チェンジ9

文字数 1,297文字

 別府の街は坂にへばりついている。一番下に幹線道路とか駅、飲み屋街、風俗街があり、住宅は坂の上にある。愛菜の車は坂を登っていく。ネオンがなくなり、視界は暗くなていく。坂の大通り、中腹に登った頃、大きな真っ暗い塔が聳え立ち、星を遮り、弓のようなカーブを刻んでいる。二本の支柱が海に向かって倒れかかってる孤のを支えている、別府の目印、グローバルタワーだ。坂から降る時に見ると、それは海に向かって沿うように、落ちているように見えて、坂を登る際に見ると、山を越えるなと立ち開かる通せんぼに見える。愛菜は通行が減った坂道脇に車を停めて、グローバルタワーを真横から見る。それは海に倒れようとする脅しもなく、通せんぼの意地悪もなく、愛菜の目には、斜面の街、見晴らしの良い別府に突き刺さった卒塔婆でしかなかった。
 もう少し坂を登ると家に着く。でも、愛菜はハンドルを曲げないし、アクセルを戻さなかった。暗い斜面の上の方、山の中腹に巨大な杉の井パレスが煌々と輝いている。まるでお城、そこだけが別世界。同じ街に住んでいたけど、プールには入ったことがあったけど、泊まったことがなかった。小さな頃から、杉の井パレスに泊まってみたかったけど、同じ温泉が家でも流れていたし、徒歩で行ける旅館に泊まる必要が全くなかった。でも、泊まってみたかった。客室の中はどうなっているのだろうか?とか、気になっていた。見晴らしの良い客室からは、自分の家の青い屋根は青くて小さく見えただろうと想像したりした。
 「ああ、そうか。」
 別府の街から注目を浴びる杉の井パレスは、別府の住人にとって案外関係がない。泊まることはないだろうし、行くこともないだろうけど、ずっとそこに、目立つところにある。その立ち位置、面倒だろうな。なんか、自分もそうだったのかもしれない。綺麗だから目立つけど、遠くから見ている人たちは私とは関係がなかったのだ。愛菜はそう思うと、色々なことで損をしていたのではないかと思った。
 「大きな街は人を隠す仕組みがある。」
 さっきの店長の言葉を思い出す。もし、杉の井パレスの周りに大きなホテルが乱立したら、杉の井パレスは目立たなくなるだろうし、見ている側の憧れにも似た、一方的な想像は減っていくだろう。
 やっぱりそうだ、私は別府の街から出ていくべきなのだ。アクセルを踏み込むと、軽自動車は暗闇をグングン登っていく。緑の光が輝く高速道路入り口に着く。メーターのガソリンの残量を見る、半分ぐらいある。二百キロぐらいは走るだろう。三時間ぐらい、ここから遠くに行けるだろう。暗い中、街灯の漏れた光で、あちこちから立ち上る温泉の蒸気が見える。その白い蒸気があちこちで渦を巻き、広がり、消えていく。あの白煙に捕まるわけにはいかない。ウインカーレバーを右へ、緑の光へ飛び込んでいく。輝かしいゲートをくぐる。大分方面、福岡方面と道が分かれている。愛菜は一瞬考え、福岡方面にハンドルを切った。暗い車内、後ろの席がポッカリと空いている。その暗闇が大きな穴となって、引き返すように、光を吸い込む重力が増していくように、何もないところに存在感が増していく。
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