──その終

文字数 1,624文字

 いくら純粋無垢な小学生でも、病院の診察室のベッドに仰向けで寝転がされて、下半身を曝け出すのは恥ずかしい。

「大丈夫、大丈夫。男の子なんだから気にしないでね」

 ちょんちょん。ちょんちょん。と消毒液を浸した綿を患部に当てながら、看護士のお姉さんがそんな事を言う。僕は他の事を考えるので忙しいというのに。

「フンドシ。しよっか」

 診断書を書き終えた医師が、机から視線を剥がして僕に振り返りそう発した。

「えっ、ふ……ふ……えっ、なんですか?」

「フンドシ。今の子たちは知らないかな。ほら、よく時代劇なんかでお侍さんが……」

「い、いや……フンドシは知っています」

 知っているからこその動揺だと気付かないダメ医師。

「なんで、フ、フンドシなんか……」

「これ、痛いでしょ」

 どんなチームワークか、そう言いながら女性看護士が消毒液を浸した綿を強めに患部に当ててくる。

「イッッ!」

 ったいに決まってる。声の代わりに目に涙が浮かんできたほどだ。

「でしょう。痛いでしょう。つまりね、きみの怪我した箇所はそれだけ重傷なわけなんだ。野放しにしてると、日常生活でさえ危険なくらいに」

 先生の言いたい事がよく解らない、と僕は涙と困惑の表情で告げた。

「固定しよう。フンドシでキュッと“ぷらんぷらん”しないように。じゃないと暫くは痛くて歩けないし、治りも遅くなるからさ」

 恐ろしい宣告だった。

「大丈夫。病院で渡すフンドシは攻撃性の無いフンドシだから。白。さすがに小学生で赤は恥ずかしいもんな」

 ははははは。

 なにを一件落着したかのように笑っているのか。医師は怪我は治せるけど、僕の涙の理由はちっとも解ってくれない。

 白フン……これで僕は姉ちゃんに一生頭が上がらないことが確定した。


 ◇◇◇


 田中工一の事を僕は「コウイチ」や「コウちゃん」と親しみを込めて呼ばない。田中。後に10年以上の付き合いとなろうとも、よそよそしく田中。

 それはこの日を境にそうなった。

 白フンでの初登校日。

 キュッと持ち上げたそれの居心地が悪すぎて、僕はすっかり忘れていたのだ。

 当時、僕の学校では男子による男子のズボン脱がしが流行していた事を……。

 スカート捲りならまだしも、何故そんな利益のないイタズラが流行ったのかは解らないが、「おはよう」、ズルッ。ゲラゲラという流れが、この頃の日常だった。

 玄関を抜け、廊下を渡り、階段を上がって、教室の前に辿り着くと、引き戸を開けた瞬間、うっかりとやられた……。 

「おっはよー」

 ズルッ……。

「えっ……」

「えっ?……」

「……」

「……」

「……」

「……」

 田中工一。

 ゲラゲラとまで発展しなかったのは、奴が真新しい“物”を見て戸惑っていたからだ。

 幸いだったのは田中工一の背が高く、しゃがんでいても僕の下半身が教室の中の皆には確認できなかったこと。

 不幸だったのは、後ろからでんちゃんがやってきたこと。

「わ、“Y”……な、なんだお前のその異常なまでに尻に食い込んだ“ブリーフ”は? いや、そ、それって、パンツなのか?」

 Tバックを越えたY(ぐいっと持ち上げている為)バック……奴の声のでかさが何よりも一番の最悪だった。

 翌日からYくん……小学校を卒業するまで僕は同級生たちにそう呼ばれ続ける事となった。


 だから僕は田中のことをよそよそしく名字で呼ぶ。

 中学にあがり誰も僕の事をYと呼ばなくなっても田中。

 もうとっくに許してるのにもかかわらず田中。

 だって今回の悲劇が僕だけのせいでは余りにも切ないから。

 鉄棒から飛ぼうとして失敗をして勝手に怪我をした僕。白いフンドシ。声のでかい奴。それよりもズボンを脱がせた奴が悪い。

 責任転嫁で自分を保護するのが人間の“らしさ”というもの。
 
 まあ……もちろん詭弁なのだが。

 ごめんな田中。

 本心ではちゃんとそう思っている。

 いずれはコウイチ。でも、僕はもう田中と呼ぶ事にしっくりときてしまっているので難易度が高いような気もするのだが……。










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