2.パラ研へようこそ:後編

文字数 3,236文字

パラドックス研究会、部長の犬飼レン子。七年生。ちなみに、レン子の『レ』は『レ点』の『レ』よ。

 その台詞に含まれた、圧倒的な情報量を前に、僕の脳内は密かにフル稼働していた。


 パラ研の正式名称。


 そして、彼女――レン子先輩が僕の名前を見て「まぎらわしい」と言った理由。


 なぜ『飼い主』が必要だったのか。

(台詞ひとつで全部理解させるなんて、この人できる……!)
あなたのその表情……私の目に狂いはなかったようね。

 感心したのはお互いさまだったのか、レン子先輩が僕に振ってくる。

一年生の、乾幹太くん。
は、はいっ?
私がどうして『名前がまぎらわしい』と言ったのか、わかった?
えっと……漢字は違うけど、僕の名字にも『いぬ』が入ってるから……ですよね。
そうよ。自分の名字を呼ばれるかと思って、いちいちビクつくのが嫌だから、名前呼びを浸透させようと画策したのよ。

 めちゃくちゃ自分本位な理由で、かつ、めちゃくちゃ正直である。


 ただ、そこまでのハチャメチャ感は自分にはないものだったから、僕は少し羨ましく感じた。

他に気づいたことは?

 きちんと促してくれるやさしさに感謝しつつ、口を開く。

……『レン子のレはレ点のレ』っていうのは、『犬飼』という名字が『犬を飼う』じゃなくて、『飼われる犬』を指しているってことですよね? だから『飼い主』が必要だったんだ。
正解。
おお、すげー。
幹太くん、優秀っスね~。
い、いやぁ……はは……

 褒められること自体があまりに久々で、僕はうまく反応できなかった。


 そこに追い打ちをかけるように、レン子先輩がさらなる確認を求めてくる。

じゃあ、私が言った『入部を断る余地』は、わかった?
そ、それはまだ……

 そもそも僕は、断る余地がないと思ったから、この『パラドックス研究会』に仕方なく入ったのだ。

(……ん? パラドックス研究会……)

も、もしかして、パラドックスと関係があります?

 なにかアイディアがあったわけではなかったが、思いついたことを口にしてみると、レン子先輩は軽く頷いた。

そうね。私があなたに仕掛けた賭けは、数学者のルイス・キャロルが考えたパラドックスからヒントを得ているわ。

 そうしてレン子先輩が教えてくれたのは、とあるジレンマを抱えた一匹のワニの話だ。

ボート上に父親を残し、子どもは川で遊んでいた。そこに人食いワニが近づいて、父親に言ったの。自分がこれからなにをするか予測できたら、子どもになにもしない。でも、間違えたら子どもを食べるって。
あ……!

 確かに似ていた。僕の場合、予想したのはレン子先輩のほうで、言い当てられたのは僕だったが、やりたいことはきっと同じだ。


 おそらくワニは、子どもを食いたくてそんなことを言ったのだ。言い当てられるわけがないと、高を括っていたに違いない。


 さっきの僕のように。

幹太なら、どう答える?

 答えは簡単だ。


 それこそさっき、レン子先輩にやられたことをやり返せばいいのだから。

(えっと……さっきのケースだと、レン子先輩は僕をパラ研に入れたいからこそ、逆のことを言ったんだ。つまり、ワニに子どもを食われたくないのなら、逆のことを言えばいいはずだ)

ワニは子どもを食うって予測すれば、当たりなら子どもを食われずに済む……!
それはどうかしら。

 結構自信を持って告げた答えだったのに、あっさりと否定された。

予測が正解だったと証明するためには、実際に子どもを食べるしかない。でも、正解だったなら食べられないという条件を、自分でつけていた。
あ、あれ? 言われてみればそうか……

逆に、予測が不正解だとしたら、子どもを食べないことで証明する必要がある。けれどやっぱり、不正解だったら食べなければならないという条件を、自分でつけていたでしょう?

それじゃあどっちも成立しないことに――って、あ、これがパラドックス!?
そういうことよ。

 やっと理解した僕に、今度は拍手が飛ぶ。

さすが、レン子が勧誘してきただけあって、理解が速いな。
あたしなんて、未だに意味ワカンナイんですけどー。
は、はは……

 さっきレン子先輩が「あなたたちじゃ議論にならない」と言っていた意味も、理解できた。


 しかし、まだわからないこともある。

……さっき、先輩はこのワニの話を参考にしたと言いましたけど、僕の場合は入部する選択肢しか残りませんでしたよね?

 そう、もしそのまま使っていたのなら、僕もワニと同じジレンマに陥るはずだったのだ。


 それなのに僕は、ナニゴトもなく部室にいる。


 いつになく脳みそをフル回転させながら。

簡単なことよ。

 レン子先輩は相変わらず無表情でありながらも、目だけは楽しそうに爛々と輝かせて解説してくれた。

私は外れた場合の条件をつけなかった。
あっ……!?

 レン子先輩が賭けを申し出たときの言葉を、思い出してみる。


『私がこれから、あなたが今考えていることを当てるわ。成功したら入ってちょうだい』


 確かに、「外れたら入らなくていい」なんて一言も言っていなかった。


 ならば、もしその条件があったなら、僕は入部せずに済んだのだろうか?

(……いや、おかしい。今の話は僕がジレンマに陥る条件であって、どちらかを選べる条件じゃないんだ)

僕が入部を断ることができた余地、か……

 いくら考えても思い浮かばない。


 でも、素直にヒントを求める度胸もなくて、僕はただレン子先輩を見やった。

――仕方ないわね。

 さすが同類だ、それだけでわかってくれる。

これは私の持論なんだけど、このワニの話って、実はパラドックスでもなんでもないの。
えっ!?
出た! レン子のパラドックス屁理屈破りっ
わーい、待ってましたぁ~パチパチ。

 温度差が酷い。


 だがレン子先輩はまったく気にせず、マイペースを保ったまま話しつづける。

さっきの幹太の回答、実はちょっと違うわ。
さっきの回答?
『ワニは子どもを食う』って予測したでしょ。正しくは、『ワニは子どもを食うだろう』が正解。断言はしていないのよ。
……ってことは、つまり……

 単純に考えれば、必ずしも食べる必要はないということだ。


 『食う可能性がある』と『食う』には、言葉で感じる以上の大きな差がある。

……ワニは、子どもを食うことによって予測が正しかったことを証明する、その必要がなくなる?
そのとおりよ。『食べよっかな~ってちょっと考えただけだって!』と言って、子どもを返せばよかったの。あるいは逆に『食べたくないな~ってちょっと考えただけだって!』と言って食べるか。好きなほうを選べばいいわ。
……ってことは、つまり……

 思考は、くり返す。


 僕はもう一度、レン子先輩に言われた言葉を思い返した。


『私がこれから、あなたが今考えていることを当てるわ。成功したら入ってちょうだい』


『あなたは今、なんか怪しいからパラ研に入りたくない――そう思っている

……あっ!?

 そうだ、最初からレン子先輩は、僕がパラ研に「入る」か「入らない」かという話はしていなかった。


 僕の考えを予想していただけで、断言はしていない。


 ならば結論は、それこそワニと同じだ。

『実際「入りたくない」って思っていたから入部しなくちゃ』じゃなくて、『「入ってもいいかな」とチラッと思っただけ、だから入らなくていいですよね』って断るのが正解だったわけですね……。

 それこそが、入部を断る余地――僕は証明しなくてもいいものを、証明してしまったのだ。


 レン子先輩は満足そうに大きく頷く。

ようやく辿り着いたわね。一応その余地を残しておいたのは、私なりのやさしさよ。
とか言って、もしカラクリを見破って入部を断るような相手なら、絶対逃がさなかっただろう? レン子。
さすが飼い主、よくわかってるわね。
は、はは……

 結局、入部する選択肢しかなかったようだ。


 だけど、そんなに悪い気はしなかったのは、僕がほんの少しだけパラドックスの面白さに目覚めてしまったから。


 それを斬る魔女の手管に、魅入られてしまったから――なのかもしれない。


(続く)

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登場人物紹介

乾 幹太(いぬい・かんた) 大学1年生


とにかく根暗。

犬飼 レン子(いぬかい・れんこ) 大学?年生


パラ研の魔女。

石橋 仁(いしばし・じん) 大学3年生


明るい好青年。レン子の飼い主。

ギャル子(本名不詳) 大学2年生


見たまんま。

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