チェンジ4

文字数 1,347文字

 「あはははははは、マジか!あはははは!」
 父、和也が、既存のすべてを薙ぎ倒すような大笑いを破裂させた。閃光、爆発、爆風のエネルギーが尽きることなく和也から繰り返し起こっている。本当に楽しそうに腹を抱えて笑っている。テーブルの上のコップに入ったビールの泡がゆっくりと登って、時間は確実に経過していたが、和也は笑いのループに入り込み、当分出れそうになかった。その様子を見て信じられないといった驚愕の表情をした陽子は、姉弟で風俗店でかち合うという悲劇に、その情けなさ、汚れ具合に、惨めさに、泣くことしかできなかった。
 「こ、こげな事って無えわ!わああああーああああああ!」
 父は戦争が終わったかのように笑い、母は戦争が始まったかのように泣いた。どちらにしろ両親の反応が激しく、愛菜は、自分が言った事が何を起こしたかの理解が追いついてなかったが、自分は当然、犯罪者でもなければ、その予備軍でもない。アルバイトをしただけだ。そこに頭の悪い弟がやってきて、事もあろうに、その秘め事を親に言ってしまったことが悪いに決まっている。黙っておけば、何事もなく時間が過ぎていたのに違いないのに、表に出すことで、悲劇に変えてしまった。お父さんは、正気でいられないのか、狂ったように笑っている。お母さんが泣いているのは、どうせ世間体とかだろうけど、でも、要らぬ心配をかけてしまった事に違いない。だからと言って、私が謝る必要があるだろうか?なんて謝る?「セックスしてお金稼いでごめんなさい。」そんな謝罪はしたくない。私は、いろんな男とセックスしたいし、お金も欲しかった。愛菜は、泣き笑いの両親目の前にして、顔を顰めていた。一方、龍一は、泣き続ける母親の横で、動けないでいた。目の前で父親が笑っている。その笑いはテレビで残酷な罰ゲームを受ける芸人に対するような笑いであり、その父の残酷な笑いの対象になったことが、ずいぶんと惨めに感じられた。母親の涙は、自分と姉に向けられた涙ではなく、陽子自身に対してものものに思えた。一見、それは「育て方を間違った」とかの自分が産んで育てたものの惨めな結果に対する理由に見えるが、違う。あれは、世間体に対する涙だ。普通の家族でいることが、平穏でいることが正しい。そこからはみ出てしまったことに対する涙だ。龍一は、そういった解釈をして、母の涙に感傷的にならなかった。面倒だとしか思わなかったし、その原因を、要らぬことを言ってしまったことを、今更ながら後悔した。
 ただ、兄弟二人ともが、両親に怒られると思っていたが、父は底抜けに笑い、母が沼のように泣いていて、怒られる、叱られるがなかった。愛菜も龍一も、その点では肩透かしを食らったように、物足りなささえ感じていた。
 笑いが徐々に収まり、涙も枯れてきた。音が減ると、時計の針が刻む一秒が耳に入ってくる。現実に戻る時だ。陽子は立ち上がり、キッチンへ入っていった。和也は、泡がへったコップのビールを飲み干して、新しい缶を取りに行く。座ったままの龍一が顔を上げて姉を見る。何か言おうとしたが、特に何も思い浮かばず、仕方なく「姉ちゃん、ごめん」とだけ小さな声で言った。愛菜も小さな声で、生まれてからこの家で何万回も龍一に言ってきた「バーカ」を返した。
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