止まっていた時計(2)
文字数 2,706文字
純一少年には、ベヘモットがなぜ出現したのか、何を求めているのか、全く理解することが出来ない。
他のベヘモットが死んで自分が起こされたのか、そうで無いのか? 怪獣は、自分では全く意識していない様だった。ただ、何となく目覚めて、地上に出て来て、何となく餌を食んでいただけだった気がする。
だが、何とか、彼を眠らせる物質がトリウム232と云うことだけは分かった……。
トリウム232ならば、地中に豊富に含まれている。ならば、ある程度の時間、地中に居さえすれば、彼は長い眠りに就くことが出来るだろう。
ベヘモットになった純一少年は、地中にどんどん潜って行った。なぜそうするのか、彼にも分からなくなっていた。ただ、そうする為に、こうなったのだと云う記憶がある。
だが、こうなったと言うことが、どんなことだったか、彼にも、もう良く分からない。
彼は思った……。
「それにしても、ここは暑い。何故ここはこんなに暑いのだろう? そう言えば、何か背中にいた様な気がしたが、そいつは大丈夫なのだろうか? いや、自分が背中にくっついている生き物を心配する必要はない。そいつが焼け死のうと、途中で落っこちようと自分には関係ない。自分は下へと潜っていくだけだ。何の為? 忘れた……」
暫く潜って、再び彼は考える……。
「もう随分潜った。だいぶ涼しくなった。少しずれたのだろう。何に? 恐らく熱い何かの傍から……。涼しくなってくると、段々と眠たくなってきた……。そりゃそうだ、随分と掘って疲れたもの……」
一方、耀子の方は、死体となった兄と、添い寝する形で、狭いカプセルの中に横たわっていた。それも、もう、かれこれ3時間以上が経過している。
耀子は、死体の鉄男と会話をするしかすることがない。最初、それを我慢していたのだが、もう、その限界も越えて、一人で会話を始めていた。
「テツ、お前とは本当に長い付き合いだが、こんなに長い時間、こうも密着していることなんか一度も無かったな……」
耀子は青白くなった鉄男の顔を、懐かしそうに眺めている。
「お前は美菜さんに、私たちが血の繋がっていない兄妹だと云うことを、まだ説明していないのだろう? そうでなければ、こんな形で私たちを行かせる訳がないものな……。
うん。こうしていても退屈だ、もう我慢ならない……。お互い封印され、世界から消えていく身だ……。愛する妹のすることだと思って、許せ……。ご免ね、美菜さん……」
そして……30分後。
耀子はカプセルから這い出し、地面とベヘモットの体の間の狭い隙間を掘り進み、ベヘモットの額と思われる場所に到達、鉄男の琰をその額に当てがった。これで、彼女の兄は、ベヘモットの身体を離れ、再び元の肉体に戻るだろう。
耀子が今通った通路を辿って、カプセルに戻ってみると、その中には二人の男が、お互いに鬱陶しそうな表情をしながら並んで横たわっている。作戦は上手くいった様だ。
そして、その片方、気障な顔をした方が、耀子を見つけて彼女に話し掛けてくる。
「耀子さん、早くしてください。ここは窮屈でいけない……。月面や宇宙空間よりはましですけど……。
それにしても、どうして、あなたたち兄妹は、何時も何時も、こういう馬鹿げたことを考えるのです? 行先はAIDSのベレン基地の滑走路でしたっけ……。
ほら、『狐の抜け穴』はカプセルの中に作りました……。直ぐに消えますよ。私は先に行きますから。遅れないでくださいね……」
気障男、即ち尾崎真久良はそう言うと、寝返りを打つ様に空間の裂け目へと消えて行った。次にその隣の男、つまり彼女の兄、鉄男も黙って横に転がる様に、素早く裂け目を抜けている。耀子もカプセルに潜り込むと、彼らに続き、頭からその空間に出来た穴へと入って行った。
穴から出ると、そこは夜の飛行場だった。
彼に背を向け、蒲田隊長に連絡をしようとする鉄男と、その脇の耀子に、真久良は後ろから声を掛ける。
「待ってください、耀子さん」
耀子が振り返りもせず、それに答えた。
「いつまでも帰って来なかった謝罪を、ここでしようと云うのか? お前には、もう何も言うことはない。私は見ての通りの小母さんだ。再婚もして、既に子供もいる……」
「そんな、くだらない事を、態々言う気はありませんよ……」
「くだらない? くだらない……だと?!」
真久良の方に振り返った耀子の眉間には、一本の太い縦皺が寄っていた。だが、真久良は、そんな耀子の怒りの表情を全く無視して話を続ける。
「『ま、くだらない事を言う気はない』と言ったのですがね。矢張り、流石にこれは黙っていられませんね……。耀子さん、あなた、いい加減、子供じゃないんですから、そう云うことは、もう止めた方がいいですよ。
鉄男君は、これから奥様と最後の別れの言葉を交わすかも知れないのですよ……」
鉄男は、自分たちの到着のことを伝えただけで隊長への電話を切り、彼も真久良の方へと振り向いて、二人の会話に加わった。
「僕がどうかしたのか?」
「鏡か何かで自分の顔を見てください……」
彼が自分のスマホで顔を確認すると、そこには頬に縫い傷のある、パンダになった彼の顔が写っていた。
だが、それはスマホの画像編集の結果ではない……。どうやら、彼が死んでいる間に、耀子が彼の顔にマジックで落書きをしていたものらしかった。
「耀子、お前なぁ……」
「暇だったのだ。許せ……」
鉄男の半ば呆れた様な抗議に、耀子が手を合わせて笑って謝る。そんな遣り取りは、彼にとっても、彼女にとっても、昔、良くやった懐かしいものだった。
真久良は続ける……。
「それはそうと……。あなたたちは、このままベヘモットに憑依して、自分ごと怪獣を地中に封印する心算でしょうが、私はそれに反対です。一言で言って無駄死にです。止めた方がいい」
「何だと? 無駄死にだと?
笑えるな……。お前の口からそんな台詞が出てくるとは、流石に私も思わなかったぞ」
真久良の台詞に、耀子はそう言い、皮肉を籠めた冷たい笑みを向ける。
「確かにそうですね。私も耀子さんたちと付き合う様になって、少し自分が変わった様な気がします。でも……、寧ろ、あなたたち大悪魔が、そんなに死に急ぐ方が、私にとっては、ずっと不思議なことですけどね……」
意識の変化について、尾崎真久良は妻であった耀子に、苦笑いを浮かべて、そんな言い訳をしたのであった。