ガイコツ4

文字数 1,217文字

「お母さん、お腹が痛い。」
「また?はよ、トイレいってきい。」
この頃、地震についての情報が耳に入ると、直人は急にお腹が痛くなることが多くなった。これまでは、幼い頭で意味がわからなかった、年長になって、地震や津波の恐怖が理解できてきた。
もうすぐ地震と津波で家も生活も命もグシャグシャにされるのだ。
大人たちが、わざと会話から避けていたり、しかし、真剣な顔をして、ラジオを聴いたり、始終、「地震、津波、避難」とラジオ、テレビ、有線放送が情報恐喝をしてくる。生活がその不幸のベールにじんわりと締め付けられている。責められても、しようがない脅し。逃げることも出来ないし、ただ、悲劇が来るのを緊張して待って、言われた通りに動くしかない。初夏の太平洋は輝きを増しているが、その明るささえ不吉なもののように感じてしまう。すっかり明るい未来は無くなって、いつか必ず来る不幸を始終対峙する必要を迫られる。それは直人にとって過酷な要求だった。太陽の光の暖かさが建物、砂浜、防波堤を暖める。畑は植物の成長でイキイキと輝き、何も隔たりがない無限の太平洋から心地よい潮風が吹いてくる。空は真っ青で、海と境界を失おうとしている。世界は水と空気と大地しかなく、それは誰が見ても美しく輝いている。しかし、同時に、それが命を狙って暴れると予告されている。間違いなく暴れる。間違いなく殺しにくる。大人たちが騒いでいる。テレビに出ている真面目そうな人が、津波で街が壊されて、みんな死ぬけど、なんとか生き残って、誰かを助けろと言う。
お腹がぐるぐるとなり、ひどい下痢が直人を襲う。前は、たまにだったが、この頃は毎日のように、地震情報を聞くと、みんなが流され、バラバラになり、死ぬことがうっすら頭の隅に浮かんできて、怖くて怖くて、お腹が痛くなる。トイレに篭ると、ドアの木目をじっと見て、さっさと排泄を済ませてしまいたいと焦る。今、揺れ出したら大変だからだ。
「・・・痛いの、終わった?出た?」
樹里が覗き込むようにトイレから出た直人に確認する。なぜ息子のお腹が痛いのか?とは思っていたが、樹里は、それを重大な事、事実にしたくなかった。子供によくある、アレだということにしたかった。そのアレとはなんだか分からなかったが、病気ではないことは理解していた。精神的なものだというのはわかっていた。なぜなら、自分も地震情報を見ると、気分が落ち込んでいたし、その逃げ場のなさに、イライラし、最後には失望を嫌というほど感じることがあったからだ。しかし、それを掘り下げて考えることができなかった。なぜなら生活は続いているのだ。古い家、畑、野菜、青い空、潮風、なにより、輝かしい太陽。それは毎日起きたら目の前に存在していたし、そこからはみ出るようなことはしたくなかった。直人もそう思っているだろうと樹里は勝手に考えていた。
「ただいま。」
直人の父、義政が漁から帰ってきた。陽気な顔をして、声を弾ませている。
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