第20話

文字数 3,448文字

     ☆


 享楽。
 ハードコアテクノの音が渦となってフロアに響き渡る。
 そのサマを凛々子は身体を揺らしながら享受する。
 カウンターでドリンクチケットとジントニックを交換し、幌酔う心地よさでリズムの波に乗る。
 探偵のようなフロックコートで身体を揺らすその姿は異様だが、凛々子は気にしない。
 ドリンクチケットでなく、身銭を切ってカクテルを何杯も飲み始めた凛々子は、真奈美を追うのを止め、一人になって自分の世界に入っていく。
 数えて四人目のDJが、加奈子だった。
 加奈子の持ち時間は一時間。
 真奈美が凛々子に言うには、加奈子は人気者だし、時間をオーバーして今日も一時間半はプレイするだろう、とのことだった。
 薄着になった男女の汗が熱気になり、凛々子は自分がほぼニート状態のコミュ障であることすら忘れるほど、知らないひとだららけのこの環境に適応しはじめる。
 その中で加奈子のDJは始まる。
 アナログレコードとCDJ,ミキサーとノートPC。
 それらを接続したDJシステムからはじき出されるのは、多種多様な音楽だった。
 原盤をそのまま流すのを主としながら、オタクネタをリミックスした音を鳴らす。
 基本、このファウンデーションのDJイベはJコアの企画である。
 が、加奈子はそれの拡大解釈をし、いろんなアプローチで、プレイしていく。
 ジャンル縛りのイベントというわけでもないのだ。
 ステージの後方では、琴美の弟子のVJが担当するスクリーンのビジュアルがサイケデリックに蠢く。
 加奈子は時折ボコーダーでボイスチェンジした声で、オーディエンスを煽る。
 たまにラップのようなリリックを曲中に混ぜたりもする。
 凛々子は「オバサン、電気の時の卓球が好きなのですかねー」と思って吹き出したりする。
 とにかく、楽しい。
 ずっと聴いて踊っていたくなる、そんな時間を過ごすのだ。
 真奈美から凛々子が聞くには、加奈子はまだ、この街に来てから半年どころか三ヶ月も経っていないらしいし、地元ではDJなんかやったことはないという。
 それはすごいことだ、と凛々子は、加奈子の音に身をゆだねながら思う。
 さすが、志乃詩音の妹。
 まあ、詩音の妹だなんて、言われたくないだろうけど。
 でも、もしかしたら、このまま順調にいけば、この姉妹はこの街自体を変革してしまうんじゃないか、という予感さえする。
 凛々子は、今日、ここに来て正解で、そして、この街を記述する役目をもらえて良かった、とも思った。
 神の采配。
 白羽の矢が立ったのが自分で、なんてラッキーなのだろう。
 そう、酔いしれていたときだった。
 いきなり、ダンスをしている男女の群れが、水を割ったように、真っ二つに分かれた。
 なんだろう、と思って凛々子が真っ二つに分かれたその空間を見ると、金属バットなどで武装した男女十人くらいの集団が、人々を威嚇して行進してきたのが見える。
 集団のメンバー十人はサンダル履きにジャージという、ラフな格好をしていて、それ故に『渋谷の住人』という色合いが強く、そして凶暴さを匂わせていた。
 奴らが向かった先、それはフロア奥にある横長のソファである。
 加奈子がプレイする大音量のJコアが流れ、スクリーンのビジュアルが明滅するさなか、先頭の男の怒声が響いた。
「てめぇが杏城琴美だなッッッ」
 ドスの利いた声。
 しかし、やくざというよりチンピラ然とした声だ。
「パーティラップにパーティドラッグ! てめぇがこの街を仕切るんじゃねぇ!」
 ソファに座っていた琴美に、先頭にいた男が琴美に向けて金属バットをスウィングした。
 琴美の手にバットはぶつかり、持っていたグラスが吹き飛ばされ、床に落ちて割れる。
 グラスの中のカクテルが床にまき散らされ、床の絨毯に吸い込まれた。
 暴徒集団の後方では、ゲラゲラ笑いながら、琴美と集団のやりとりをビデオカメラで撮影している暴徒のメンバーがいる。
 そのカメラが大きいものであるため、クラブ内の人間の過半数は、デモンストレーションかドラマの抜き打ちの撮影ではないか、と疑っているのが凜々子には感じられた。
 お客さんたちがアルコール片手に喜んで見物しているからだ。
 撮影だ、というのは、琴美のことを外から見ている人間には説得力がある。
 ファウンデーションらしい、とも思えるだろう。
 でも、それがドラマの撮影でも、ハプニングを装ったデモンストレーションでもないのが、凜々子にはわかる。
 師匠から聞いた杏城琴美というのは、面白がって、なにかやるときは周囲に事前に言いふらすクセがあるのだ。
 それは、凜々子や真奈美の、ドキュメンタリーの作成にしてもそうだ。
 いつも楽しい企画を、あるときは真面目に、あるときは茶化して、言いふらす。
 それが、琴美の生き方であり、また、ファウンデーションが定期的にイベントをやることができた、カリスマ性をつくる要因でもあるのだ。
 今のこの状況は、琴美の仕込みではない。
 凜々子は、直感でもそう断じるがしかし、どうしていいのかわからない。
「ぶっ殺す!」
 チンピラ然とした雄叫びを上げて、十人もの男女の暴徒が、得物を振りかぶり、一斉に琴美に襲いかかる。
 いきなりのことで、大物であるような立ち振る舞いをいつもしている琴美も、身体が動かない。
 そこにまず、金属バットが振り落とされる。
 腕で琴美はガードするが、硬そうな木刀やら鉄パイプやらが、あらゆる方向から飛び出す。
 そこに、蹴りが飛んでくる。
 ソファから倒れた琴美は、声すら上げられず、倒れたその場で袋だたきに遭う。
 少し遅れて、真奈美が走ってきた。
「やめろ! やめろお前ら!」と悲鳴のような声を上げ、真奈美は近寄るが、そこを暴徒の女二人に羽交い締めにされ、その身体は琴美まで届かない。
 音楽が止む。
 レコード針のノイズだけが会場に流れる。
 VJが映すスクリーンはなおもサイケなままで。
 ダッシュして現れるのは、志乃加奈子。
 真奈美を羽交い締めにする女二人を、ダッシュの加速力で蹴り飛ばす。
「痛ってぇな!」と、女が体勢を整える間もなく、加奈子は身体の後ろから三段警棒を取り出し、それを伸ばす。
 三段階目に伸ばされた警棒を構える加奈子に、女二人はたじろぐ。
 その隙に真奈美は加奈子の後ろまで走り、そこで体勢を立て直す。
「うっひゃ。私が『マッド』で買った三段警棒じゃん」
「借りてる」
 暴徒達は未だ、琴美をリンチしている。
 助けなきゃ、と凜々子も思うが、だからってどうすればいいのかわからない。
 加奈子は警棒で女二人の顔面を殴ると、相手は、さすがに女性だから、自分の顔を気にして、出た鼻血に蒼白になる。
 その隙を突いて加奈子と真奈美は、殴る蹴るを続ける男の暴徒たちの後頭部を警棒で殴り、また跳び蹴りで、割って入る。
「んだ、おらッ」と男たちはその憎しみの籠もった目を加奈子たちに向けるが、そこでにらみ合いをしていたその短い間に、消化器の白い粉のスプレーがまかれ、暴徒と加奈子たちに浴びせられた。
 視界が真っ白に染まる。
 撒かれた人間はみな、目をつむり咳をする。
 周囲が真っ白に変わって皆の動きが止まった時、警報が館内に響き渡った。
 防犯のブザーだ。
「やべっ! 警察を呼ばれた!」
 暴徒の一人が叫ぶと、暴徒たちは一目散に散っていく。
 クラブ内の人間たちの中にわざと入っていき、捕まらないように、逃げていく暴徒たち。
 警棒で鼻血を出した女が「絶対殺す!」と、怒鳴ってから逃げる。
 加奈子と真奈美は、立ち止まって周囲の粉の煙がなくなるのを待っている。
 周囲の視界が元に戻ると、消化器を持ってそこにいたのは、葉澄莉奈だった。
 莉奈に複雑な感情を抱く加奈子と真奈美は、消化器を持ったままの莉奈を睨んでいるが、莉奈が、
「睨めっこしてる場合じゃないでしょ」
 と、諭すと、加奈子と真奈美は琴美の倒れているところまで駆け寄った。
 琴美はどう見ても重傷だった。
 金属バットで殴られたり、足で蹴られたりしただけではなかった。
 刃物で腹部を刺されていて、そこから大量の血が出ている。
 警察が到着したのはそれから十分後で、このDJイベントは中止になった。
 凜々子はただ、それを観察することしか出来なかった。

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