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耀子は数十秒、肩を震わせていたが、体を起こし、皆に向かってニッコリと微笑んだ。そして、自分の兄に向かって、些細な悪戯を許して貰うかの様に軽く謝罪を入れた。
「済まないテツ……。お前だけは、何とかしたかったのだが……」
「そんな事だろうと思った……。お前がそんな簡単に、次の作戦を思いつく訳ないと思っていたんだ」
「どう云うこと、純一?」
美菜隊員が、純一少年に彼の言葉の意図を尋ねる。
「こいつは、『狐の抜け穴』という瞬間移動が、2体目には使えないことを知って、こう考えたんだ。『それが使えないのなら、自分が逃げなければ良いだけだ……』って。本当、単純な奴だ」
「でも、そんなことしたら、いくら耀子さんだって……。彼女、自分の世界に、ご家族がいるんでしょう? ご両親だって待ってらっしゃるのよ……」
それには耀子が答えた。
「トッポイ女が、旦那と子供をほっぽらかして、どっかで行方不明になるだけ……。
悔いの無い、完璧な人生とまでは言いはしないけど……、私は大学まで行かせて貰ったし、結婚して子供も得られた。子供を育てるのは大変だったけど、それはそれで、楽しかったのだと思う……。
父や母と出会って、悪魔時代には考えられない程、色々なことをさせて貰った……。
息子の修一は、きっと、うちの旦那が普通の人間として育ててくれる。変な母親がいるより、よっぽど安心……。だから……、私のことなどは、もう、どうでも良い……」
耀子は純一少年の方に向き直る。
「そんなことよりテツ、お前だ。お前は、これから、人間として家庭を持って……」
「ああ、仕方ないな……」
「純一君、どう云うことだ!」
沼部隊員が怒った様に、純一少年の胸倉を掴み、彼の言葉の真意を問い質す。
「さっきはべヘモットが2体いました。『狐の抜け穴』で僕が助かって耀子が死ぬ……。ま、先に脱出した僕が、耀子を助けに行けば耀子は死なないんですけどね……」
耀子がそれに口を挟む。
「駄目だな……。落下していく私の居場所は固定されていない。『狐の抜け穴』は行き先が決まっていないと開くことは出来ないのだ。大体の位置に移動して置いて、お前が飛行して私に近づくにしても、その前に私は燃え尽きてしまうだろう……」
「そうだとしても、何とか助ける方法を考え出したさ……」
純一少年は、沼部隊員への説明に戻る。
「まあ、それで、2体は何とか倒せるんですけどね、でも今は、全部で3体になってしまいました……。この遣り方では、足りないんですよ……。助かろうと思うには……」
耀子は、純一少年の婚約者である美菜隊員に向かって声を掛ける。
「美菜さん、ご免なさい。折角
それに悲しまないでください。私たち2人は、完全に滅ぶ訳じゃないんです。ベヘモットが燃え尽きる時の熱で、充分に転生するエネルギーを得ることが出来ます。だから、ただ、生まれ変わるだけ……」
沼部隊員は納得いかない様で、純一少年の胸倉を掴んだまま怒りをぶつけた。
「そんなこと許されると思うな! ここは俺たちの世界だ! お前たちが、命を賭ける必要なんか無いだろう? そんな作戦、俺が許さん!!」
純一少年は、自分の首にかかった沼部隊員の手をパッシっと払い除けた。
「僕はまだ、この世界の住人として認められていないのですね……。でもね、沼部隊員。他に作戦があるんですか? 代替案も出さないで、感情に任せて反対なんかしては欲しくないですね! 僕は、美菜隊員たちが住んでいるこの世界を、どうしても守りたい……。例え、命を失ったとしてもです。
それに、僕も耀子も、自殺する訳じゃないですよ……。ギリギリまで足掻きます。それが、生き物の生命を食べて生きている、生物の義務だからです。分かったら、黙っていてください」
「純一君……」
「分かっています……。沼部隊員は、僕たちのことを心配してくれてるんですよね。でも、今のところ、他に良い作戦が思い浮かばないんです……」
そして、今度は美菜隊員の方へ向かって純一少年は言葉を掛ける。
「美菜隊員、済みません。またこんなことになっちゃいました……。婚約者に先立たれるのって、美菜隊員は今回で2度目ですね」
「2度目は余計よ。でも、純一は前に大気圏外から脱出したじゃない? 今回も悪魔の能力を使って脱出できないの? 例えば、別の時空に逃げるとか……」
「それは恐らく無理ですね。こいつは簡単に言ってますが、あの巨体を持ち上げるのに、僕の全生気を消費しても可能かどうか……。
ま、時空の裂け目を創る余力は、もう無いでしょうね。仮に、別の時空に逃れたとしても、上空の座標から移動をしなければ意味がありません。別の時空の上空に出てしまいますから……。
ですが、時空の狭間内での移動は、非常に生気を消費するんですよ。ベヘモットを持ち上げた後では、狭間の途中で生気不足のミイラになるのが落ちですね……。
他の方法を取るにしても、矢張り全力で能力を駆使しないと無理で、とてもじゃないけど、生気の補給なしには不可能なのです」
「あたしが一緒に行くことは出来ないの?」
「無理です!」
純一少年は、もう何も言うなとばかりに、ぴしゃりと言い切った。
「そうか……。そうなのね。それじゃ、じゃ仕方ないわね……。純一の、武運長久を祈っているわ」
美菜隊員は溜息をついてから、口元に少し笑みを浮かべてそう答えた。
「ガルラかエアレイを、怪獣の背中に置いておくなんてどうだ? 奴の背中は東京ドーム程の広さがある。それに、殆ど動かないあの大人しさだ、出来ないことはあるまい。そして、落下と同時にガルラに搭乗し脱出する。何なら、我々がそれぞれの機内で待機していてもいい」
蒲田隊長が作戦の修正案を出す。しかし、それは純一少年に却下された。
「恐らくそれも無理でしょう。ベヘモットがあの姿勢のまま、回転もせずに上昇していく保証はないですし、成層圏か中間圏の真っ只中でハッチを開いて人間を回収するなんて、ガルラに特別な機構でも装備してない限り不可能ですよ」
「そうか……。純一君、だが君は『最後まで足掻く』と言ったよね……。だったら、せめて、宇宙服は着ていってくれたまえ。そして、出来ることなら……」
そんな興奮状態にあった全員に対し、下丸子隊員が冷静に反対意見を出した。
「待ってください……。純一君たちの作戦には、見過ごせないリスクがあります」