第23話

文字数 2,715文字

     ☆


 病院から一晩明けて火曜日。
 あの警察の園田が言うように、加奈子は刃物で刺され倒れ、処置を受けた。
 念のためということで病院でしばらく安静にする、ということになった。
 この街にはひっきりなしに病人とけが人が病院に搬送されてくる。
 なので、病室を借りるというのはよく許されたものだな、と凜々子は思ったが、なにせ杏城琴美の事件は新聞で報道さえされているのだ。
 その渦中、刺されたのだから、加奈子の安否も重要とされたのだろう。
 実際、加奈子には警察の護衛がついた。
 まだ、事件は終わっていない。
 犯人は誰か。
「犯人捜し。推理小説で言えば『フーダニット』ですねぇ。……自分で書くならともかく、推理小説の登場人物に自分がなるなんて願い下げですが」
 凜々子は街にそびえる外資系レコード店の店先で言葉を濁す。
 すでに自分は小説の登場人物に成り下がっているのかもしれない。
 ウンザリする話だった。
 外資系レコード店で凜々子がなにをしているかというと、今日、ここで志乃詩音のインストアライブが行われるのだ。
 そのライブを観るために、凜々子は来ている。
 扉をくぐり、地下へのエスカレータに乗る。
 ライブはもうすぐはじまる。
 チケットの提示をすると、凜々子はコンクリートの打ちっ放しになった地下を歩く。防音の扉の中に入ると、すでにファンと思しきオーディエンスがたくさん詰めかけていた。
 凜々子は後方に陣取る。
 左右にはテレビモニタもあって、後ろにはビデオカメラが、会場を撮していた。
 凜々子がぼーっとしていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
 だが、凜々子はその声の主の方へは振り向かない。
「ロースちゃんはぁ、実際どう思ってんの、加奈子っちが刺されたことぉ」
「きっと前世で悪さしまくってカルマが襲ってきたのよ。でも、そうねぇ、あの子とはもっと仲良くなりたいわね。杏城琴美の方はどうでもよくて。今回の一件は、犯人は誰だか知らないけど、でも今からここで歌う詩音の妹ってのがね、私的には、なんともタイミングが良すぎる気がするのよね」
「まぁたスピリチュアルぅ。でも今、どんな気持ちかしらね、妹が刺された直後に歌う歌姫の気持ちってのわぁん。きゃっは」
「笑うな、笑うな。私まで笑いたくなるからやめてよ」
「でもマーガリンさんの恋人が襲撃されたわけじゃん。琴美ちゃん。最近暴れてたからにゃぁん。きっと恨み買ってるのねー」
「暴れるって、ねぇ。それ言ったら私たちだってひとのこと言えないわよ……、んんん?」
 凜々子が知らない振りをしているのに、相手は凜々子に気づき、肩に手を置いた。バレたか、と凜々子はあきらめて、振り返る。
「やっぱり。エンゼルフォール・細波ちゃんじゃない」
 肩に手を置いていたのはゴスロリファッションに身を包んだ眼帯トラックメイカー、三択・ロースで、隣にいるのは、人気女子高生彫刻家として数年前、名を馳せたまま街の中へと消えていった、園田バタコだった。
「ゴスロリにギャル。あんたら変わってないのね」
 皮肉も言いたくなる。
 なにせ、学生時代、黎明期のネットでつるんでた面々なのだから。
 オフ会での騒ぎぶりを思いだし、凜々子はため息をつく。
「あぁら、りりっち、元気ぃ?」
「園田バタコにゴスロース。あなたたちこそ元気そうですね」
「私はもう、彫刻はやめてグラフィティやってるのよ。名前はバター猫。よろしくねっ」
「バター猫ねぇ。そういやあんた、お姉さんいる? 警視庁に」
「いるよぉ、園田乙女っていうヨーヨー使いが」
「……ビンゴ」
 凜々子はため息をついた。
 ヨーヨーを使うとかいうアーティスティックな立ち振る舞い。
 こりゃ確かに姉妹。
 名字が同じだからもしかして、と思ったら。
「ブンガクの道はまだ続いてるみたいじゃない。読んでるわよ、あなたのまじかるアイランドの連載」
 ロースが言う。
「ちなみに今ぁ、ロースちゃんもヒップホップ文化の人でーす」
 それは凜々子も知っていた。
 MCマーガリンの曲の作曲家だ。
 有名すぎる。
「あんたらはほんっとに有名ですもんね」
 嫌みっぽく凜々子は言ってみたが、全然嫌みにならないのかもしれないな、とも同時に思った。
 こいつらは、高校生の時からずば抜けた才能を誇っていたのだから。
 こういう物言いには慣れまくってる。
「私たちは『ハイパーマーガリン』っていうアート集団を結成して、これから一旗揚げるつもりよ」
 誇らしげなロース。
 その姿はなんとも眩しくて。
「言わなくてなんとなくわかるですよ。あなたたちは、いつもそうです。私を置いてきぼりにする……」
 凜々子は涙が出そうだ。
「そう、……いつだってあなたたちは、輝いてたのですよ…………」
 成功と憎しみの支配するこの街で、彼女らは輝いていて、成功していて、自分は憎しんでる側の人間として生きて。
 凜々子はライブなんて観ていられない気分になってきた。
 加奈子が詩音を憎しむように、または、師匠の真奈美が杏城琴美を偶像化するように。
 凜々子はバタコとロースを、偶像にして、それに勝てなくて、その偶像をいつも憎悪して生きてきて。
 会場のBGMが大きくなり、ステージには照明が照らし出され、客の歓声が響く。間も置かずに、ステージには詩音が現れて、音楽が流れ出す。
 新発売の、CMのタイアップ曲。
 凜々子はその『偵察』にやってきた。
 来たるべき書物、この街のことを描くための書物を書く、その参考になるのではないか、と。
 凜々子にとっての志乃詩音は、他人だ。
 絶対的に、他人。
 うらやまれる対象としてのスター。
 関係ない国の、関係のない人間にしか思えないような。
 だから、加奈子や真奈美が憎むのも、客観視出来る、と思ってやってきた。
 でも、この『うらやむ』という感情は、他人事ではなかった。
 凜々子もまた、他人をうらやむ人間だった。
 この場にいる、バタコ、いや、バター猫、と、そしてロースという、この『スター』をうらやむ、この街の他の人間と同じ力学で動かされる、ただのねたみ人間だった。
 ステージでは、詩音が歌っている。
 ポップでキュートな、スターの声だった。
 それに背を向け、昔の友人であるバター猫とロースにも背を向け、凜々子は泣き出しそうな目頭を押さえて、会場から逃げ出した。
 エスカレータで一階に上がりながら、凜々子は壁を殴った。
 憤りなのか、なんなのか、凜々子自身にもこの感情がわからないほど、色々と渦巻いていた。
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