第17話 春と猫

文字数 1,596文字


 僕が彼と出会ったのは風が優しく微笑みはじめた春の休日。

 うきうきと駄々をこねる心の声が余りにもうるさいので外へ出掛けると、ふと子供の頃によく遊んだ公園まで散歩してみたくなった。

 時代の流れにより危険とみなされ随分と前に撤去された2メートルを越す鉄棒、通称“富士鉄”のあった公園まで。

 車ならおそらく10分くらいの距離だろう。徒歩だとその3倍が計算上は妥当か。だが僕の場合はそれに日頃の運動不足をプラスアルファしなければならないので、更に倍の時間を必要とした。

 公園に着くと、まずは荒く吐いた息にたっぷりと後悔の念を込めて空に投げてやった。それでも日差しは微笑みを返してくるから調子が狂ってしまうのだが。

 悠々とそびえていた富士鉄があった場所には、今は腰の低いベンチが陣取っていて、そこには先客がひとり座っていた。

 僕と目が合っても逃げるそぶりさえ見せないやけに意思の強い、クロネコ。

「隣、いいかな」

 僕はそう告げると少しだけ返事を待ってから腰を下ろすことにした。クロネコは賛同も嫌がりもせずに僕の瞳から視線を剥がさなかった。

「なんか随分と見てるね……ひょっとしてキミの縄張りだったかな? 怒っているのかい? 頭を撫でても嫌がらないかい」

 僕はそう話しかけながらクロネコの小さな頭にゆっくりと手を近付け、そのまま撫でてみた。

 クロネコは嫌がりはしなかったが、僕から視線を離すこともなかった。

「頭を撫でられる事に馴れてないのかい? こうゆう時は耳を下げて顎は上げて、次は喉を撫でてと愛想よくするものだよ」

 じゃあ、こうゆうのはどうだい。と僕は語尾にそう付け足すとクロネコの了解を得ずに強引に抱っこした。

 でも、それでもクロネコは嫌がることも声をあげることも僕の瞳から目を逸らすこともなかった。

 気味の悪い猫だとは思わなかった。風格から滲みでる意思の強さがそのまま気高さへと反映していたからだ。引き締まったスタイルもいいし、まるで鹿のように端正な顔立ちも嫉妬してしまいたくなるほどハンサムだ。

 ……。

 ……。

「うん。やっぱり男だ」

 几帳面な僕はちらりと確認してから改めてそう言い直した。


 ◇◇◇


 春の穏やかな日差しの下で、ハンサムなクロネコを膝の上に落ち着かせてうたた寝でもしてると傍目には格好よく映るかなと思い、実行しようとしたが、クロネコは調子に乗るなといわんばかりに元の位置に戻ってから座ったので深追いはやめておいた。

 なかなか読心術に長けた猫だ。まあ、この公園には僕ら以外には誰もいないからいいのだけど。

 それから幾分かの時間が経過し、少し腹の空いた僕は近くのコンビニにでも行こうと立ち上がる。

「お前も何かいるかい?」

 一応、訊いてみる。

「牛乳で良ければ奢ってあげるよ」

 僕はそう告げてからクロネコに背を向けて歩きはじめた。

 ストッ。

 その音は刹那のタイミングで聞こえた。

 そして、スタスタスタ。

 クロネコは僕の横を素通りして先頭に立った。

「まさか一緒に行くつもりかい?」

 そんなはずは無いと思いながらも尋ねてみた。やはりそんなはずは無いようでクロネコはそのまま独りで歩を進めていった。

 僕は彼を追い越して行くのもなんとなく気がひけたので、違う方向から歩を進めることにした。

 だが、スタスタスタ。遠ざかるはずの足音がむしろ近付いてくる。

 僕は思わず笑った。だって彼はまた僕の横を素通りして先頭に立ったのだから。

「やっぱり一緒に行こうって事だね」

 でも何でわざわざ僕の前なんだい? とは訊かなかった。だってただの一度も振り返ることなく歩を刻む彼の背中には、僕では受け止める事ができないような大きな誇りを背負っているようだったから。

 孤高。他者に情を抱かせる孤独とは天と地ほど違う、気高きプライド。

 「さあ、コンビニへ行こうか」

 僕の奢りでキミが先頭で。

〈次項に続く〉
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