26.すべてを証明できるのか:後編

文字数 2,588文字

黒いカラスそのものではなく、それ以外のものを確かめるという考えかたは、合っているの。
あ……っ!?

 変わったのは、ほんの少しだけ。


 頭に「黒い」がついただけだった。


 それでも……なんとなく、言いたいことは伝わってくる。


 僕が最初に答えたのは、すべてのカラス以外のものを確認するという方法だった。


 それは、僕が調べる対象をカラスとそれ以外のものに分類したからだ。


 しかし、それでは万が一黒くないカラスがいても確認できない、と指摘された。


 ――そして、さっきの言葉。

そうか……大事なのはカラスかどうかじゃなくて、黒いかどうか……!?
どういうことだ?
だから、すべての黒くないものを調べて、そのなかにカラスがいなかったら、すべてのカラスは黒いってことになりませんか?
んー? んー……あっ、そうっスね!

 理解に時間は要したが、ギャル子も納得してくれたようだ。


 やがて唸っていた石橋先輩も、顔をあげる。

なんかこう、ややこしい感じはするが、確かに黒以外のもののなかにカラスがいないなら、カラスは全部黒いってことにはなるな。

 全員の視線が、自然とレン子先輩に集まる。


 その口もとが、ゆっくりと動いた。

正解。
おおっ
幹太くん、あんなヒントからよくわかるっスね~。
順序立てて考えれば、なんとか……

 まっすぐに褒められるのは、何度経験しても慣れることができない。


 僕が助けを求めるようにレン子先輩を見ると、応えてくれた。

これは、『ヘンペルのカラス』と呼ばれるパラドックスよ。黒いカラスを証明するために、それ以外のものを調べるなんて、ちょっと違和感があるでしょう?
な、なるほど、そこがパラドックスなんですね。
それだけじゃないわ。

 一度は納得した僕に、レン子先輩はすかさず切りこんでくる。

今度は、すべてのカラスが白いことを証明する方法を考えてみて。
それは簡単っス! 色を置き換えればいいだけっスよね。
だよな。すべてのカラスを調べるか、もしくは、すべての白くないものを調べるか……だろ?

 僕も異論はなかったから、頷いた。


 それを見届けたレン子先輩は、おもむろに――

……リンゴ?

 どこから出したのか、長机の上にひとつのリンゴを置き、もう一度僕らを見やる。

この赤いリンゴは、カラスが黒いことと白いこと、どちらを証明すると思う?
え……と。

 一瞬頭が混乱しかけたが、なんとか堪えた。


 そう、さっき自分が口にしたことだ。


 順序立てて考えてみよう。


 赤いリンゴは、『黒くないもの』『白くないもの』両方に該当している。


 赤いリンゴは、少なくともカラスではない。


 それらを合わせて考えると、レン子先輩の意図が見えてくる。

……両方、ですね。この赤いリンゴが単体で証明できることは、この赤い物体はカラスではないという事実だけ……?
そのとおりよ。同じように、黄色いバナナや、橙色のミカンも考えてみて。

 言いながら、レン子先輩は次々に取り出し、並べていく。


 一体どこに隠し持っていたのだろう。

レンちゃん、手品師みたいっス!
お、俺を差しおいて、どこでそんな技をっ?

 驚くポイントが明らかにズレたふたりを無視して、僕はレン子先輩が指摘した事実にひとり驚愕していた。

そ、そうか……黒いものと白いもの、それ以外をすべて調べたとしても、残ったカラスがどちらの色なのかは証明できない!?
ね、面白いでしょ。正反対の色を証明するために、同じものを使うから、そういうことになるの。もちろんこれは、何色のカラスを証明しようとしても、同じことが起こるわ。
これがもうひとつのパラドックス……というわけですね。

 すべてのカラスが黒いことを証明する。


 すべてのカラスが白いことを証明する。


 その方法を、言葉では納得したはずだったのに。


 別々に考えれば、なんの問題もなかったのに。


 同時に考えただけで、成立しない証明になってしまう。


 同じものが、別なことを証明してしまう。


 まるで八方美人だと、僕は思った。


 見方を変えれば、僕の生きざまのようなものかもしれない。


 とにかく合わせることしかできなかったから――。

――でもね、私思うのよ。

 そのまま自分の暗い思考の底に落ちそうになっていた僕を、レン子先輩の言葉がすくいあげる。

お、来た来た。
これ、斬りにくそうっスけど、どうやって斬るっス!?

 レン子先輩は、いつもの表情を崩さない。


 どんな感情も見えない、真顔。


 それでもまとう空気は、いつもよりやわらかい気がした。

色とかどうでもよくて、そもそも『すべて』なんて、証明できるわけがないの。
そこからかよ!?
根本をイッたスね……
当然でしょ。よく言うじゃない。『ある』ことの証明は簡単だけど、『ない』ことを証明するのは難しいって。

 一度言葉を切り、なぜか僕を見た。

それと同じよ。『○個』と数が決まっていれば、証明は簡単。でも『すべて』は、誰も証明できない。すべてのカラスが黒いことを証明しようとしたら、限りがないことくらい誰でもわかることよ。
それはそうだろうけどよ。
でもレンちゃん、たとえばあたしらみたいに、少ない数なら『すべて』も簡単じゃないっスか? パラ研はここにいる全員で終わりっスよ。

 ギャル子が珍しく(ry


 だがレン子先輩は、簡単には頷かない。

パラ研が私たちだけなんて、誰が決めたの?
え……?
もしかしたら世界中のどこかに、私たちが知らないメンバーがいるかもしれない。見えない誰かがそこにいるかもしれない。少なくとも私は、それを否定できないわ。
いつにも増してすげー屁理屈!
そんな怖いこと言わないでほしいっス~。

 ふたりの反応を横目に、僕はといえばどこか納得している自分がいた。


 パラ研の部員四人を証明しろと言われれば、証明は楽だ。


 それぞれが自分は部員だと言えばいい。


 だが、パラ研の部員すべてを証明しろと言われたら――


 極端な話、もしカラスと同じように考えるなら、この四人以外のすべての人に「あなたはパラ研の部員ですか?」と訊いてまわる必要が出てくる。


 そんなのは、到底無理だ。


 無理だから証明できない。


 そういうことなのだと思う。

私はね、誰も証明できない『すべて』という言葉を、安易に使用するこの世のなかを案じているのよ。本当にこれですべてか? 常にそれを問いかけていないと――いつか、きっと、見失う。

 そう告げたレン子先輩の瞳は、どこか遠くを見ていた。


(続く)

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登場人物紹介

乾 幹太(いぬい・かんた) 大学1年生


とにかく根暗。

犬飼 レン子(いぬかい・れんこ) 大学?年生


パラ研の魔女。

石橋 仁(いしばし・じん) 大学3年生


明るい好青年。レン子の飼い主。

ギャル子(本名不詳) 大学2年生


見たまんま。

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