17.存在しない言葉:前編

文字数 3,086文字

 大学祭は無事に終わり、用意した会誌もなんとか全部配ることができた。


 評判がどうだったのかは、怖いから特に確認していない。


 レン子先輩的には、成果を形にできたことでとりあえず満足したみたいだが。


 ――そんなことより僕は、大学祭で気が緩んだところに待っていた、あるものの結果に頭を抱えていた。


 他の三人がいようがおかまいなしに、部室で唸り声をあげる僕。

うううう……
どうしたのよ幹太。辛気くさい顔して。
……僕は大抵辛気くさい顔をしていますが。
それもそうね。
さすがレンちゃん、否定しない!
そこは褒めるところなのか?

 毎度のやりとりも、まったく楽しめなかった。


 ダメージが大きすぎたのだ。

で、どうしたのよ?
それがですね……大学祭が終わったこのタイミングで、抜き打ちテストがありまして……
あれ、おまえ学部どこだっけ?
理学部です……
あー、ギャル仲間から聞いたことあるっス。やたら抜き打ちテストが好きなキョージュがいるって。

(ということは、今後もちょくちょくあるかもしれないのか……。なんだろう、ダメージが倍になったような気がする)

 ますます深刻な表情になってしまった僕を励ましたかったのか(?)、レン子先輩が突然こんなことを言い出した。

でも、やるじゃないその先生。予告もなしにいきなりテストしたんでしょう?
は、はい……講義室に入ってくるなり『今日は抜き打ちテストをする』と言って。
前言撤回。褒めて損したわ。
えっ?

 レン子先輩の言葉は、やけに鋭かった。

ど、どういうことですか?

 石橋先輩とギャル子も、戸惑った表情を浮かべている。


 誰もレン子先輩の思考を読み切れないのだ。


 辛抱強く反応を待っていると、やがて気づいたように口を開く。

あら、気づかないの? 『抜き打ちテスト』という言葉は、自称した時点で抜き打ちテストではなくなるのよ。
は……?

 相変わらず、一聴しただけでは意味がわからない。

せめて、『これからテストを行う』って言ってくれればよかったのに。
…………

 先生、違いがよくわかりません!


 そう叫び出したいところを、なんとか堪えた。

(――そうだ、落ちついて考えよう。これまでのレン子先輩とのやりとりを思い起こせば、レン子先輩が気にしていたのはいつも、言葉の定義だったはずだ)

それってやっぱり、『抜き打ちテスト』という言葉の定義に問題が……?

 探るように訊ねたら、レン子先輩は頷いてくれた。

さすがに幹太も、わかるようになってきたわね。
意味は全然わかりませんけど……

 するとレン子先輩は、一枚の紙を取り出し、なにかを書きはじめる。

『抜き打ちテストのパラドックス』というものがあってね。ある日教授が言うの。来週の月曜から金曜のどこかの日に、抜き打ちテストをすると。
それって、いつやるかはそのときにならないとわからないってことか?
でも、抜き打ちテストを予告してくれるなんて、親切っスね。さっきのレンちゃんの話じゃないけど、予告しちゃったら全然抜き打ちじゃない気がするっス。
た、確かに……

 ギャル子の指摘はそのとおりで、僕の感覚からいくと、本来ならば予告しないのが抜き打ちテストであるように思えた。レン子先輩の言いかたを借りるなら、それが抜き打ちテストの定義だと。


 ――もっとも、当のレン子先輩はそれをも否定しているわけだが。


 レン子先輩は軽く頷いて、続ける。

そうね、そういう考えもあるわ。一方で、『いつやるかわからない』ことを抜き打ちテストの定義と考えることもできる。でもそうすると、今度は別の問題が出てくるの。
別の問題?

 首を傾げた僕に、レン子先輩は今書いていた紙を見せてきた。

もし木曜日までテストが行われなかった場合、金曜日しか残っていないのだから、テストは金曜日に行われるということがわかってしまう。そうすると、さっきの定義から外れるでしょ?
おお、確かに。『いつやるかわからない』わけじゃないから、もはや抜き打ちテストじゃないってことになっちまうのか。
うはぁ、屁理屈っスね~。

 レン子先輩が書いた紙には、曜日が並んでいたが、金曜日のところにだけ○がついていた。

つまり、逆に考えれば、金曜日に抜き打ちテストが行われることはありえない……?
正解。じゃあ今度は、月曜から木曜の範囲で同じように考えてみて。
同じように?

 その意図はよくわからなかったが、言われたとおりやってみる。


 もし水曜日までテストが行われなかったとしたら、抜き打ちテストは木曜日に行われることになる。だが、この時点で抜き打ちテストではなくなる。


 じゃあ木曜日も除外しよう。


 次は月曜から水曜の範囲で考えてみる。


 もし火曜日までテストが行われなかったとしたら、抜き打ちテストは水曜日に行われることになる。だが、この時点で抜き打ちテストではなくなる。


 じゃあ水曜日も除外しよう。


 次は月曜から火曜の範囲で考えてみる。


 もし月曜日にテストが行われなかったとしたら、抜き打ちテストは火曜日に行われることになる。だが、この時点で抜き打ちテストではなくなる。


 じゃあ火曜日も除外しよう。

……あの……月曜日しかなくなったんですが……
えっ、なんでっスか!?
ていうか、月曜日しかないってわかったら、その時点でやっぱり抜き打ちテストじゃないだろ。
あ、そうか……

 そこまで至って、僕はやっと思い出す。

(レン子先輩は最初に言ったじゃないか。これは『抜き打ちテストのパラドックス』だと……!)

抜き打ちテストをやると言っておきながら、本当の意味での抜き打ちテストは不可能――そういうパラドックスなんですね?
そう。ただし、あくまでも『いつやるかわからない』ことを抜き打ちテストの定義と考えた場合の話になるけれど。

 やはり抜き打ちテストは予告しないに限るようだ。

んで、実際にテストは行われたんスか?
ええ、金曜日にね。
つまり、学生たちは事前に『明日テストがある』とわかっていたということだな?
そうね。だけど、本当にその日にテストが行われるかは、実際その瞬間になってみないとわからないでしょう? だから、そういう意味では抜き打ちテストは成功していると考える意見もあるわ。
……まあ、教授も人間ですから、嘘をつくことくらいはありますよね……
答案用紙を忘れたウッカリさんかもしれないっスよ!
どちらにせよ屁理屈っぽいがな。

 石橋先輩が浮かべた苦笑を、誰も否定しなかった。


 ――レン子先輩以外は。

でもこれ、意外と重要な視点よ。さっきまで判断材料にしていた『○曜日までテストは行われなかった』は、過去に完了している事象をもとにしている。だから確実で、変わることがない。でも、『本当にその日テストが行われるか』という問題はどう?
あ……そうか。それは未来のことだから、いくら条件が整っていたとしても、変わる可能性はある?
そういうこと。つまり、抜き打ちテストはたとえ予告していたとしても可能――さらに言えば、すべてのテストは抜き打ちである、という結論に至ることもできるの。
あ……!?

 そう、実際にテストが始まるまでは、誰も油断ができないのだ。


 朝にやると言っておきながら、トラブルがあってできなくなるケースだって考えられる。


 『抜き打ちテスト』の定義を変えるだけで、パラドックスの種類さえ変わってしまうのが、面白いところだ。


 そこでふと、僕は思い出す。

あれ? じゃあ、最初にレン子先輩が言った、『抜き打ちテストは自称した時点で抜き打ちテストではなくなる』っていうのは、どういう意味だったんですか?

(続く)




Q.レン子はどういう意図で言ったと思いますか?

  ぜひ考えてみてください。

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登場人物紹介

乾 幹太(いぬい・かんた) 大学1年生


とにかく根暗。

犬飼 レン子(いぬかい・れんこ) 大学?年生


パラ研の魔女。

石橋 仁(いしばし・じん) 大学3年生


明るい好青年。レン子の飼い主。

ギャル子(本名不詳) 大学2年生


見たまんま。

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