4.真の嘘つきはこの世に存在しない:後編
文字数 2,460文字
じゃあ訊くけど、嘘つきって常に嘘をつきつづけると思う?
誰も、即答できなかった。
そんなわけないと、あたりまえに理解していたからかもしれない。
この話をするたびに、私はいつも感じていたの。このパラドックスには、隠れた前提がある。つまり、『嘘つきの発言はすべて嘘である』ということよ。
だから嘘つきなんだろ? 設定としてそうなってるだけで。
石橋先輩が果敢に反論を試みるも、狩りはじめた魔女に敵うはずもない。
ほら、あんただって今『設定として』って言ったじゃない。ようするに、『常に嘘をつきつづける人間』像がそもそも現実的じゃないと、感覚的にわかっているのよ。
つ、つまり、レン子先輩はなにを言いたいんですか……?
おそるおそる訊ねた僕に、レン子先輩はバンっと長机を叩いて返した。
簡単なことよ。この議論は、まず『嘘つき』の定義をはっきりさせるところから始める必要があるの。
そう。――もう一度、同じ質問をするわよ? 常に嘘をつきつづける『真の嘘つき』なんて、この世に存在すると思う?
……いや、いくら嘘つきでも、全部に全部嘘をついてたら、生活できないだろ。
そうっスねぇ。ナンチャラ詐称で、警察に捕まりそうっス!
つまり、嘘つきが必ず嘘をつくとは限らない――ってことですよね。いや、考えてみればあたりまえなんですけど。
石橋先輩、ギャル子、僕と順番に発言したところで、レン子先輩は大きく頷いた。
わかってくれた? じゃあ次。その前提で、さっきの飼い主の話を考えてみて。
えっと……嘘つきな石橋先輩が、『俺は嘘つきだ』と言った。でも、その言葉が必ずしも嘘とは限らない――あっ!?
言いながら考えていた僕は、すぐに理解する。
レン子先輩が言いたかったことを。
そうか、発言が本当かもしれない可能性があれば、矛盾はなくなる……!
本当に単純な答えなのだ。
『嘘つきは必ず嘘をつく』という偏見を取っ払っただけの。
同じことが、クレタ島民の話にも言えるわ。いくら嘘つきなクレタ島民でも、常に嘘をつきつづけて生活できるとは思えない。考えてもみてよ、全員が嘘しか言わない世界で生きていけると思う?
それぞれの意見を聞き、レン子先輩は満足そうに胸を張る。
でしょう? おそらくエピメニデスは、生活のなかにちょいちょい嘘を混ぜてくる島民たちに辟易していて、告発するために言っただけなのよ。『すべてのクレタ島民は嘘つきだ』って。だけどそれは、『常に嘘をつきつづける極悪人だ』という意味ではない。
で、でも、だったらどうして『すべてのクレタ島民』なんて言ったんですかね? 自分を含めなければ、そもそもこんな問題にはならなかったと思うんですが……
僕が浮かんだ疑問を投げかけると、今度は肩を竦めて。
そんなの簡単よ。エピメニデス自身も、たまには嘘をついていたんでしょ。それだけのことよ。
でも考えてみりゃ、そうだよな。俺らだって、たった一回嘘をつかれただけで『あいつは嘘つきだ』って言ったりするし。
あー、確かにそうっスね。意外と範囲の広い言葉だったんでスね~『嘘つき』って。
レン子先輩が言っていることは、確かに屁理屈なのかもしれない。
でもその解釈は、僕に新しい気づきをくれる。
これまであたりまえに使ってきた言葉の定義が、揺らいでいく感覚――
それは、自らの発言によって決定されていた事象が揺らぐという、僕が恐れてしまったその感覚と、少し似ているような気がした。
もしかしたら、恐れるべきものではなく、受け入れるべきものなのかもしれない。
そこまで考えたとき、ふと、僕の脳裏にひとつの疑問が浮かんだ。
――じゃあもし、嘘つき以外の、もっと定義のちゃんとした言葉を使ったら、パラドックスは成立するんですか?
そんな期待をしてしまった僕に、レン子先輩は一枚のカードを差し出してくる。
受け取って目を落とすと、カードの表に『裏に書かれた文章は本当』と書かれていた。
言われたとおりにすると、裏には『表に書かれた文章は嘘』の文字が。
そう。人を介する必要がなくなると、『嘘』は『嘘』として成立する。これは数学者のフィリップ・ジョーダンによって考え出されたパラドックスよ。
『裏に書かれた文章は本当』という文章を信じるなら、『表に書かれた文章は嘘』は本当であることになる。
しかしそうすると、今度は『裏に書かれた文章は本当』という文章が嘘であることになり、『表に書かれた文章は嘘』ではないことになる。
すると今度は、『裏に書かれた文章は本当』は正しいことになり、最初に戻る。
ずっと、それのくり返しだ。
ブツブツと呟きながら何度もカードをひっくり返し、混乱してくる僕。
レン子先輩のように隙を探そうとするが、とても見つかりそうになかった。
僕が降参の意思を見せると、レン子先輩はすぐにカードを奪って――
珍しく満足そうな表情を浮かべたレン子先輩と、絶賛ドン引き中の僕。
そのコントラストはいっそ清々しいほどだった。
……レン子先輩でも、論破できないものはあるんですね。
勝手に期待してしまっていたから。
なかったことになるパラドックスが、面白かったから。
あまり深く考えず、その言葉を言ってしまった。
僕は後悔する羽目になる。
論破できないもの? あるから私、まだ卒業できない。
どうしても解けないパラドックス。それを解くまでは――
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