ。運営は、ね。あいつはVJもやるけどね。私は、最高のプレイをする。皿回しは家で宅録やってるのと違う。ダイナミックなバイブレーションに身をゆだねなきゃダメだし、それは酔って余計なことを考えなくなったくらいの調子がちょうどいい」
「哲学だねぇ」
 真奈美は苦笑する。
 凛々子は、この言葉をメモしたかった。
 加奈子の哲学と、そしてそれを苦笑して聞く、自分の師匠の思いやりを。
 これは、残すべき事柄だ。
 たぶん、路上のリアルは、こんなところに転がっている。
「詩音のライブが」
「知ってる」
 真奈美が言い終える前に、言葉をかぶせる加奈子。
 あえてこの話題を出してしまうあたり、二人には気兼ねというよそ行きの所作はいらないようだ。
 凛々子は口を挟むことなく、二人の会話を聞いている。聴いている。
「本当の音楽ってのを見せてやる。あの女の『パーティラップ化』したサウンドなんて、嘘っぱちなんだから」
「うっふ。杏城サマがその台詞を聞いたら歓喜するよ」
「言わない。琴美を歓ばせてどーすんのさ」
「今夜は、ブギーバックですかね、DJ加奈子殿」
「バッチリ」
 真奈美は加奈子の背中を叩く。
 加奈子はされるままにして、アルコールをまた一口飲んでから笑った。
 ……そして、パーティが始まる。


 
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