別れの挨拶(4)
文字数 2,287文字
下丸子隊員は、新田参謀が部屋を出ると、替わりに、おずおずと純一少年と美菜隊員の暮らす部屋へと入ってきた。
「純一君、今日は徹夜かい? 疲れているだろうに……」
「疲れているのは全員同じでしょう? それを僕の為に、こんな夜更かしまでさせてしまって、本当に申し訳ありません」
純一少年は、隊員同士の話なら、畏まってリビングでするまでも無い……と考えていたので、下丸子隊員もベッドの方に誘おうと思っていた。
しかし、考えてみると、そこは美菜隊員の寝室でもある。だから、純一少年は彼を寝室には入れず、リビングのソファの方を勧めた。下丸子隊員は、そんなことも露知らず、黙ってソファへと腰を掛ける。
「純一君、朝のこと、覚えているかい?」
「朝のことですか……?」
厳密に言うと、純一少年のこの態度は嘘である。彼は朝、下丸子隊員が美菜隊員について言ったことを、しっかりと覚えている。
「ああ、あれは僕の本当の気持ちだ。もっとはっきり言うと、僕は新田美菜隊員が好きだし、純一君、君に嫉妬している。そして、それを僕は恥ずかしいとは思わない。もっと言うと、それは僕の新しい誇りになった。『僕は負けてしまったが、あの、世界を救ったヒーローと恋のライバルだったんだ』ってね」
「下丸子隊員……。でも、僕は……」
「だから、君にこの世界に残って欲しいんだ。今言った台詞を誇りにする為には、君に新田隊員を大切にしていて貰わないと困るんだよ。もし君が去って、彼女が傷心のまま、僕と話をすることすら許してくれなくなったら、僕は君のライバルで、君に負けたから諦めたと言えなくなってしまう。だから、僕の為にも……」
「僕は、美菜隊員のことを、下丸子隊員にお願いする心算でした……」
「そんなの駄目だよ。新田隊員は美術品じゃない。彼女の気持ちが大切なんだ。君と僕とで譲る譲らないの話をすることは出来ない」
純一少年は目を閉じて天を仰いだ。そして、こう思わずにはいられない。
(確かに下丸子隊員の言うことは正しい。そして、彼の気持ちの方が、自分なんかより遥かに純粋で、彼女のことを思っている……)
純一少年は、ひと呼吸いれて、下丸子隊員に自分の話を始めた。
「下丸子隊員、僕がこれからする話は、今晩は誰にも話さないで下さい」
「純一君、まだ僕の話は……」
「僕は明日の朝、自分の家族のいる世界に帰ろうと思っています。それは今まで、ここで話した全員にも伝えましたが、決してこの世界が嫌になったからではありません。
僕には、そこでやらなければならないことが出来たのです。それは、その世界に残した僕の恋人についてのことなのです。僕は、その為に帰らなければなりません!」
「君は『故郷に自分の恋人がいて、新田隊員など、これっぽっちも愛してなどいない』と言いたいのかい? 『あれは新田隊員の勝手な気持ちで、自分には迷惑だ』とでも言いたいのかい? 『彼女は所詮、自分の欲望の捌け口だ』と言うのかい? もし、そうだと言うのなら、僕は君を許さないよ。君に敵わなくても、僕はここで君に決闘を申し込む」
「下丸子隊員、分かってください。僕は彼女のことが好きだ。このままここで暮らしていけば、きっと彼女を愛してしまう。いや、もう愛し始めている。でも、それは許されない。僕には愛していた女性がいる。彼女を見捨てて、美菜隊員を愛することなど、僕に許されることではない」
「純一君。君はもう、ここの人間なんだ。君は、その彼女を捨てて、ここに来たのだろう? どうして今ごろになって、そんなことを言い出すのだい?」
「下丸子隊員、あなたはずーっと後悔していることってありますか? 僕にはあります。僕には、何年も何年も後悔し続けていることがあるのです。それは、僕の我儘で彼女を死なせてしまったことなのです。
あの日、彼女は僕と別れて、太宰府天満宮に旅立つ筈でした。それを、僕が無理矢理引き留め、彼女は東京に残ることになり、結局、戦争に巻き込まれ亡くなりました。
もし、僕が、彼女を引き留めさえしなければ、彼女は死ななかった筈なのです。そのため僕は、唯一ホームと呼べる世界を手に入れたのに、結局、そこからも逃げ出してしまったのです……」
「純一君……」
「僕は今日、偶然にも、あの大悪魔の能力を吸収しました。それで僕は、奴の持つ過去を塗り替える能力を手に入れたのです。今、僕は、過去を変えて、彼女を死なせないようにすることが出来るようになりました……。
美菜隊員を本当に愛している下丸子隊員なら分るでしょう?
僕は、自分の世界に戻ります!」
「それが……、君がこの世界を離れる理由だったのか……」
「分かってください、下丸子隊員!
美菜隊員にも、下丸子隊員にも、AIDSのみんなにも、本当に済まないとは思います。でも、僕はこの能力を得て、これをしない訳には行かないのです!!」
「分かったよ……。君が……。いや、僕は、もう君を兎 や角 言わないよ……。元の世界で彼女と仲良く暮らしてくれ……」
「仲良くは出来ませんよ……」
下丸子隊員は、驚いて少年の目を見る。
「だって僕は、彼女と別れる為に元の時空に戻るのですから……」
「下丸子隊員、僕は少し眠くなりました。済みませんが、ベッドで休ませて貰います。交替の時刻になったら、起こしてくださいね」
純一少年は寂しそうにそう言うと、寝室に入って行き、寝室のドアをバタンと閉めた。
その姿を目で追っていた下丸子隊員は、ソファに寄り掛かり、「僕だって、ひとつやふたつ、やり直したい過去ぐらいあるさ」と、そう独り言を口にし、そのまま、静かに目を閉じたのである。
「純一君、今日は徹夜かい? 疲れているだろうに……」
「疲れているのは全員同じでしょう? それを僕の為に、こんな夜更かしまでさせてしまって、本当に申し訳ありません」
純一少年は、隊員同士の話なら、畏まってリビングでするまでも無い……と考えていたので、下丸子隊員もベッドの方に誘おうと思っていた。
しかし、考えてみると、そこは美菜隊員の寝室でもある。だから、純一少年は彼を寝室には入れず、リビングのソファの方を勧めた。下丸子隊員は、そんなことも露知らず、黙ってソファへと腰を掛ける。
「純一君、朝のこと、覚えているかい?」
「朝のことですか……?」
厳密に言うと、純一少年のこの態度は嘘である。彼は朝、下丸子隊員が美菜隊員について言ったことを、しっかりと覚えている。
「ああ、あれは僕の本当の気持ちだ。もっとはっきり言うと、僕は新田美菜隊員が好きだし、純一君、君に嫉妬している。そして、それを僕は恥ずかしいとは思わない。もっと言うと、それは僕の新しい誇りになった。『僕は負けてしまったが、あの、世界を救ったヒーローと恋のライバルだったんだ』ってね」
「下丸子隊員……。でも、僕は……」
「だから、君にこの世界に残って欲しいんだ。今言った台詞を誇りにする為には、君に新田隊員を大切にしていて貰わないと困るんだよ。もし君が去って、彼女が傷心のまま、僕と話をすることすら許してくれなくなったら、僕は君のライバルで、君に負けたから諦めたと言えなくなってしまう。だから、僕の為にも……」
「僕は、美菜隊員のことを、下丸子隊員にお願いする心算でした……」
「そんなの駄目だよ。新田隊員は美術品じゃない。彼女の気持ちが大切なんだ。君と僕とで譲る譲らないの話をすることは出来ない」
純一少年は目を閉じて天を仰いだ。そして、こう思わずにはいられない。
(確かに下丸子隊員の言うことは正しい。そして、彼の気持ちの方が、自分なんかより遥かに純粋で、彼女のことを思っている……)
純一少年は、ひと呼吸いれて、下丸子隊員に自分の話を始めた。
「下丸子隊員、僕がこれからする話は、今晩は誰にも話さないで下さい」
「純一君、まだ僕の話は……」
「僕は明日の朝、自分の家族のいる世界に帰ろうと思っています。それは今まで、ここで話した全員にも伝えましたが、決してこの世界が嫌になったからではありません。
僕には、そこでやらなければならないことが出来たのです。それは、その世界に残した僕の恋人についてのことなのです。僕は、その為に帰らなければなりません!」
「君は『故郷に自分の恋人がいて、新田隊員など、これっぽっちも愛してなどいない』と言いたいのかい? 『あれは新田隊員の勝手な気持ちで、自分には迷惑だ』とでも言いたいのかい? 『彼女は所詮、自分の欲望の捌け口だ』と言うのかい? もし、そうだと言うのなら、僕は君を許さないよ。君に敵わなくても、僕はここで君に決闘を申し込む」
「下丸子隊員、分かってください。僕は彼女のことが好きだ。このままここで暮らしていけば、きっと彼女を愛してしまう。いや、もう愛し始めている。でも、それは許されない。僕には愛していた女性がいる。彼女を見捨てて、美菜隊員を愛することなど、僕に許されることではない」
「純一君。君はもう、ここの人間なんだ。君は、その彼女を捨てて、ここに来たのだろう? どうして今ごろになって、そんなことを言い出すのだい?」
「下丸子隊員、あなたはずーっと後悔していることってありますか? 僕にはあります。僕には、何年も何年も後悔し続けていることがあるのです。それは、僕の我儘で彼女を死なせてしまったことなのです。
あの日、彼女は僕と別れて、太宰府天満宮に旅立つ筈でした。それを、僕が無理矢理引き留め、彼女は東京に残ることになり、結局、戦争に巻き込まれ亡くなりました。
もし、僕が、彼女を引き留めさえしなければ、彼女は死ななかった筈なのです。そのため僕は、唯一ホームと呼べる世界を手に入れたのに、結局、そこからも逃げ出してしまったのです……」
「純一君……」
「僕は今日、偶然にも、あの大悪魔の能力を吸収しました。それで僕は、奴の持つ過去を塗り替える能力を手に入れたのです。今、僕は、過去を変えて、彼女を死なせないようにすることが出来るようになりました……。
美菜隊員を本当に愛している下丸子隊員なら分るでしょう?
僕は、自分の世界に戻ります!」
「それが……、君がこの世界を離れる理由だったのか……」
「分かってください、下丸子隊員!
美菜隊員にも、下丸子隊員にも、AIDSのみんなにも、本当に済まないとは思います。でも、僕はこの能力を得て、これをしない訳には行かないのです!!」
「分かったよ……。君が……。いや、僕は、もう君を
「仲良くは出来ませんよ……」
下丸子隊員は、驚いて少年の目を見る。
「だって僕は、彼女と別れる為に元の時空に戻るのですから……」
「下丸子隊員、僕は少し眠くなりました。済みませんが、ベッドで休ませて貰います。交替の時刻になったら、起こしてくださいね」
純一少年は寂しそうにそう言うと、寝室に入って行き、寝室のドアをバタンと閉めた。
その姿を目で追っていた下丸子隊員は、ソファに寄り掛かり、「僕だって、ひとつやふたつ、やり直したい過去ぐらいあるさ」と、そう独り言を口にし、そのまま、静かに目を閉じたのである。