3.真の嘘つきはこの世に存在しない:前編

文字数 2,176文字

たとえばそこの飼い主が、嘘つきだとする。

 僕が部室に入ると、寸劇はもう始まっていた。


 昨日と同じ席に着いたレン子先輩が、斜め向かいに座っている石橋先輩を指差す。

ほら、事前に教えた台詞を言って。
へいへい。『俺は嘘つきだ』。――これでいいか?
よろしい。
い、一体これはどういう状況なんだ……?

 事態が飲みこめずに入り口で固まっていると、やっぱり昨日と同じ場所に座っていたギャル子(呼び捨てにしろと言われた)が手招きをしてくれた。

気にしないで、入ってくるっス。
は、はい……
(気にするなって言われても、めちゃくちゃ気になるけど!?)

 ギャル子に戸惑った様子がないところを見るに、これがこのサークルのいつもの状態なのかもしれない。


 つまり、僕も慣れるしかないのだろう。

幹太、今のちゃんと見てた?

 僕が空いているパイプ椅子に腰かけると、すかさずレン子先輩が声をかけてくる。

嫌でも目に入りますよ……いつから演劇部になったんですか?

 自分史上最高に頑張って茶化してみたが、どうやらレン子先輩には受けなかったようだ。


 まったく変わらない真顔で返される。

なに言ってるのよ。こんなダイコンすぎる役者がいるもんですか。
悪かったな、ダイコンで!
うわぁ~、バシ先輩は煮ても不味そうっスね。
そこから話題を広げるなっ

 飼い主は今日も大変そうだ。

じゃあテストよ、幹太。
テスト?
今起こったことを、説明してみて。
え? っと……

 長い劇なら「無理!」と叫ぶところだが、今のは一瞬で終わるほどに短かった。


 説明するのは簡単だ。

まず、石橋先輩がレン子先輩から嘘つき認定されて、本人も『俺は嘘つきだ』と言った。
そうね。で、それは本当だと思う?
え?
 再び問われた僕が言葉に詰まったのは、質問の意味がよくわからなかったからだ。
それって、どれのことですか?
だから、あなたがたった今説明してくれた状況のことよ。
石橋先輩が嘘つきだということ?
と、私が事前に『そいつは嘘つきだ』と言ったこと。
は? え? ……どういうこと?

 完全に混乱してしまった僕を見かねて、石橋先輩が助け船を出してくれる。

これはな、いちばん単純な『嘘つきのパラドックス』なんだ。
パラドックス……

 すっかり耳になじんだ言葉が、さっそく出てきた。


 続いてギャル子も手をあげる。

これはあたしもわかるっスよ! ようは、最初に嘘つき認定されたバシ先輩だけど、結局は嘘つきにも正直者にもなれないってことスよね。
結局どっちにもなれない……?

 少しずつ全容が見えてきた。


 僕は落ちついて考えてみる。


 まず前提として、『石橋先輩=嘘つき』であることに間違いはない。


 だが次に、その石橋先輩自身が「俺は嘘つきだ」と言ったことにより、状況は変わってしまうという。

(……あっ、そうか!)
嘘つきである石橋先輩の言葉なんだから、『俺は嘘つきだ』も嘘で、『本当は正直者』ってことになる……?
そうね。でも、それでは彼が嘘つきだという前提と矛盾する。
そ、それなら、そもそもレン子先輩が言った『石橋先輩は嘘つき』というのが嘘だったんじゃ?

だとしても同じよ。彼がもし正直者であるのなら、『自分は嘘つき』という発言と矛盾する。

あ……っ

 そう、この矛盾こそが、パラドックスなのだ。


 石橋先輩が、本当は嘘つきなのか正直者なのか、わからなくなる。

この話はね、私が最初に与えた前提さえ、本来はいらないの。たとえば今、幹太自身が『自分は嘘つきだ』と言えば、それだけで矛盾は発生する。
あ、そうか。本当に嘘つきなら、自分を正直者だというはずだし、本当は正直者なのなら、最初から嘘つきだなんて言わない……
前提を与えたのは、どうせ俺を嘘つき呼ばわりしたかっただけなんだろ?
それもあるけど、決定されていたはずの事項が、本人の発言によって揺らいでしまうという事象が、なんだか面白いじゃない。それを体験してほしかったの。
さすがレンちゃん、否定しない!
た、確かに面白い……感じはするけど……

 同時に僕は、発言するという行為そのものに、恐怖さえ感じていた。


 それは今までまったく考えたことのなかった視点だったからだ。

(自分の言及によって、決まっていたはずのことが揺らぐ……?)

 白黒つけられない、ありえないはずのことが、それでも言葉にできてしまうんだ。

…………
ん? どうしたの幹太。
いえ……

 つい考えこんでしまった僕をよそに、レン子先輩は話を進めていく。

この嘘つきのパラドックスで有名なのは、クレタ島民の話ね。古代ギリシアの預言者であるエピメニデスが、『すべてのクレタ島民は嘘つきだ』と言ったの。
それに島民が反対したのか?
違うわ。彼自身もクレタ島民だったのよ。
じゃあ、嘘つきなのか正直者なのか、結局わからないってことスね?
ええ。

 と、一度は頷いたレン子先輩だったが――

一般的には、そう言われているわね。

 瞳の奥が光ったように見えたのは、幻覚だろうか。

お、来るか? レン子のスーパー屁理屈タイム。
待ってましたぁ~!

 昨日も見た流れだ。

私、納得いかないのよね。
納得がいかない? って、なにに対してですか?

 思わず合いの手を入れると、レン子先輩は身体を前に乗り出して言った。

じゃあ訊くけど、嘘つきって常に嘘をつきつづけると思う?

(続く)




Q.レン子が「納得いかない」こととは一体なんなのか?

  ぜひ考えてみてください。

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登場人物紹介

乾 幹太(いぬい・かんた) 大学1年生


とにかく根暗。

犬飼 レン子(いぬかい・れんこ) 大学?年生


パラ研の魔女。

石橋 仁(いしばし・じん) 大学3年生


明るい好青年。レン子の飼い主。

ギャル子(本名不詳) 大学2年生


見たまんま。

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