8.危険な気づかい:後編

文字数 2,766文字

どうやら、『実験』は成功したようね。

 レン子先輩のその言葉で、僕はピンと来た。

もしかして、パラドックスの実験ですか……?
正解。
(やっぱり!)

 いつの間にか、レン子先輩の手のひらの上で転がされていたのだ。


 石橋先輩が首を傾げながら問いかける。

パラドックスの実験? って、どういうことだ?
んー……あたしたちがレンちゃんの『日曜日に外で歓迎会をやろう』って提案を受け入れるかどうか、っスかね?
あら、珍しく惜しいじゃない、ギャル子。
たまにはあたしもやるっスよ!

 得意げに胸を張ったギャル子をスルーして、レン子先輩は僕に振ってきた。

幹太はわかった?
え、えっと……

 正直、まだはっきりと結論が出ているわけではない。


 だが、いつも話しながら大体まとまっていくから、今回もそれを期待し、口を開いた。

……さっきレン子先輩は、全員が今日なにかしらの予定を考えていたことを、確認しましたよね。
そうね。
でも実際には、みんなここにいる。予定を変更して……僕のために、集まってくれました。
ま、新入部員は大事にしないとな。レン子の面倒を見てくれるのは、正直助かるし。
あたしは、ライバルの登場に俄然燃えてるっスよ~。

 横から口を挟んできたふたりに、僕は軽く頷いて、続ける。

ふたりはこう言ってくれてるけど、レン子先輩は、そもそも実験のためだけに提案したのであって、僕の歓迎会を外でやりたいなんて、本心では思っていなかったんでしょう?
正解。
(ああ、やっぱり)

 話しているうちに、思考はまとまってきた。

もっと言うと、石橋先輩とギャル子も、本当は僕を歓迎したいという気持ちより、レン子先輩が珍しく外に出て集まろうと言い出したからそれを叶えてあげようと思った気持ちのほうが、強かったんじゃないですか?

 僕の指摘に、顔を見あわせるふたり。

……言われてみると、そういう側面もあったかもな。レン子が外に出たいなんて言い出すの、初めてだったし。
あたしはいつでも、レンちゃん優先っスよ!

 そう、きっとこれが『実験』の内容だ。

つまり、僕らはレン子先輩の『外で歓迎会しよう』という誘いに、本当は誰もそれを望んでいないのに気づかいの結果従ったことになる……!

しかもこうして雨に降られて、なんで外で集まったんだろうって後悔してるの。馬鹿よね。

 レン子先輩は肩を竦めながら続ける。

これはね、『アビリーンのパラドックス』を再現した実験なの。集団が本当は誰も望んでいない方向に動いていていってしまう、そういう状況よ。
いや、でも、俺たちは別に、幹太を歓迎する気持ちが全然ないわけじゃないぜ?
そうっス。歓迎会をしたい気持ちも、ちゃんと持ってはいたっス。
だとしても、わざわざ外で、しかも雨の日にやることはなかったじゃない。もっと言えば、みんな他の予定が入っている日にやる必要もないでしょ?
た、確かに……

 僕らが今日集まろうと決めたのは、レン子先輩が「今度の日曜日」と言ったからだ。それ以外に理由はない。


 もし誰かが、ちゃんと今日の天気を調べていたら。みんなの予定を確認して「別の日にしよう」なんて提案できていたら。


 状況は、変わっていたことになる。

建前上、私は新入部員の幹太を気づかって、歓迎会の提案をした。それを聞いたみんなは、私と幹太を気づかって、それに乗った。その結果、本意ではないことを全員で行い、しかも雨に降られてびしょ濡れになっている。やっぱり馬鹿よ。
き、気づかいって、すればいいってものでもないんですね……

 僕は今まで、よかれと思って言わなかったこと、やらなかったことがたくさんあった。


 たんに口下手だから、人づきあいが苦手だから、行動に移せなかったという面もある。


 でもその結果、周りの人たちをマイナスの方向に引っ張ってしまう可能性があるのなら、それはとても怖いことだと感じた。


 言葉を呑みこむのは、簡単だ。


 深く考えずに同調することも。


 でもそれは、『気づかい』という言葉を隠れ蓑にしているだけの、思考放棄であったのかもしれない。

恐ろしいのはね、このアビリーンのパラドックスは、どんな集団でも起こりうるということよ。どの国でも、どんな大企業でも。
あ……っ!?

 言われてみればそうだ。


 そして、そう考えると非常に恐ろしい。

だから私は、声を大にして言いたい。自分の考えをきちんと述べることもまた、気づかいだと。

 まるで演説のような台詞を、レン子先輩はいつもの真顔で告げた。

おまえは、それ以外の気づかいを覚えたほうがいいと思うがな……
ノンノン、レン子先輩はそのままでいいっスよ!

(……結構みんな好き勝手言ってると思うけど、そんな僕らでも引っかかったんだもんなぁ)

 なかなか油断のできないパラドックスだ。

まあでも、あなたたちはまだマシなほうよ。最初私が提案したとき、『今やればいいのに』って一応抵抗したし。これね、立場が上の人が言い出すと、すごく厄介な問題になるの。単純に、意見しづらいから。
たとえば?

 促した石橋先輩に、頷くレン子先輩。

そうね……ちょっと極端な例になるけれど、とある会社の社長が社員を気づかって、週休三日にしようと言い出したとする。社員は内心『そんなことしたら仕事が進まない』と思っていても、せっかく社長が思いきって決めてくれたことだからと気づかって、受け入れる。
一見すると、休みが増えるならよさそうっスけど?
でもそれ、絶対どこかにしわ寄せが来ますよね……
そう。その結果、仕事がまわらなくなり、かわりに残業とミスが増え、売り上げは落ち、給料も減っていく。誰も望まない方向へ、進んでいってしまうことになる。

 確かに極端な例ではあったが、考えさせられた。


 誰かひとりでも、異を唱える人がいたら。


 気づかいに乗っかって楽をするのではなく、たとえ責められてでも本当の望みを伝えられていたら。


 アビリーンのパラドックスは、レン子先輩でなくても簡単に破れるのだから。

理屈はわかるが、みんなが同調してるなか、反対するのってきっついよなー。
そ、それですよね……

 石橋先輩の言葉にすぐ同意してしまったのは、僕がまさにそれを苦手とする人間だからだ。

特に僕の意見なんて、基本的に無視されるのがあたりまえだったし……
なんだ幹太。おまえ、いじめられっ子だったのか?
そ、そこまでじゃないですけど……

 ずっと生きづらさを感じてきた。


 その理由は、僕にだってよくわからない。


 そんな僕の肩を、レン子先輩がポンと叩いた。

別に、無視されたっていいのよ。勇気を出して声をあげたその事実を、自分勝手に誇ればいい。そうしてみんなが最悪の事態に陥ったら、そら見ろとほくそ笑めばいい。
レン子先輩……?
それでもきっと、黙っているよりはマシ。
あ……

 無駄でもいいから生きている証しを示せと、言われたような気がした。


(続く)

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登場人物紹介

乾 幹太(いぬい・かんた) 大学1年生


とにかく根暗。

犬飼 レン子(いぬかい・れんこ) 大学?年生


パラ研の魔女。

石橋 仁(いしばし・じん) 大学3年生


明るい好青年。レン子の飼い主。

ギャル子(本名不詳) 大学2年生


見たまんま。

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