10.漠然とした囚人:後編

文字数 2,105文字

『囚人のジレンマ』とひと口に言っても、どんな囚人にも当てはまるというわけではない、ということよ。このジレンマが成立するには、もうひとつの前提条件が必要なの
前提条件……

 レン子先輩はさっき、「あなたたちの場合は、ジレンマでもなんでもない」とも言っていた。


 つまり、答えはその逆ということになる。

(石橋先輩とギャル子の関係って、僕からしたらレン子先輩を挟んだ特殊な三角関係に見えるけど……。でも、けっして仲が悪いわけではないし、それどころか、実はパラドックスにあまり興味がないという点が共通している。お互いそれなりに信頼もしているだろう――)

――あっ!?

 そこまで考えたところで、閃いた。

そうか、信頼関係だ!
正解。
ん? どういうことだ?

 首を傾げた石橋先輩に、僭越ながら説明する。

すでに信頼関係が成立している間柄だと、このジレンマが発生しないんです。なぜなら、考える余地もなく互いが黙秘を選ぶから
実際にやってみたらいいわ。飼い主とギャル子、それぞれどちらを選ぶのか、私の合図で手をあげて。自白が右手、黙秘が左手よ。幹太はふたりのあいだに立って、お互いの姿が見えないようにしてちょうだい。
わ、わかりましたっ

 取調官の役割を与えられたものの、やることがなかった僕は、喜んで仕切りになった。


 僕が位置に着くと、軽く頷いたレン子先輩が手を叩く。

はい、あげて。

 なんだかんだ言ってもレン子先輩に従順なふたりは、少し戸惑った表情をしながらも、それぞれに手をあげた。


 左手――黙秘だ。

おいおい、これはなんの茶番だ?
べ、別にさっき幹太くんに言われたらから左手をあげたわけじゃないんスからねっ
じゃあ訊くけど、ギャル子はどうして黙秘にしたの?
決まってるじゃないっスか。バシ先輩なら絶対黙秘を選ぶと思ったからっス!
飼い主は?
以下同文。
ギャル子が、私を独り占めしたい一心で裏切って自白する可能性は、考えなかった?
ハッ、そうか! ここであたしが自白しておけば、十年間はレンちゃんを独り占めできたっスか~!?

 まったく考えもしなかったのか、ギャル子は今さら頭を抱えていた。


 一方の石橋先輩は、余裕の表情で答える。

見てのとおり、ギャル子がそんな策を思いつくはずがないって、わかってるからな。
酷いっス! バシ先輩酷いっス!!
――とまあ、こんなわけよ。
な、なるほど……

 そのオチまで見届けて、僕はレン子先輩が言いたかったことを完全に理解した。


 囚人のふたりが、相手をよく知る立場であればあるほど、悩む必要がなくなっていく。


 なぜなら、悩まずともわかるからだ。


 誰しも疑心暗鬼に陥る可能性はあるが、少しでも相手のことを思う気持ちがあるならば、黙秘を選ぶしかない。


 揃って釈放されることは最初からありえないのだから、次に軽い刑期一年を目指すことが、ベストの選択になるのだ。

この話には、対象となる囚人がどんな人物であるのかの定義がないの。

 僕はそう言っていたレン子先輩を思い出して、改めて『囚人』という言葉だけではまるで表し切れていない事実に、気づいた。


 もしこの囚人をきちんと定義するならば――『(赤の他人同士である)囚人のジレンマ』となるのかもしれない。

話を少し戻すけれど、すべての囚人にとって刑期は短いほうが嬉しいとは限らない――というのも、結局は同じことよ。
え?

 さらに斬りこんできたレン子先輩の言葉に、口喧嘩をしていたふたりも静かになる。

ふたりの囚人のうち、片方が長い刑期を望んでいたとしたら、どちらを選ぶと思う?
……最長の十年になるためには、黙秘しかないですよね。
じゃあもう片方の、短い刑期を望んでいる人は、どちらを選ぶと思う?
同じように考えたら、釈放狙いで自白だな。
あれ? そうすると、お互いに希望どおりになるっスか?
あ……っ?

 確かにそれでは、ジレンマは発生しない。


 相手を疑う、疑わない――そんな心理さえ無視して、どちらも希望を叶えてしまうなんて。

違和感があるでしょ? そもそもこの『囚人のジレンマ』は、囚人たちが釈放を望む前提でつくられている。でも、実際に釈放が可能なのは、相手を裏切った場合のひとりだけ。だからこそジレンマが発生するの。
自分の望みを叶えるためには、相手を裏切るしかない?
そう。でも相手だって同じことを考える可能性があるから、釈放が無理ならなるべく短い刑期で……と考えると、ドツボにハマる

 なるほど、わかったぞ。


 もっと正しく言うならば、『(できれば釈放されたい、それが無理ならせめて刑期を短くしたい、そんな赤の他人同士である)囚人のジレンマ』になるのだろう。


 ……うん、長いな。

んで、結局どう選ぶのが正解なんだ?

 僕がアホなことを考えているうちに、石橋先輩が鋭く踏みこんだ。


 きっと超ウルトラスーパー屁理屈斬りタイムを期待してのことだろう。


 しかし当のレン子先輩は、肩を竦めて答えた。

なに言ってるの? 斬るのはもう終わったわよ。
えっ? いつっスか!?
結論はもう出たでしょ。捕まるときは、仲のいいふたりでがベストよ。それと――

 石橋先輩とギャル子に視線を送り、言い放つ。

あなたたちは、なるべく遅刻しないこと!
(続く)
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登場人物紹介

乾 幹太(いぬい・かんた) 大学1年生


とにかく根暗。

犬飼 レン子(いぬかい・れんこ) 大学?年生


パラ研の魔女。

石橋 仁(いしばし・じん) 大学3年生


明るい好青年。レン子の飼い主。

ギャル子(本名不詳) 大学2年生


見たまんま。

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