1、春の午後は淡くオレンジ-7

文字数 3,254文字

 翌日は大学で全学を幾つかに分けてのガイダンスがあった。案内には郁也の理学部と佑輔の農学部の会場は同じ大講義室となっていた。ふたりが並んで座っていると、松山の方でふたりを見付けてくれた。
「三つに別れても、やっぱ凄い人数だなあ」
 昨日は農学部の佑輔と、再び合流するのが大変だったことを松山が喋った。郁也は遠くから佑輔の姿を見付けていたが、ひとの流れが大きなうねりとなって、なかなか近付けなかった。
 今日はこの後、それぞれのクラスに別れて事務連絡を受ける。その後、彼らは学食で落ち合う約束を予めして置いた。
「お前ら、サークルどうすんの?」
「俺はバイト部だな。遊んでる金も時間もねえよ」と佑輔。
 郁也は「松山君は、演劇続けるの?」と郁也は訊いた。
 松山は考え顔で腕を組んだ。
「演劇なあ。俺、別に役者志望でもないし、舞台美術でもないしなあ」
 松山は中等部高等部を通して、演劇部でメイクを担当して来たプロフェッショナルのようなものだ。学院祭の仮装行列では郁也のお姫さまが毎年賞を取ったが、それは郁也の美貌と松山の技術が合わさって勝ち得たものだった。
「そろそろ、本筋に絞って行こうかな、と思ってんだよな」
「本筋って?」と郁也は小首を傾げた。
「俺、演劇部でメイクやってるうちに、素材の方に興味が移ったんだよな。何つーの。特殊メイクするときの可塑性のプラスチックあるじゃない。あれ」
「はあ」と佑輔が気のない相槌を打つ。カソセイとプラスチックって同義なんじゃ、と郁也が口の中で呟いた。松山は構わず続ける。
「ああいうの、どんどん改良されてるけど、まだまだ研究の余地があるだろ。てゆーか、SFX見てても、CGの質感ってまだ限界があって、取り込む素材表面の光学的な特徴が、ってオイ、寝るなよ瀬川」
 ずるずると机に脱力する佑輔の横で、郁也が首を振った。
「だから松山君、有機化学得意だったんだ」
「おう。まあな」
 それはそれとして、専門忙しくなったら実験実験で遊ぶ処じゃなくなるから、今のうちにサークルでも入って置こうかなって思ってるんだよね。
 机に突っ伏していた佑輔が「何やるんだよ」と顔を上げた。
「何でもいいけど、カワイイ女のコのいるとこ!」
「女のコねえ」
 佑輔はまた顔を伏せた。
「何だよ。そりゃお前はいいよ。俺はようやく男子校とおさらば出来たんだ。俺の青春はこれから始まるんだい」
「ま、がんばれよー」
 教卓のマイクのスイッチが入った。
(サークルね)
 郁也は佑輔との薔薇色の生活しか頭になかった。 
 どちらにせよ、人見知りするこの性格で、ひとと多く交流することは楽しみよりも苦痛だ。
 体力の消耗の少なそうなバイトを探して見よう。


 大学でクラスといっても、ホームルームがある訳でなし、単純に事務の効率をよくするための機械的な区分けである。郁也たち理学部は名字の五十音順に前後二クラスに分けられ、これから説明を受け書類を提出する。郁也が松山と指定の教室に入って行くと、松山がひとりの学生を見付け親し気に駆け寄った。
「おお、田端ーっ。お前もここかあ」
「松山。久し振り」
「お前B大の工学部も受かってたろ。てっきりそっちへ行ったものと思ってたぞ」
「うーん。色々考えたんだけどねえ」
 松山が「田端」と呼んだその学生は、髪をさらっと横分けにした、真面目そうな男のコだが、お洒落なデザインの黒縁の眼鏡を掛けていた。
「一組からは君たちふたりかい」
「ああ。そうみたいだな」
 きょとんとしている郁也を、松山は肘で突いた。
「ほら、こいつ。二組の田端。田端省吾。覚えてるだろ?」
「あはは。俺、印象薄いからなあ」
 そう言って田端は頭を掻いた。眼鏡も変えたし、学ランじゃないし。と郁也へのフォローの言葉を呟く。
「ご、ごめん」
 小声で謝る郁也に、田端は「それに谷口って、そういうの覚えてるタイプじゃないもんな」と郁也にだけ聞こえる声で言った。
「え」
 田端の眼鏡が光った気がした。
 松山は、
「ったく、三年間一緒に体育の授業受けててこれだよ。信じられねえよ。坂本が何かっつーとお前に嫌がらせすんの、さり気なく食い止めてくれたりしてたのに。なあ」
と田端に同情の意を表明した。田端は「いいんだよ」と軽く笑って受け流した。

「あー!」
 郁也の横で高い声がした。振り返ると、昨日の朝入学式へ向かう途中、スカーフを飛ばして困っていたあのコが郁也を指差して、大口を開けていた。
「……やあ」
「き、昨日はどうもありがとう。お蔭で助かりました」
「あの後途中で解けなかった?」
「ええ。もう帰るまでバッチリでした」
 郁也は小馬鹿にしたようにうっすら笑って見せた。
「転ばなかった?」
「ええ?」
「ヒール、慣れてなくてヨタヨタしてたろ」
「えー、見てたんですか」
 女のコは、橋本佳織という名だった。知り合いもいないし、女のコは見た通り少ないようなので、心細かったと彼女は言った。
「あなたみたいな親切なひとと、また会えて安心しました」
「そう?」
 橋本は郁也の隣の席に鞄を下ろした。
 松山は貴重な女性との接近に思わずでれっとだらしない顔をしていたが、橋本に聞こえないようにこっそり郁也に耳打ちした。
「おい、お前少し遠慮しろよ」
「どういうこと?」
「決まってんだろ。お前女のコに好かれても意味ないだろう。限られた資源は効率よく活用するべきだ」
「そんなの、ボクに言われても困るよ。向こうに言って向こうに」
「言えたら苦労せんわい」
 この会話を聞いていた田端がこらえ切れずにぷっと噴き出した。
 郁也の学生生活は、意外にも何だか賑やかにスタートした。


「よう」
 人影も(まば)らな学食に佑輔は現れた。
「待ったか」
「ううん。今来たとこ」
 各自渡されて来た時間割を拡げる。
 郁也と松山は同じ理学部だが、祐輔は農学部で、専門科目は別々だ。だが、共通の教養科目は佑輔と一緒に受けることが出来る。郁也は佑輔の興味を惹きそうな講義をチェックしていた。
「二組の田端がいたよ。びっくりした」
 松山がそう報告する。佑輔は時間割から目を離さずに「そうか」と答えた。
「あいつB大受かってたのにな。勿体ない。てっきりそっちに行くと思ってたぜ」
「まあ、ひとそれぞれ事情があんだろ」
 佑輔はテーブルにへたり込み、「腹減ったー」と情けない声を出した。郁也は嬉しそうに立ち上がった。郁也は、
「何食べる? 立てる? ボク行って来ようか」
とかいがいしく声を掛けた。
「んー、俺何か定食っぽいヤツ。内容は任せるよ」
「うん、分かった。大盛りね」
「おお、頼む」
 郁也は松山を振り返った。
「松山君は?」
「あ、じゃあ、俺も一緒に行くよ」
 松山も立ち上がった。

 トレーを持って出食口へ向かう。郁也は珍しくてきょろきょろしてしまった。
「こっちこっち」
 松山が手を振って郁也を呼んだ。
「このケースの中から献立を選ぶんだ。決まったらそこで注文する。定食はメインだけあそこで貰って、付け合わせの小皿はあの中から好きに取る」
「へー、何で松山君そんなに慣れてるの」
「俺、もう毎日ここで食ってるもん。いきなり自炊なんて出来ないからさ」
 安くて野菜食えるしな、と松山はもごもご言った。
「ふーん、そうなんだ」
「あ、もしかして」
 松山は勢い良く郁也を振り返った。
「お前、料理も出来たりする訳?」
 郁也は松山の勢いに圧されて数歩後退(あとずさ)った。
「え、いや。出来るって程じゃないけど」
 佑輔クンは文句言わないよ、と郁也は頬をぽっと赤くした。
 松山はトレイを床に叩き付けそうにして、
「あー馬鹿馬鹿しい、訊くんじゃなかったぜ」
と忌々しげに叫んだ。
 佑輔は郁也の選んだ定食をいつものように凄いペースで食べ始めた。郁也はその隣で嬉しそうに軽めの麺を摘んでいる。
 松山は溜息を吐いてこう言った。
「あーあ。矢口が言った通りだ。お前ら見てると羨ましくて、俺も早いとこ誰か見付けたくなるわ」
 郁也は笑顔で頷いた。
「うん。いいんじゃない? 早く誰か見付けなよ」
 佑輔も食べるのをいっときも休めることなくこくこくと首を振った。
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