3、サファイアブルーの水槽-5

文字数 2,751文字

 が、気を取り直して郁也は反駁を試みた。
「外見なんて幾つもある特徴のひとつでしかないんだから。ひとを判断するとき、そこにそう大した比重かけないでしょう」
 松山はエラそうに「ちっちっち」と指を左右に動かした。
「甘い! 人柄や才能は付き合う内に段々分かってくるものだ。その点、外見はパッと目に飛び込んで来るんだぞ」 
「……だから、何さ。それとボクとが、どんな関係があるって言うの」
「分からんヤツだな。大体お前がそんな顔するからだなあ」
 そのとき真志穂が松山を呼ぶ声がした。
「松山くーん、このコ、何色系が似合うと思う?」
 真志穂はテーブルにメイクパレットを拡げて、橋本を玩具にしようとしていた。橋本は髪をダッカールで止められて、もうすっかり真志穂にされるがままの体勢だ。
「ほら、女性からのお召しには、何をさて置いても馳せ参じる。それが紳士道の第一歩だよ君たち」
 矢口がやって来て松山の尻を叩く。松山はようやく立ち上がった。
「ええっと、そうですね。橋本さんは肌白いから……」などと言いながら窓際の席へ向かう。
「君もほら、ぼやぼやしない」
と矢口は田端をも追い立てる。
「え? 俺?」
 田端はぼけっとしていたが、矢口に急き立てられて仕様がなく、窓際のテーブルに向かった。
「ボクがどんな顔したって言うんだよ」
 郁也は唇を尖らせてむくれていた。彼らが向こうへ行ったのを見届けて、矢口は口を開いた。
「でもまあ、お前の場合は、その外見に感謝しないとな」
 いつから聞いていたのだろう。怪しいヤツだ。
「幾らこいつでも」
 矢口は佑輔に向かって親指を突き立てた。
「お前がいかついゴリラみたいだったら、多分そうはならなかったと思うぜ」
 郁也はもじもじと身体を捻った。そこへバッサリ斬り込んで来られると、弱い。向こうのテーブルでどっと笑い声が湧いた。真志穂が呼んだ。
「いくちゃーん。いくちゃんもおいで」
「はーい」
 郁也は席を立った。
 矢口は女のコたちを眺めるときの目でうんうんと嬉しそうにそちらを眺めた後、佑輔に視線を戻した。
「ホントのとこ、どーなん?」
「は?」 
「ゴリラみたいでも、よかったりする訳」
「はああ?」
 佑輔は矢口の口許に耳を寄せる。質問の意図が分からないというジェスチャーだ。
「ゴリラみたいのでも、イケるのか」
 佑輔は、ようやく分かったというように「ああ、そういうことか」と頷いた。
「安心しろ。お前にゃ欲情しねえよ」
「いや、そういうことじゃなく。あれ、そういうことなのか?」
 矢口はひとりで首を捻っている。
「あー。コホン、つまりだな。……お前、女はイケるのか」
「一応な。出来たよ」
 佑輔は暗い顔をした。
「もともとは女なのか」
 矢口は声を潜めて小さく訊いた。
「よく分からん。多分俺、オクテだったんだと思う」
「『オクテ』ってお前……。じゃあ、十六になってイキナリあいつなのか」
 矢口は口をあんぐり開けて絶句している。佑輔は返事をしない。
 矢口は厳しく追及した。いつぞやのようには逃がさないという意気込みが感じられる。
「お前初恋は」
「はあ?」
「いただろ。小学校とか、幼稚園とか、そういうガキの頃何となく『いいなあ』なあんて思うコが。どっちだったよ」
「いやあ、どうだったかな。記憶にないな」
 佑輔も矢口に付き合って、腕を組み考える姿勢を見せた。
「じゃ、エロ本は」
「あー、そういうの、しばらくお世話になってないなあ」
 些か嘆息気味に佑輔は天井を仰いだ。矢口はイライラした。
「質問に答えろよ」
「分かった分かった。……そうだな。男のヤツは『うげー』と思った。やっぱ女だな」
 矢口は微妙な表情をした。
「『うげー』と思ったんだ」
 つまりそういうものに興味を持って手に取ったことがあるかと、矢口はそこを訊いていた。佑輔はそうサービス精神がある方ではない。が、今佑輔は最高に幸せだった。
「ああ。あいつと仲良くなるときに、少しは勉強した。俺、何にも知らなかったから」
 佑輔は俯いてははっと笑った。
「不思議だよ。あんだけ『うげー』って思っても、それをあいつの上に想像するともう駄目なんだ。頭ん中はもうすっかりあっちに行っちゃって。あんとき俺、絶対自分はどうにかなったと思ったね」
「今は」
 矢口の声は厳しい。
「今? 今か。考えても仕様のないことは、あれこれ考えないことにしてるから、俺」
 矢口は厳しい顔付きを変えず佑輔の表情を観察している。佑輔は笑った。
「もう、どうでもいいよ」
「本当にどうでもいいのか」
「矢口?」
 矢口は手にしたグラスをくいっと飲み干した。
「いつか訊いて置こうと思ってたんだ。お前らがこんなに長く続いちまうんなら、一度な」
 矢口の手の中でグラスと氷がカランと音を立てた。
「あいつの悲しむ顔、もう見たくないもんな」 
 矢口は言おうかどうしようか迷ったような間の後に、そっと佑輔に尋ねた。
「お前は、分かってるんだな。その、あいつがいつまでもあんなにキレイではいられないってこと」
 佑輔は矢口のために次の飲みものを注文した。店員がテーブルを去るのを待って、矢口は続けた。
「あいつが今ほど女のコっぽく可愛くなくなっちまっても、お前本当に大丈夫なのか? 俺たちまだ十八だけど、あいつにとっては『まだ』じゃなくて、『もう』なのかも知れないぜ」
 あいつ、あんなに幸せそうにしてるのに、もし身体付きや顔が変わっちまって、そのせいでお前にキラワれたら、きっともう死んじゃうよ。
 そう呟いて矢口はグラスを握り締めた。佑輔が自分の指向に無自覚なために郁也をこれ以上傷付けることがあってはならない。彼がそう思っているのは佑輔にも分かった。今まで誰にも言わなかったことを、佑輔は話した。
「あいつが理科室から落ちた後、その話をした」
「え……?」
「あいつ、自分が女のコだったら俺が喜ぶか、自分が女のコだったら俺はずっと側にいてくれるかって俺に訊くんだ」
「瀬川……」
「真っ青になって、必死な目をして。その様子が可愛らしくて可哀想で。俺も必死に考えた。このカラダが女だったらって。俺の夢に出て来たあいつみたいに、胸があって柔らかくてって」
 佑輔はウーロン茶をひとくち咽に流し込んだ。
「でもなあ、本物にすっかり生まれ変わるのとは違うだろ。あいつが『女のコとして生きて行きたい』ってんなら俺は応援するけど、自分でも決心が付かないみたいな言い方してたし。『そのままでいてくれ』って頼んだよ」
 矢口は息を呑んだ。
 佑輔は笑った。
「だってさ、あのキレイな身体を切り刻むの、勿体ないじゃないか」
 郁也のことが愛しくてたまらないといったその風情は矢口を更に沈黙させた。
「もうこれ以上痛い思いはさせたくないよ。もう、いいんだ」
 佑輔はそう言ってテーブルに肘を突き、笑って瞼を閉じた。
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