明るい 4

文字数 1,343文字

安いものばかりだった。ただ、特別なものもなかった。それに、中国人の料理には八角とかの独特な匂いがあるが、ここに並んだものは普通の中華料理店のものと変わらない匂いがしていた。醤油、油、砂糖、酢、香辛料の匂い、それと生ゴミとかドブの匂いが微かにする。
「じゃあ、坦々麺と唐揚げ下さい。」
「それだけでいいか?八百七十円ちょうどね。」
瞬時に暗算の会計がおばさんの口から出た。本当にあっているのか?と思ったが、大した価格でもないので八百七十円を払う。
「ちょうどね、ありがとうね、奥にどうぞ。」
奥に小さな相席テーブルが並んだところがあって、そこにはお客がそれなりにいた。だが、観光客ばかり。女性の数人連れ、老夫婦、小さな子供を連れた家族。みんな小綺麗な格好をしていたが、シルエット、色味が神戸の住人のものではなかった。チグハグで取ってつけたようで、この中華街に似合っていた。自分だってそうだった。温めの小さな坦々麺が使い捨て容器に入って湯気も立ててなくて、唐揚げの芯は冷え切っていた。中華街だからって、本格中華を期待するのが間違いなのだろうけど、こんないい加減な料理の方が本格的なのかもしれない。

 その後、中華街を一通り歩いたが、アーケードのない通りは眩しいぐらい空が青く、赤や金の中華装飾が煌めくように輝いていた。ここにも、結局のところ、影が、闇がなかった。行き交う人は多い。その人たちは、異国っぽい雰囲気を楽しんでいたように思える。漢字表記、赤、金、中国人の変な日本語などが、珍しく思えたのかもしれないが、もしかしたら、外から来た観光客にとっては、神戸の整然とした街並みより、このだらしない通りの方が身近に感じられたのかもしれない。異国の人が住む中華街の方が、馴染みあるように感じられるというのは、不思議な気もするが、それは事実だろう。この人だかりは、観光客が街に身の置き場がないので集まってきたように思える。だけど、ここでは仕事にならない。
 仕方がないので三叉路に戻る。行列が空いていたので口直しにコロッケを買う。一個二百五十円、親指と人差し指で輪を作ったぐらいの小ささ。さっきの中華街と全く違う価値観。しかし、一口食べると衣は香ばしく、舌を焼くぐらい熱く、強烈に牛の甘みが染みていて、驚くほど美味しかった。コロッケを食べて、その凄まじさに驚いたのは初めてだ。もう一つ食べたいので再度並ぼうと思ったら、すぐに行列ができていた。それに、もう一度並んだら、店員に顔を覚えられてしまう。それは仕事に支障が出る。
 知らない街で途方に暮れるのは、よくあることだが、ここまで身の置き場がない場所も珍しく感じる。何も用がないと存在が許されないのは、どこの街も一緒だが、ここでは排除されるような窮屈さを感じる。それに、さっきから視線を感じている。誰かが見ているようだ。それはとても面倒な気がした。日本の警察というのは、怪しい部外者を見つける装置としては優秀だ。同じ景色を毎日見て、間違い探しをしているのだろう。それを躱すように練習してきたはずだけど、まだ未熟なのだろうか?それとも俺の戸惑いは隠せなかったのかもしれない。ここで足早に逃げると、この街に相応しくない人物ということを追跡者にアピールすることになる。
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