29.生と死のパラドックス:前編
文字数 2,432文字
また出てきた。
今まで思いもしかなかったこと。
あたりまえだと感じて、考えることすらしてこなかった、現実。
言葉をくり返した僕に、レン子先輩は軽く頷く。
ここはよけいな口を挟まず、最後まで聞いたほうがよさそうだ。
覚悟を決めた僕は、なんとなく居住まいを正す。
さっき紅茶を飲んだばかりだというのに、口のなかが渇いているのは、緊張のせいかもしれない。
それを僕が聞いたって、答えを指し示してあげることなんて、きっとできない。
だが――ほんの少しでもいい。
僕に話すことで、答えの尻尾を掴めたら――。
そう願わずにはいられなかった。
そんな僕の思いなどつゆ知らず、レン子先輩は再び饒舌に語りはじめる。
僕が次の瞬間も生きているかなんて、本来ならば誰にもわからないことだ。
ギャンブラーの誤謬の話ではないが、さっきまで生きていたからといって、次に死ぬ可能性が高まるわけでもなければ、連続で生きつづけることが難しいわけでもない。
誰にでも、死の可能性は常につきまとっている。
人が普段それをほとんど意識しないのは、心のどこかで「今生きているんだから次の瞬間も大丈夫」という、確信に近い気持ちを抱いているからだ。
だが逆に言えば、そう思えなければ毎日怯えて暮らす羽目になるのかもしれない。
それはそれで、あまりよくないことのように思えた。
思わず首を傾げた僕を見てから、レン子先輩の口もとが動く。
そこで僕はやっと、石橋先輩が飼い主として傍にいる意味を、悟った。
きっと、なにかの拍子にレン子先輩が死んでしまわないように、気にかけているのだろう。
特別なにか、とてつもなく悪いことがあったわけでも、つらいことがあったわけでもない。
漠然と生きて、自分のレベルを知って、こんなもんかと思って、なにをやってもうまくいかなくて……。
他の人が聞いたら、「なんだそんなことか」って笑い飛ばしそうなほど、生き甲斐のない人生だった。
大学生が人生を語るなって言われるかもしれないが、本人はいたって真面目にそう思っているのだ。
どうしようもない人生だった、と。
なんと言ったらいいかわからず、口ごもってしまった。
僕の返事を待たずに、レン子先輩はさらに口を開く。
それが、レン子先輩をずっと悩ませてきた、生と死のパラドックスの正体なのだ。
死を選んではいけない理由がわからない。
悲しむ人がいるから?
周りに迷惑をかけるから?
生きたくても死んでいく人がいるのに、自分から死ぬなんて卑怯だ?
そんなありきたりな言葉では、きっとレン子先輩を納得させることはできない。
必要なのは――そう、きっと屁理屈なのかもしれない。
両親はそれを許しているのか?
なんて、訊くまでもなかった。
おそらく、レン子先輩を死なせないために、パラ研に幽閉しているのは彼らなのだ。
ここにいるあいだ、少なくともレン子先輩はパラドックスについて考える。
考えつづける。
その目的がある限り、不用意な死は選ばないから――。
そういった背景を知って、背中がゾクリとした。
僕はここに来て、ただレン子先輩の話し相手をしていたようなものだ。
だが、そんな僕に知らず課せられていた使命は、レン子先輩の命を繋ぐことだったのかもしれない。
レン子先輩がけっして笑わないのは、本当に単純な理由で、生きることが苦痛だったからなのだ。
レン子先輩の顔をまっすぐに見られなくなってしまった僕を、責めるようにまっすぐ飛んでくる言葉。
(続く)
Q.死んだほうが楽なのに、どうして生きてるの?
ぜひ考えてみてください。