早打ちの男(1)
文字数 1,670文字
しかし、非番の一人の隊員によって、彼の今日は、いつもと違った特別な一日になるのである。
「お~い、純一。暇だろ? 俺とどっかに出かけようぜ!」
作戦室に入って来るなり、そう大声を掛けたのは、本来ここに来る必要のない非番の鵜の木和志隊員だ。そして声を掛けた相手は勤務中の純一少年……。
これには蒲田隊長はじめ航空迎撃部隊の面々も、流石に
その固まった面々の中で、最初に口を開いたのは、純一少年の姉であり、彼の監視役の新田美菜隊員である。
「鵜の木隊員! 何を言っているの? 純一は執務中なのよ。あなたの様に休みじゃないの! 冗談なんか言わないで!!」
「良く言うぜ、お前だって勤務中に純一を連れて、直ぐ部屋に戻るじゃねぇか!」
「それとこれとは別でしょ? あたしは体調を崩した純一を……」
「固いこと言うなよ。いいじゃないか、どうせここに座っているだけだろ? ガルラにも乗らないんだから、別に俺とドライブに行ったっていいだろうが……」
次に正気に戻ったのは沼部隊員。しかし、彼は怒るのではなく大笑いを始めた。
「鵜の木? お前何考えているんだ? 非常識にも程があるぞ……。でも、それもいいかもな。純一君もたまには息抜き出来るしな。隊長、いいんじゃないんですか?」
隊長の蒲田もそれを面白がる。
確かに、純一少年は形式上の隊員で、全く働いていないのだ。ならば、いてもいなくても同じじゃないか……。それに、そんな隊員を押し付けられた不満も蒲田にはある。真面目に管理しようとは、彼も実は全く思ってはいない。
「いいだろう。鵜の木、純一君を頼む。新田純一。本日、特別休暇を与える。まぁ、のんびりして来たまえ……」
「いいな~、純一君……。あたしも一緒に休みたいな~」
「もう、矢口隊員まで……。隊長、そんなの、いくら何でも無責任過ぎます!」
純一の姉であり、実は父の新田参謀から、危険な大悪魔である純一少年の、一挙手一投足の監視を命じられている美菜隊員としては、彼を一人で行かす訳には、本来、行かない筈だった……。だが……。
「おっかねぇ、お姉ちゃん。たまには弟を開放してやれよ……」
そう沼部隊員にまで言われてしまうと、美菜隊員も「知らないわよ」と言う気になって来る。それに、偶には自分も息抜きがしたくなって来た。
それでも、純一少年には一応、釘を刺して置くのだが……。
「純一、大人しくしているのよ。分かっているわね?」
「大丈夫ですよ。安心してください……。僕はこれでも常識人ですから」
純一少年のその答えに、美菜隊員は「誰がよ」と思ったが、流石に皆の前では口にしなかった。
純一少年は、鵜の木隊員の車の助手席に乗り込むと、直ぐ様シートベルトを締めた。鵜の木隊員はそれを確認すると、鼻歌を歌いながら彼に行先の希望を尋ねる。
「純一は何処に行きたい?」
「そうですね……、じゃ、奥日光戦場ヶ原」
「そいつは、今から日帰りじゃ厳しいな」
「じゃぁ、宮城県の鬼首温泉」
「だから遠いって……」
「じゃ、福岡の大宰府天満宮」
「お前、なめとんのか?!」
「車だと遠いんですね……。全部、思い出の場所なんですけど」
「そうか、思い出の場所か……。温泉でいいのなら、箱根でどうだ? 箱根七湯めぐりってのも悪くないぜ、湯本で車を置いて、大涌谷まで出るってのはどうだ? 芦ノ湖で海賊船に乗るってのも有りかもな……」
純一少年は「うん」と頷いた。箱根温泉と似たような名前の温泉に、二回ばかり縫絵さんと一泊旅行をしたことがある。確かに箱根も悪くない。
「芸者とか上げて遊べますか?」
「おいおい、AIDSの安月給で芸者は無理だぜ。せいぜい日帰り入湯だな。じゃ、箱根で決まり。ここからだと厚木ICから小田原厚木道路かな? よーし、出発!」
純一少年を乗せた鵜の木隊員の車は、原当麻基地の門を出ると、元気よく相模川を越え、箱根を目指すべく、厚木方面へと南下して行った。