チェンジ7

文字数 1,241文字

 「でも、愛菜のは良うねえっちゃ。」
 「男は良うて、女はダメは古いちゃ。それに男親んわしが騒がんのに、女親んお前が騒ぐんもおかしい。もう、時代は変わったんやけん。」
 新しいことは正義であると言わんばかりに、和也は時代に合わせて意識改革された自分を誇るように言い切る。陽子は、もしかして、自分は古い人間なのかと疑ったが、不快なものは不快に違いないし、それを変える必要もないと考えてしまう。
 二人は一緒に遅くまで、アテ無く、ゆっくりとビールを飲んだ。

 愛菜は車を停めて、薄暗い狭い路地を歩いていた。いつから営業しているかわからない古い居酒屋、建物は古いが、改装して無機質な感じの創作バー、うどん屋など、どこも客入りは良くないが、潰れるほど酷くはない。その小さな暗めの通りには、作業服姿の三人組、スーツ姿の二人組、白人夫婦、女二人連れの観光客などがいた。一人で歩いているのは自分ぐらいだった。昔から温泉目当ての観光客が多い別府では、一人で歩いていても、咎めるような視線はない。誰かがいつも、この街の湯に浸かりにくるし、あちこちから噴き出る湯煙が、人の輪郭を朧げにして、誰も人の顔を記憶しようとしない。たまに別府の街から出て、戻ってくると、温泉の硫黄による、おならのような匂いに気が付く。住んでいると全く気がつかないが、街から少し離れて、戻ってくると、必ずその匂いが、一瞬だけ気になる。もしかしたら、硫黄の匂いが記憶のシナプスを器用に捻じ曲げているのかも知れない。愛菜自身も、人の顔を覚えるのが不得意だ。何度か通っているお客が、愛菜が自分を覚えているのを期待して「ありがとう、また来てくれて。」という言葉を待っているのに「はじめましてエリナです。」と言ってしまう。おじさんたちの明らかな失望の顔を見てしまうことになる。おじさんたちは「まあ、こいつらも商売だからな。」と愛菜に対して蔑みの感情を抱かせることになる。勝手に期待して、勝手に失望されているのを愛菜は気がついている。でも、覚えてないんだから仕方がない。それに、覚えていたからと言って、何か良いことがある訳でもない。
 薄暗い通り慣れた街、でも、通りにある店の名前は知らない。入ったこともない。入ろうとも思わない。愛菜は一度でも、その薄汚れた扉を開けてみればよかったと思った。自分が住んでる街なのに、全然知らないことばかりだと改めて思った。狭いアーケードを抜け、信号を渡り、地元民なら格安で入れる古い銭湯のような温泉を過ぎると、ネオンが地味な店舗がいくつか現れる。人通りはほとんどない。ウォーターリップの裏は真っ暗で、暗号を入れるドアを開けて中に入る。
 「おつかれ、あれ、今日は休みだったよね。」
 ゴミ袋を片付けている店長がちょうどいた。愛菜はそのタイミングの良さに感謝した。奥に通されて、面接の時に座ったソファーには二度と座りたいと思ってなかったからだ。
 「店長、私、風俗やめます。」
 「そう、わかった。いいよ。私物ってあったっけ?」
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