俺だって嫌さ(1)
文字数 2,796文字
いつものように、純一少年は無言で佇んでいた。彼の周り半径数メートルには特殊な空気が淀んでいて、忙しそうに動き回る隊員の中で、そこだけは、時間が止まったままになっている。
それは、最近、普通に目にする作戦指令室の日常風景であった……。
だがある日、少し手の空いたAIDS原当麻基地、航空迎撃部隊の元最年少、矢口ナナ隊員が作戦室のタブーを破り、なんと、純一少年に向かって声を掛けたのである。
「純一君、君は変な人だね。最初、とんでもない軽率な人みたいだったけど、それから一度も軽々しい行動をとっていないよね。ずっと座ったままで、余分なことも言わないし、なんか、とっても我慢強い人みたい……」
彼女の言葉に、純一少年と美菜隊員は頬の筋肉が引き攣るのを隠せなかった。
「彼は……、純一は反省したのよ。この子なりにね……」
作業をしていた美菜隊員は、少し慌てて通信オペレータ席から振り返り、脇から矢口隊員に無理矢理言い訳じみた説明を返す。
「そう願いたいものだな。あのままだったら、この部屋にいるだけで、間違いなく組織 の障害物 だからな」
あの時、純一少年の腕を掴んで押し倒した大男、沼部大吾隊員が、自分の行為で彼が更生したとの説明を聞いて、至って満足そうに大声を出し、話に加わってきた。
美菜隊員は、純一少年がその態度に暴発するのではないかと心配し、少年の顔色を窺ったのだが、純一少年は暖簾に腕押しと言った風で、涼しい顔のまま平然としている。
「隊長、すみませんけど、僕、トイレに行きたくなっちゃった」
純一少年は突然そう言うと、蒲田隊長の許可も得ないままに立ち上がる。そしてドアの途中でケーブルに足を引っかけ、見事に転んだ。ケーブルはその弾みで外れかかる。
流石にこれは態とらし過ぎると思いはするのだが、仕方ないので美菜隊長も彼の下手な演技に付き合うことにした。
「もう、純一、何やっているのよ……。気を付けてよ。怪我しなかった? 純一は子供の頃から何時もこうなんだから……。痛かったでしょう?」
美菜隊員は通信オペレータ席から立ち上がり、過保護の母親の様に純一少年に駆け寄り彼を助け起こした。そして、彼を抱えて廊下へと少年を連れ出す。
廊下に出ると、美菜隊員は純一少年の額をツンと小突いた。
「もう突然、止めてよね」
「駄目ですよ。あのままだと、僕はガルラに乗せられてしまう。少し気を抜き過ぎました。もっと組織 の障害物 にならないと……」
美菜隊員は、もう何を言うのも止めることにした。
翌日の昼休み、美菜隊員は好みのおかずの乗った昼食のプレートを持ち、食堂の空いた席を探していた。
原当麻基地の食堂は、昭和の時代にあった様なパイプ足のテーブルが並ぶ社員食堂で、プレートに好きなおかずを自分で選んで乗せ、そこで会計を済ませるシステムだ。
美菜隊長が、2つ並んで空いている席を見付け、そこに座ろうとすると、後ろから矢口隊員が話し掛けてくる。
「新田先輩、お昼一緒にしませんか?」
「え、でも私、純一と……」
純一少年はそれを見て、美菜隊員たちに近づくのは止め、一人で食事することにした。彼にしても、これは一人になれる絶好のチャンスなのだ。
美菜隊員は、離れていく純一少年を不安そうに眺めたが、彼女の勢いに負け、仕方なく矢口隊員と食事をすることを同意させられてしまう。
「新田先輩、純一君って面白い人ですよね。子供のころは彼、どんな男の子だったんですかぁ?」
矢口隊員は席に着くと、美菜隊員に直ぐに話を始める。それも、急には答えられない質問で。
一方、純一少年も、残念ながら一人で食事と云う訳にはいかなかった。
「よう、隣いいかい?」
そう言うと、沼部隊員が純一少年の返事を待たず、プレートを置いて隣の席に座り込む。純一少年は、心中穏やかではなかったが、沼部隊員は一向に意に介さずという風情で平然と食事を始めた。
そうしているうちに、沼部隊員は見た目通り豪快に食事を流し込み、遥か先を行っていた筈の純一少年を追い抜き、大差をつけて昼食を終わらせてしまった。
「純一君と言ったよね。怖い姉ちゃんのいないところで、前から少し、君と話がしたかったんだ」
純一少年が無言で食事を続けているので、沼部隊員はそのまま話を続ける。
「君、どうして、あんなことしたんだい? あれ、態 とだよね」
純一少年は、スープを口に運ぶスプーンの動きを止め、沼部隊員の顔を少しの間見つめた。そして、意を決した様に真実を口にし始める。
「ええ、態 とですよ。姉さんは知っているけど、僕は本当はAIDSなんかに入りたくなかったんです。闘うのが嫌なんですよ。
でも、色々あって、そうも言っていられない。だから、態 と失敗してガルラとか、戦闘に参加しなくて済むようにしていたんです。
皆さんにご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ないと思っています」
「だろうと思った。作戦参謀の息子ともなると、色々あるんだろうな。だが、そう云うことなら、もう、あんなことしなくていいぜ、俺が『絶対にガルラに乗せる訳にはいかない』って頑張ってやるからさ」
沼部隊員は、正面の窓の外に広がる空を見て、独り言の様に話を続ける。
「俺だって戦いは嫌さ。俺は災害とかで困っている人たちの為、救援作業をする方がずっと好きなんだ。『ありがとう』ってみんなに言って貰えるからな。でも、今は、宇宙人の攻撃で被害を受けている人が沢山いる。そんな人たちも俺は助けたい。そして、そんな人たちが出ない様にすることは、被災者を助けることと、俺にとって別じゃないんだ」
「……」
「純一君に、殺し合いに参加しろとは言わないよ。でも、俺たちも、殺し合いが好きじゃないってことだけは君にも分かって欲しいんだ。そして、出来れば、軽蔑だけはして欲しくないな……」
「軽蔑なんてしませんよ。僕はそうして闘っている人たちを、尊敬こそすれ、軽蔑なんか絶対しません。でも、僕には……」
「ああ、分かってる。ありがとうな、正直に話してくれて」
「沼部隊員、僕は嘘は言ってないけど、全てを正直に話している訳ではありませんよ」
「そんなことはどうでもいい。こんな仕事していると正直に話したくても、言えないことも結構出てくるものさ」
「ありがとう、沼部隊員。沼部隊員って、失礼ですけど、僕の友人に似ているんです。そういう太っ腹なところも、城兼って奴にそっくりです」
「そうか。で、その友人はどうした?」
純一少年は言葉に詰まった。そして色々なことが彼の頭の中を過 ぎっていく。
「ああ、いいよ。言いたくないことは誰にもあるもんだ。じゃぁ俺は、先に作戦室に戻るわ。鵜の木の奴が腹空かせて待っているからな……。あいつ、五月蝿いから……」
沼部隊員はそう言うと、自分のプレートを持ってテーブルを離れる。そして、彼は離れ際に、後ろを向いたまま、片手をあげて純一少年に挨拶をした。
それは、最近、普通に目にする作戦指令室の日常風景であった……。
だがある日、少し手の空いたAIDS原当麻基地、航空迎撃部隊の元最年少、矢口ナナ隊員が作戦室のタブーを破り、なんと、純一少年に向かって声を掛けたのである。
「純一君、君は変な人だね。最初、とんでもない軽率な人みたいだったけど、それから一度も軽々しい行動をとっていないよね。ずっと座ったままで、余分なことも言わないし、なんか、とっても我慢強い人みたい……」
彼女の言葉に、純一少年と美菜隊員は頬の筋肉が引き攣るのを隠せなかった。
「彼は……、純一は反省したのよ。この子なりにね……」
作業をしていた美菜隊員は、少し慌てて通信オペレータ席から振り返り、脇から矢口隊員に無理矢理言い訳じみた説明を返す。
「そう願いたいものだな。あのままだったら、この部屋にいるだけで、間違いなく
あの時、純一少年の腕を掴んで押し倒した大男、沼部大吾隊員が、自分の行為で彼が更生したとの説明を聞いて、至って満足そうに大声を出し、話に加わってきた。
美菜隊員は、純一少年がその態度に暴発するのではないかと心配し、少年の顔色を窺ったのだが、純一少年は暖簾に腕押しと言った風で、涼しい顔のまま平然としている。
「隊長、すみませんけど、僕、トイレに行きたくなっちゃった」
純一少年は突然そう言うと、蒲田隊長の許可も得ないままに立ち上がる。そしてドアの途中でケーブルに足を引っかけ、見事に転んだ。ケーブルはその弾みで外れかかる。
流石にこれは態とらし過ぎると思いはするのだが、仕方ないので美菜隊長も彼の下手な演技に付き合うことにした。
「もう、純一、何やっているのよ……。気を付けてよ。怪我しなかった? 純一は子供の頃から何時もこうなんだから……。痛かったでしょう?」
美菜隊員は通信オペレータ席から立ち上がり、過保護の母親の様に純一少年に駆け寄り彼を助け起こした。そして、彼を抱えて廊下へと少年を連れ出す。
廊下に出ると、美菜隊員は純一少年の額をツンと小突いた。
「もう突然、止めてよね」
「駄目ですよ。あのままだと、僕はガルラに乗せられてしまう。少し気を抜き過ぎました。もっと
美菜隊員は、もう何を言うのも止めることにした。
翌日の昼休み、美菜隊員は好みのおかずの乗った昼食のプレートを持ち、食堂の空いた席を探していた。
原当麻基地の食堂は、昭和の時代にあった様なパイプ足のテーブルが並ぶ社員食堂で、プレートに好きなおかずを自分で選んで乗せ、そこで会計を済ませるシステムだ。
美菜隊長が、2つ並んで空いている席を見付け、そこに座ろうとすると、後ろから矢口隊員が話し掛けてくる。
「新田先輩、お昼一緒にしませんか?」
「え、でも私、純一と……」
純一少年はそれを見て、美菜隊員たちに近づくのは止め、一人で食事することにした。彼にしても、これは一人になれる絶好のチャンスなのだ。
美菜隊員は、離れていく純一少年を不安そうに眺めたが、彼女の勢いに負け、仕方なく矢口隊員と食事をすることを同意させられてしまう。
「新田先輩、純一君って面白い人ですよね。子供のころは彼、どんな男の子だったんですかぁ?」
矢口隊員は席に着くと、美菜隊員に直ぐに話を始める。それも、急には答えられない質問で。
一方、純一少年も、残念ながら一人で食事と云う訳にはいかなかった。
「よう、隣いいかい?」
そう言うと、沼部隊員が純一少年の返事を待たず、プレートを置いて隣の席に座り込む。純一少年は、心中穏やかではなかったが、沼部隊員は一向に意に介さずという風情で平然と食事を始めた。
そうしているうちに、沼部隊員は見た目通り豪快に食事を流し込み、遥か先を行っていた筈の純一少年を追い抜き、大差をつけて昼食を終わらせてしまった。
「純一君と言ったよね。怖い姉ちゃんのいないところで、前から少し、君と話がしたかったんだ」
純一少年が無言で食事を続けているので、沼部隊員はそのまま話を続ける。
「君、どうして、あんなことしたんだい? あれ、
純一少年は、スープを口に運ぶスプーンの動きを止め、沼部隊員の顔を少しの間見つめた。そして、意を決した様に真実を口にし始める。
「ええ、
でも、色々あって、そうも言っていられない。だから、
皆さんにご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ないと思っています」
「だろうと思った。作戦参謀の息子ともなると、色々あるんだろうな。だが、そう云うことなら、もう、あんなことしなくていいぜ、俺が『絶対にガルラに乗せる訳にはいかない』って頑張ってやるからさ」
沼部隊員は、正面の窓の外に広がる空を見て、独り言の様に話を続ける。
「俺だって戦いは嫌さ。俺は災害とかで困っている人たちの為、救援作業をする方がずっと好きなんだ。『ありがとう』ってみんなに言って貰えるからな。でも、今は、宇宙人の攻撃で被害を受けている人が沢山いる。そんな人たちも俺は助けたい。そして、そんな人たちが出ない様にすることは、被災者を助けることと、俺にとって別じゃないんだ」
「……」
「純一君に、殺し合いに参加しろとは言わないよ。でも、俺たちも、殺し合いが好きじゃないってことだけは君にも分かって欲しいんだ。そして、出来れば、軽蔑だけはして欲しくないな……」
「軽蔑なんてしませんよ。僕はそうして闘っている人たちを、尊敬こそすれ、軽蔑なんか絶対しません。でも、僕には……」
「ああ、分かってる。ありがとうな、正直に話してくれて」
「沼部隊員、僕は嘘は言ってないけど、全てを正直に話している訳ではありませんよ」
「そんなことはどうでもいい。こんな仕事していると正直に話したくても、言えないことも結構出てくるものさ」
「ありがとう、沼部隊員。沼部隊員って、失礼ですけど、僕の友人に似ているんです。そういう太っ腹なところも、城兼って奴にそっくりです」
「そうか。で、その友人はどうした?」
純一少年は言葉に詰まった。そして色々なことが彼の頭の中を
「ああ、いいよ。言いたくないことは誰にもあるもんだ。じゃぁ俺は、先に作戦室に戻るわ。鵜の木の奴が腹空かせて待っているからな……。あいつ、五月蝿いから……」
沼部隊員はそう言うと、自分のプレートを持ってテーブルを離れる。そして、彼は離れ際に、後ろを向いたまま、片手をあげて純一少年に挨拶をした。