止まっていた時計(4)

文字数 2,700文字

 純一少年……、いや、要鉄男とその妹、耀子が、時空の狭間の闇から浮び上がって来たのは、彼ら兄妹にとって、思い入れと馴染みのあまりに深い場所……。そこへなら、時空の移動が苦手な二人でも、いつだって戻ることが出来る……。

 そこに明かりなど点いていなくとも、机、椅子、ベッド、何が何処にあるかまで、二人には手に取る様に分かっていた。
 そう、彼らの両親は、その部屋をずっとそのまま、掃除をするだけで、一切いじることをしなかった。自分たちの大事な息子、鉄男の帰る場所として……。

 耀子と鉄男はそこで靴を脱いで、急ぎ部屋を飛び出し、玄関へと走っていく。
「もう! 耀子!! 家の中では走らないでって言ってるでしょう! あら鉄男? 今日はゆっくりしていられるの?」
 耀子と鉄男の姿を見止めた母の照子が、急ぐ二人に台所から声を掛けた。
「ご免、ママ! 今日はちょっと用事があって、急いでいるんだ……」
「そう、残念ね。今度来る時は、もっとゆっくりしていきなさいね」
「うん」
 そう母に返すと、鉄男は急いで玄関から家の外へと飛び出して行く……。

 しかし、そこに待っていたのは、狐正信こと紺野正信ではなく、昔と変わらない姿のピンクのダウンジャケットの少女だった。

 要鉄男は声が出ない。相手の少女も話を始めることが出来ない……。
 その為か、口を先ず開いたのは、少女の高校の同級生にして、過去、幾度も一緒に闘った戦友、藤沢耀子だった。
沼藺(ぬい)? 沼藺(ぬい)なの?」
 そう言うと、耀子は近づいて行って、彼女の両手を自分の両手で包み、泣き笑いの様な表情でぴょんぴょんと跳ねだした。
「耀子ちゃん、お久しぶり……。大刀自様が正信だけではなく、私も行った方が良いとの仰せなの。宜しくね」
「うん、久しぶり! 沼藺(ぬい)は昔と全然変わらないね!!」
「耀子ちゃんも、ずっと昔のまま……。こうして、直接会うのは、何十年振りかしらね。でも……、ずっと、耀子ちゃんのことは陰で見てたわ……。知ってたでしょう?」
「フフフ……」

 鉄男もやっと口を開く。
沼藺(ぬい)……」
「要君……。あれ以来ね……。ご結婚……おめでとう」
 沼藺(ぬい)(かつ)ての婚約者、要鉄男にそう言って小さく微笑んだ。それを見た耀子は、自らの握っていた彼女の手を離し、まず二人だけで会話をさせようと数歩後ろに下がる。

 鉄男は沼藺(ぬい)を正視した。
 彼の脳裏に沼藺(ぬい)との思い出が蘇る。彼の記憶する沼藺(ぬい)は、常に幸せそうに笑う少女だった。そして、彼といることが幸福だと、鉄男に言い続けていた少女だった。
 だが、鉄男の心には、別の女性の面影が何時も残されていた。そして、それを知った少女は彼の元を去った……。
 鉄男が、この時空から旅に出たのは、その翌日である……。

沼藺(ぬい)……。済まない。あの頃の僕は、幼かった。それに……」
「ところで、それ……、向うで流行っているの? そのメーク……」
 どうやら、耀子の落書きのことを言っているらしい。鉄男は再び『耀子の奴!』と思わずにはいられない。

「いや、そう云う訳じゃないんだが……、色々とあって……」
「そうなんだ……。ところで、要君が謝ることなんかないよ。私だって……。
 でも、改めて言わせてね、『おめでとう』って。そして『ありがとう』って」
「ありがとう?」
「ええ。私の時計は、あの時からずっと止まっているの。でも、要君が新しい生き方を選んでくれたお蔭で、私の時計もやっと時を刻むことが出来る様になる……。
 私の止まっていた時計は、今、再び動き始めるわ……。私は新しい生き方を始めることが、これで、ようやく出来る様になるのよ」
沼藺(ぬい)の時計……」
「でも、奥様が出来ても、私は要君のファンだよ。何時だって。そして、永遠に……。
 始めて会った時、懐に入れて守ってくれたこと。お饅頭を半分に分けて食べたこと。それは、今でも、大切な思い出として私の心に残っている……。
 あ、ご免、急ぐんだったよね……。じゃ、憑依ってのお願いするわ……」

 それを聞いて、二人から数歩下がっていた耀子が再び前に出る。
沼藺(ぬい)の体を、流石に変態兄貴に自由にさせる訳には行かないわ……。沼藺(ぬい)には私が憑依する」
「お前にだけは、変態呼ばわりされたくないな! ま、だけど頼むぞ」
「ならば、鉄男君には、私の体を使って貰いましょうかね……」
 耀子の後ろから、もう一人の男が現れる。勿論、鉄男も耀子も、その男がいることは最初から知っていた。そして、それが誰であるかも当然分かっている。
「君たち子供だけで行かす訳には行かないでしょう? 見た目だけ大人の子供もいますけどね……。そういう訳で、夫々(それぞれ)が元の身体を担いで行ってください」
「正信!」
「ほら、急ぎますよ。鉄男君、耀子ちゃん」
 少し小柄の痩せた中年男が、馴染みの二人に声を掛けた。そして、この少し抜けた顔の小父さんは、玄関の明かりに、その姿を曝すのだった。

 沼藺(ぬい)はふいに口に手を当てて、思い出したことを話し出す。
「あ、忘れていた。その前に、耀子ちゃんに大刀自様から伝言があるの……」
「政木様から?」
「うん……」
 沼藺(ぬい)は政木狐の口真似をして、耀子に伝言を伝える。
「こう考えてはどうですか? この闘いは、神があなたがたを憎んで拒絶しているのではなく、あなた方を認め、悪魔のあなた方に救いを与える為だと……。あなた方二人に、人と共に生きていく為の許可試験を課しているのだとね……」
「許可試験?」
「ええ、先を続けるね」
 そう言ってから、沼藺(ぬい)はまた政木狐の口真似を始めた。
「あなた方二人が人間に化けて、魔力を隠して生活していても、いつか、その力を隠せなくなる時が来ます。あなた方の愛するものを守るために……。
 それが分かると、いくらあなた方が、それまで人間として暮らしていても、人間は、あなた方とその力を恐れ、あなた方を拒絶することになるでしょう……」
「そうね。でも、その日が来るまでの間だけでも、私たちは……」
「でもね、もし、あなた方が、その力を隠さず、最初からその力で人間と共に必死に闘ったらどうでしょう? 一緒に闘うって不思議なものですよ。それが出来れば、あなた方は人間にならなくても、きっと人間の仲間になれる筈です。そして、あなた方自身、それから先は、遠慮なく仲間の為にその力の全てを使うことが出来ます。
 それを試す機会が、恐らく、この神の使いとの闘いの意味なのですよ……」
 ここで沼藺(ぬい)はニッコリ笑って、「ですって……」と付け加えた。
「そうね……。そうだと良いわね。でも、私の仲間は、ここにもいるわ」

 そう……。ここに、かつての妖怪退治の仲間、紺野正信、要鉄男、要耀子、白瀬沼藺(ぬい)の四人が再結集した。
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登場人物紹介

新田純一(要鉄男)


時空を放浪している大悪魔。偶然、訪れたこの時空で、対侵略的異星人防衛システムの一員として、異星人や襲来してくる大悪魔から仲間を護り続けていく。

新田美菜(多摩川美菜)


対侵略的異星人防衛システム、原当麻基地航空迎撃部隊に所属するエリート女性隊員。養父である新田武蔵作戦参謀の命に依り、新田純一の監視役兼生け贄として、彼と生活を共にする。

蒲田禄郎


対侵略的異星人防衛システム、原当麻基地航空迎撃部隊隊長。本人は優柔不断な性格で隊長失格と思っているが、その実、部下からの信頼は意外と厚い。

沼部大吾


対侵略的異星人防衛システム、原当麻基地航空迎撃部隊に所属する古参隊員。原当麻支部屈指の腕力の持主。

鵜の木和志


対侵略的異星人防衛システム、原当麻基地航空迎撃部隊に所属する隊員。非常識な言動で周りを驚かせることもあるが、銃の腕と熱い心には皆も一目置いている。

下丸子健二


対侵略的異星人防衛システム、原当麻基地航空迎撃部隊に所属する隊員。原当麻基地でも屈指の理論派。

矢口ナナ


対侵略的異星人防衛システム、原当麻基地航空迎撃部隊に所属する入隊一年目の若手女性隊員。明るく誰とでも仲良くなれる性格。

新田武蔵


対侵略的異星人防衛システム作戦参謀、新田美菜の義父であり、要鉄男を息子の純一と偽って、原当麻基地航空迎撃部隊に配属させる。

要曜子


高幡不動町にある六天磨央小学校に通う小学生。

小山、武隈、君島刑事


警視庁捜査一課の刑事さんたち。

要照子


要曜子ちゃんのお母さん。

藤沢耀子


新田純一と同じ悪魔能力を持つ彼の妹。但し『十の思い出』の習得はまだ出来ていない。

白瀬沼藺(霊狐シラヌイ)


『紫陽花灯籠』などの妖狐の力と『雷霆』などの雷獣の力を使う妖狐界のプリンセス。鉄男や耀子の高校時代のクラスメートであり、(ひとり合点ではあったが)鉄男の婚約者でもあった。一説には、要鉄男が失踪したのは、彼女が鉄男に愛想を尽かし、実家に帰ってしまったのが原因だと言われている。

紺野正信(狐正信)


妖怪内の自警組織『ラクトバチルス』の元多摩支部長にして、剣技と『変化』の術を得意とする妖狐。耀子と鉄男を監視する為、菅原縫絵と2人、彼らの実家の隣に引っ越し住んでいた。因みに、本人も忘れているだろうが、彼の姿は及川雅史と云う青年の姿を模したものである。

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