第1話 境界線

文字数 1,427文字

 
 大人と子供の境界線ってどこだろう?


 ある日、Aくんがそう言いました。

「なあ、人はいつから大人で、いつまで子供だ?」

 それはすぐに答える事の出来る簡単な質問ではなかったので、僕はきっとAくんはふざけているのだろうと思っていたのだけど──Aくんこと田中の表情は至って真面目だった。いや、よく見るとその取って付けたような遠い目はやはり少しふざけているようでもあった。

「ごぎゅ、ごぎゅ。お前らサボってんるんじゃねー!」

 途端にそう言ってきたのはBくん。彼は少し離れた所で額に汗を浮かべてスポーツに打ち込んでいた。

「ごぎゅ、ごぎゅ。俺なんて本当は腰が痛いのに頑張ってんだぞ」

 Bくんの喉は何故かいつも声の通りが悪い。なので彼は喋る前に唾を飲み込んで滑りをよくしてから声を発するようにしている。そんな彼のあだ名は、喉仏。ボトケと呼ぶとすぐに「ごぎゅ、ごぎゅ」と返事をする。

 僕たちは現在、地元の市民体育館に来ていた。目的は日頃の運動不足を解消しようと卓球をする為であり、車でこの施設の前を通った時に中学生の頃の懐かしい記憶が不意に蘇ったからだった。

 驚いたのは2階に設置してある4つの卓球台の全てが埋まっていたこと。日曜日の正午だというのに学校指定のジャージを着た中学生が9人で占領していた。

「ごぎゅ、ごぎゅ。独占はよくない」

 と、場所を賭けて勝負を挑んだのが15分前。聞けば卓球部だという彼等の実力を随分と侮ってしまっていた。気軽な遊び感覚でやってきただけの僕たちには、勢いよく襲いかかってくるピンポン玉をラケットに当てる事すら叶わなかった。

 僕は早々に飽きていた。通路の柱に凭れながら、暇を潰す為に先程の田中の質問を思慮していた。

「ボトケのあのプライドが大人の証しなのかもな」

「……ん? なんの話だ?」

 田中は自らが繰り出してきた質問をもう忘れているようだった。こいつの遠い目なんて所詮はそんなもの。僕は「……なんでもない」と返事をすると未だに空振りを続けているボトケに視線を向けた。

「相手の中学生って、ずっと本気だよな」

 田中が言う。敵であるボトケがあんなにも下手くそなのに飽きてしまう事も手を抜く事もないのは凄い事だよな、と。

「楽しいんだろうな。今は卓球が楽しく仕方ないから敵のレベルなんて関係ないんだろうなきっと」

 中学生の溢れ落ちる汗と、その輝くばかりの楽しそうな笑顔がそう語っていた。

「ごぎゅ、ごぎゅ。ってかお前らマジで代われ。俺の腰はかなり前から限界なんだからよ。これさえなきゃ余裕で打ち返せるんだけどよ」

 正直、僕と田中はボトケの腰痛説を彼が卓球勝負を挑んだ2分後に

聞いたのだった。その悔し紛れの嘘を。

「言い訳が多くなるよな、大人って……」

 田中がそう言い、僕も「そうだな」と頷いたのだけど、それは決して大きな声ではなかった。だって僕と田中にはその資格がないのだから。ウォーミングアップと称して最初にラケットを握って以来、もう二度とそれを手にする事さえしていない僕たちには。

 飽きた……ではなく、中学生との卓球勝負を避けている臆病者。

 負けたくないから。負けない為にはこれが最良の手段だと判断したから。

 負けず勝たずの不戦敗。勝敗はどうであれ、プライドは守られる──大人のプライドは。

 そう考えると、僕と田中が1番大人げがないのかもしれない。


 大人と子供の境界線。

 子供はいつだってただ懸命に生きている。

 ズルをまだ知らないからだ。









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