終.卒業を選ぶ

文字数 3,146文字

 彼女と出逢ってから、およそ一年が経過した。


 今日はとうとう、彼女が大学を卒業する日だ。


 ――七年も通いつづけた部室から、巣立つ日。


 僕は自分でも似合わないと思いながらも、用意した花束を手に彼女を待っていた。


 石橋先輩とギャル子は、昨日散々お別れを言ったからと、今日は部室に来なかった。


 僕に気をつかっているのかもしれない。

(……いや、正確に言うならば恋子先輩に、かな?)

 彼女をずっと悩ませてきた、生と死のパラドックス。


 それをふたりがかりで斬ったあの日から、僕たちは一応恋人同士的な関係になった。


 どうして「的」なのかというと、お互いに気持ちを確認しあっただけで、以降特に進展がないからである。


 でも、僕はそのほうがよかった。


 今まで恋人なんていたことがないのに、急にそれらしい態度を求められても困る。


 しかも、部室にはいつも石橋先輩やギャル子がいるのだ。


 すぐに感づかれて、散々からかわれるであろうことは、目に見えていた。


 それに、多分、彼女も同じ気持ちだったと思う。


 いくら前向きに生きようと思えるようになったとしても、急に変わるなんて、やっぱり無理だ。


 オンオフを簡単にできるような性格なら、そもそも僕らはこんなに淀んでいないだろう。


 結局のところ、どこからどう見ても、僕らは似た者同士なのだ。


 思いが通じ合ったからこそ、僕は改めてそう思った。

――なにを笑っているの? 幹太。
へっ?

 いつの間に入ってきたのだろう。


 彼女はすでに部屋のなかにいて、僕の顔を覗きこんでいた。

あ、いえ! ちょっと思い出しニヤニヤを……
きっとろくでもないことね。
そんなことないですよっ。たんに、僕と恋子先輩はやっぱり似ているなって、しみじみ思っていただけです。
……ちょっと気持ち悪い。
酷いなぁー

 相変わらず真顔だが、冗談で言っていることはわかっていたから、僕もおどけて応えた。


 自分の視界に手もとの花が入り、はたと思い出す。

あ、恋子先輩、卒業おめでとうございます!

 急いで椅子から立ちあがり、前屈みになりながら花束を差し出した。


 他の女性陣とは違い、本当にいつもどおりの格好の彼女は、少しはにかんだ笑顔で手を伸ばしてくる。

……ありがとう、幹太。

 ずっと真顔だった頃に比べたら、だいぶ表情が出てきて、嬉しい。

(信じられないことに、それが僕のせいだって言うんだから、世のなか捨てたもんじゃない!)

 彼女のおかげで、僕のほうこそ前向きになれたから、受け取ろうとした彼女の指先が僕の手に触れても、跳びあがったりはしなかった。


 むしろもっと触っていてほしいと思えるくらいには、成長できている。


 やっぱりお互い、正しく偏りはじめている


 それを感じられて、ますます嬉しかった。


 逆にお礼を言いたいくらいだ。


 すごい返しをされそうだから、言わないが。

ねぇ幹太、これから時間ある?
え? ありますけど……どうしました?

 彼女は花束を抱えたまま、いつもの席へと向かう。


 それを目で追ってから、聞くまでもなかったと悟った。

もしかして、最後に斬るんですか?
ちょうどいい題材があったから。
題材?

 僕も席に着いたのを確認してから、彼女は再び口を開く。

『卒業』よ。
へ? そ、卒業にもパラドックスが!?
私も、自分がこの立場になって、初めて気づいたの。一般的に卒業とは、修了することを言うわよね。
そうですね……あ、でも、最近はアイドルが自分の所属するグループから脱退するときにも、『卒業します』って言ったりも。
そう、それよ。

 どうやら僕の受け答えは、彼女が期待するものだったらしい。

あれって、正確に言えば『脱退』だと思わない?
そう言われてみれば……自分の意思で辞めるのに『卒業』っていうのは、最初違和感がありました。今はもう慣れちゃいましたけど。

 自分が勝手に辞めるのに、まるでそのことを正当化するような言いまわしに思えたのだ。


 捻くれている僕だからこそ、そう感じてしまったのかもしれないが――

……多分、『脱退』という言葉は、『卒業』に比べてちょっとイメージが悪いんですよ。黙っていれば本来起こるはずのないことを、個人の意思で強引に起こすみたいな、そういうニュアンスをなぜか感じてしまって。

 彼女を納得させる言葉を紡ごうと、僕は必死に考えながら口を動かす。

あとは、自分自身が決断する責任の重さみたいなのも感じるので、卒業に比べたら重い感じがしますよね。

 その甲斐あって、彼女は「そうね」と頷いてくれた。

逆に『卒業』は、そのときが来れば誰でも経験する、自然な旅立ちのような感覚でしょう?

 「ですね」と、僕も相づちを打とうとした。


 できなかったのは、彼女がすぐに続けたからだ。

だからきっと、私も本当は『脱退』なの。パラ研からの脱退。間違いなく、自分で選んで決めた。責任の重い決断だった。
恋子先輩……?

 その険しい表情に、心臓がヒュッとなる。


 ここにきてまだ、彼女を縛るものがあるのだろうかと、不安になったのだ。


 なにか新しいパラドックスが、彼女を悩ませているのではないかと。


 しかし――


 やがて彼女は、フッと笑った。

でもね、私は『卒業』を選んだ。幹太がそう、導いてくれたから。
僕が……?
話を戻すわね。『卒業』という言葉が持つパラドックスは、相反するもの――『終わり』と『始まり』を内包していることよ。

 あっさりと明かして、なおも軽やかに。

卒業のあとには、必ず次がある。なにかが終わり、なにかが始まる。――じゃあ、始まりのない終わりは、なんだと思う?

 僕は導かれるように、答えに辿り着く。

ああ、そうか……それは『死』だ。

 ずっと彼女が、望んでいたもの。


 けれど叶わなかったもの。


 今はもう、遠ざけていたいもの。


 そこにパラドックスはない。


 だからもう、選ばない。

正解。

 落ちついた声音で、彼女は解説を始める。


 いつものように。


 もうここでは聞けない言葉を。

今の私は、明るい未来が欲しい。イメージだけでもいいの。だから、『死』も『脱退』も捨てて、『卒業』を選ぶわ。
『終わり』と『始まり』を兼ね備えたパラドックスは、斬らないんですか?
甘いわね、幹太。私が『卒業』を選ぶと言うこと自体が、すでに矛盾した行動――パラドックスなのよ。つまりこれは、パラドックスをパラドックスで相殺する作戦よ。
最後に新技!?

 実に彼女らしい屁理屈だ。


 僕は思わず笑ってしまう。

(――うん、これならきっと大丈夫)

 そう思えた。


 実は、卒業後の進路すら知らないのだが。


 彼女がどんな道を選んでも、やっぱりパラドックスを探して、無闇に斬って楽しむのだろう。


 そんな姿が簡単に想像できて、安心したのだ。


 やっぱり僕も、ちょっと変なのかもしれない。

(……今さらか)

 一応少しくらいは今後のことも聞いておこうかと、切り出す。

あの、ちなみに恋子先輩的には、なにが始まる予定なんですか?

 「始める」でなく「始まる」という言葉を選んだのは、そのほうがきっと彼女は喜ぶだろうと思ったからだ。


 なぜなら、僕と似ているから。


 自発的になにかを始めるタイプじゃない。


 案の定彼女はにんまりと口角をあげて、僕を見た。

そうね……先輩と後輩の関係が終わるから、やっと恋人同士らしいなにかが、始まるかもしれないわね。
……っ

 始まるのは、新しい関係。


 ほんのちょっとだけ、近づくであろう距離を想像して――

あ、今、きっと室温が少しさがったわ。
え? ど、どうしてです?
だって、私の体温があがったんだもの。

 常に増大しようとするエントロピーに、逆らって

……僕もです。
あら、そうなの?
そうですよ。これでも、照れています。
同じね。
同じです。

 同じように、明るい未来を探して。


 僕らはこれからも、偏りつづける――。


(了)

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登場人物紹介

乾 幹太(いぬい・かんた) 大学1年生


とにかく根暗。

犬飼 レン子(いぬかい・れんこ) 大学?年生


パラ研の魔女。

石橋 仁(いしばし・じん) 大学3年生


明るい好青年。レン子の飼い主。

ギャル子(本名不詳) 大学2年生


見たまんま。

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