チェンジ8

文字数 1,338文字

 「えっ、引き留め無しですか?」
 「そりゃ、指名ナンバーワンがいなくなると正直困るけど、仕方ないよ。こんなの続けてたら、後が大変だし、そこまで面倒見きれん。」
 愛菜は何か言い返そうとしたが、店長が言う事ももっともだったので、何も言葉が浮かばなかった。しばらく沈黙が続いたが、何か区切りをつけなくてはと店長が口を開く
 「美人ってさ、案外損だからね。まわりの女からの妬みとか、大勢の男から変な期待や注目を浴びて、何やっても誰かに見られて、結局は批判の的になる。注目されるって、息苦しいからねえ。そんな損する美人が、取り戻そうと、いや、追い込まれるように、こんなとこくるんだよ。だからさ、お前がいなくなっても、誰か来るよ。温泉と同じで湧き出て、器を満たすんだ。で、そのうち溢れて、誰かが出ていく。その繰り返し。何も、特別な事じゃない。ここでは普通の事だから気にするな。ついでに要らん事教えとくけど、弟さん、また来てたよ。アリサにハマってるようだ。」
 ここで店長が笑う。愛菜もつられて笑う。龍一、熟女好きなんだ。あいつ、ウケる。
 「笑うと、やっぱり美人は光るなあ。そりゃ、そんなに光ると、馬鹿な虫が寄ってくるよ。でも、都会に行けば人が多いから美人も増えるし、そんなに目立たなくなるよ。大きな街は人を隠してくれる仕組みがあるんだ。なにやっても誰も見ないし、忘れるし。」
 愛菜は着替えやらドライヤー等の私物を持って店を出た。この辺りは風俗店が集まるが、どこも条例でネオンは抑えめ、だから、この界隈は暗いのだ。真っ暗闇に、紫、ピンク、黄色のネオンがぼんやりと浮かび、足元は底のない暗闇。所属した場所から逃げるように去る。もう、二度と来ることがないだろうと思うと、寂しくも感じる。振り返ることなく、足元が見えるアーケードに歩きながら、店長が言っていた言葉を思い出す。「美人は損」確かにそうだ。女からはモテるからって嫉妬され、一見明るいが、実は凍るような扱いを受けていた。何か他所から来た苦手なもののような扱い。逆に、男からは特別なもの扱い。知らない人からずっと見ていたとか言われて、そんな一方通行な熱視線は、正直、気持ち悪い。正直なところ、色々な男とは付き合ったが、好き合ったことはなかった。相手はその気で燃えていたが、自分は妥協して燻っていた。
 隠れ家のつもりの店では公開された周りからの期待とか、視線圧力からの妥協なんて無くて、ただ、皮膚の摩擦の気持ちよさをスポーツのように消費して、それに伴い大金が手に入っていた。自分としてはプロ競技者みたいなもんだと思っていたが、世間的には、たぶん、違う。
 駐車場にたどり着き、軽自動車に乗り込む。一呼吸して、鍵を回す。エンジンがかかると、どこかに行かなくてはと言う気分になる。こんな時間だから、家に帰るしか選択肢はない。さっきまでの街の空気は、車の中に入ると遮断され、ゆっくり進むと、自分が歩いていた場所が違う所のように見える。音がないのと、空気が流れないから、全く違うのだ。同じ場所なのに、環境が変わると、全く意味が変わってくる。当たり前だけど、気がつかないこと。アクセルを踏み込むと前の方から籠ったエンジン音が響く。街灯が過ぎ去る速度が上がる。
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